2017年07月07日
20170707
せっかくだからYoutubeにも残しておく(・ω・)ここ暫くなんにもしてなかったしね https://t.co/jALkn2rJyD
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年7月7日
2017年06月14日
なるほどなー(・×・)なるほどなー
その恵まれた都合のよさのどこが「等身大」なの?と思ったが、そうか(・ω・)「努力をしない頑張らない」点がそれということか、そうか。
なるほどラクしたいんだな皆
そうか、だからあれなんだ、自分は特に何もせず機械任せでキモイ動きを勝手にジェネレートさせてウキウキニコニコできたりするんだ(・×・)なるほどなー
てことで、ちょっと前の話だけど。
【宮崎駿監督、ドワンゴ会長にマジギレ 「極めて不愉快」】
どちらの言い分も揚げ足とり連ねるのは簡単だけれど、これはハヤオに付くぜ僕は(・ω・)なぜなら単純に、ドワンゴ特有の小便臭いガキの悪ノリ感が嫌いだから(宣言)
あの臭さって、主たる支持層にレベルを合わせてるのかも(戦略的に)と想像した事もあったけれど、これを見るに、どうやら当人たちが根っから「そう」みたいだな。完全に、子供の浅知恵で『俺らっておもすれーwww』と発表したものの大人に叱られてショボくれムクれてる坊主の顔じゃないか、これ。まあ、前々から思ってたんだけどね「なんでこんな幼い顔してるんだろう」と非好意的に、この会長(・ω・)子どもの顔なんだよね、細かく言うなら「口の達者な屁理屈坊主顔」という感。
それはさておき
相手は昔気質な"本物の職人"なんだからさ、自分の心身動かしてないジェネレイト言わば『まぐれ当たり』みたいなモノとか信じないだろうと想うよ、何より、目標の無い手段とか最も軽蔑するだろう、そりゃ。ていうか昔も今も職人てのはそういうもの。手法こそ新旧あれど、そこは老いも若きも関係無い。譲って「気持ち悪いからゾンビ(のゲーム)」←これを"目標"と仮定してみても。こと相手は物語作家でもあるのだから「で?それでもって何を描くの?」となるのは必定に思える。語りたい事が在って、その為の手段じゃあなくて、「こんなん出来たから何か」っていう安易としか映らないんじゃないかな。
つまり「順序が違う」ってこと。
まあなにしろ、根本的に意識というか、領域が違うって感じだね(・ω・)芸術家と実業家の相容れなさ、そのわかりやすい絵図ってかんじ。以前、アニメ業界に立ち入ろうとして「声優なんか誰でも出来るでしょ」と軽く言ってのけ大顰蹙浴びた某実業家と同類項の臭いがする、結局ね。なんていうか「心が無い」感じなんだよね、あの類の人達って、「心無い」じゃなくて「心が無い」、ニュアンスだけど。ひどく合理的に機械的に出来てて「昆虫を見てるみたい」なの。まあ、金儲けするにはそのくらいで丁度いいのかもしれないけれど。
詩も矜持も無い技術プレゼンされても憮然だわな(・ω・)出す所を間違えてるわ。
みこしこみ
>>「渡部が後押しして宣伝してるからな責任とって離婚するしかないな」←無茶苦茶でワロタ
祀り上げたのは大衆。他者の見解を拝む風潮が招いた欺瞞で傲慢で災禍の感も。
参考になる場合もある、と認めた上で敢えて言うけど。所詮は人の仕事に乗っかってるだけの便乗であって自分でモノ産んでるわけじゃあ無いじゃんかレビュー/レビュアーって(・ω・)なんでそんなありがたがるのかわからん。たとえるなら、神仏御本尊そっちのけで僧侶を拝み崇め奉ってるような違和感。
近年どうも『自分でもなんとか(特別な努力無しでも)出来そうなもの』を過大に評価する傾向が強まってるように感じるんだよなあ(・ω・)たとえば美味いメシを作るのは要努力だけど、人の作ったメシ食って美味いとか不味いとか言うだけなら誰でも出来るじゃん?味覚(好み)なんて主観だし。
雨後の筍のように湧いたユーチューバー志望なんかもその類型だと思う(・ω・)言っちゃ悪いけどその大方は、特別な技術技能(要努力)無くても、取り敢えず真似事だけならすぐ出来るようなものだものね。割合ラクに手が届きそうなものを祀り上げることで要件を低くしようとするような、水準を自分のほうへと引き寄せようとするような、なんだかそんな空気・同調を感じるんだよな。たとえるなら(・ω・)そうでもない人をカワイイカワイイと持ち上げる心みたいな(お察し)
てなこと言うと信者さんは「あれだけ食べ歩くって大変なんだぞ!努力してる!」と仰るかもしれないな。そりゃ一定水準超えたらそうだろなと認めもする。が(・ω・)「あわよくば」と食べブログ等を開設するだけならばやはり簡単だ(そういう話)
まあ、なにしろ(・ω・)名利を顧みないはじめのこころ、ただ純粋に「これが好き」って気持ちを失くしたらダメだよね万事。
カリスマ()の言うことすべて鵜呑みにしてはいないならいいけど(・ω・)一回だけ行って終わってるならそれだけのことだったって話。
"ネット民"とか言っても。本当に人が増え「一般的」になり、既存媒体を擁する巨大資本が本腰入れて関わってきた今となっては(・ω・)もうネットも大枠ではテレビ等既存マーケティングメディアとも、さして変わらないんだよね。もう仕込みだらけ。
もちろんカウンターカルチャーとしての側面も残ってはいるのだが。それって一定値を超え増加することの無いもの、むしろ場が一般的となればなるほど一層少数派へと成っていくもの多勢に覆い隠されるものだ。なお(・ω・)今ここ(Twitter)は一見それっぽいけど、実態は、一昔前のアングラの劣化コピー。
2017年06月13日
BAD LUCK JASRAC #3
【JASRAC「うるさいうるさいうるさーい!」→音楽教室から受講料の2.5%を著作権使用料として徴収大決定!】
それらが『客寄せ』を担ってるのは事実なんだよな…まあ仮にすべて非管理下楽曲にしたところでどうにか搾り取ろうと画策しそうだが。
『客寄せ』ってのは。古典方面はさておき、所謂LM方面に関しては、これ弾いてみたい(弾けるようになりますよ)ってのが習う動機になる人が殆どで、たとえば教室独自の練習曲等ではセールスとして弱い。これは否定出来ない言わば弱味だろうっていうね。そこんところを突かれるとちょっと痛いだろうというのは、アンチJASRACの僕でも思う。そりゃあ理想としては、対象の有名無名を問わない純粋な習得欲/音楽的欲求なんだけれど、義務を課されているでもない素人に、特殊な理念や高い意識を上から求めるのもまたおかしいしね。
つまるところ他者の仕事その威光に与っているという点、これは「双方」認めなきゃならないと思う。その上で、JASRACは自らの正当性を証明、透明にして見せるのが筋。そして教室側は、著名に依存しない振興の途を模索し努めるべき。何れ現状は、音楽振興とは遠い営利の争いに過ぎない。まあ何しろJASRACという団体の意識が楽曲を預かり管理をさせて頂いているでは無く「してやっている」ではないか?という疑念も拭えないし、街の教室が、その様な造詣も愛も無い単なる事務方よりは、少なくとも技術の伝承者としては音楽振興に直截貢献していると思う(思いたい)
そのうち「音楽は、あなたの自作曲も含めすべて登録することが義務化されました。また全国民は一律の聴取料金を支払う義務があり許可なく利用は出来ません」なんてことになったりしてな(笑)それどこのNHK←
現状、こと近年ネット上の惨状を見るにつけ日本人が著作物またその権利に対し意識低い(罪悪感が不足している)のはJASRACの言葉どおりだと思い憂うのだけれど。JASRACもまた同程度のものだと思う。愉しみ方を知らん者は扱い方も下手くそなものだ。
意識低い(罪悪感が不足している)それは例えばYouTube。テレビ番組をまま上げたものが『話題の動画』だの『急上昇』だのに挙がってくるんだから言わずもがな。則ち「悪びれなく群がる視聴者も多い」ということの証左。そういうの、ひと昔前ならコッソリやってたもんだが(笑)MADなんかでも消されて普通、残れば御の字くらいのもんだったのが今や…ってハナシですよ(・ω・)つまり『イケナイことはコッソリヒッソリ』これを出来ない人のほうが多くなったのです近年は(だからプチ悪/犯罪自慢もあとを絶たない)。節度の崩壊が自滅を招いた感無きにしもあらず。
まあそんなカンジで、JASRACに同情はしないまでも「やり過ぎればそりゃしっぺ返しもくるかもな」という想いはあるのだ(・ω・)最大原因では無いにせよ一因ではあるだろうというやや確信めいた。ついでに言うなら、そこかしこに貼られた画像なんかにしても大方ホントはダメなんだからね著作権的に(・ω・)でもそこを看過、ブラックをグレーで容認つまり『お目こぼし』いただいてる愉しませていただいてるという最低限の節度というか意識、せめて原作者に対する敬意は忘れたくないよね何事も。
罪悪感皆無な確信犯の言うことなんて聴きたいと思わんし話にもならないと思うよね(・ω・)その点については皆大体おなじだとおもうんだよね。そして平行線に。殊更に卑下することは無いと思うけれど、「おこぼれに与っている」という一抹の、仮借の呵責は持っておくべきじゃないかな。相互に。
蛇足だが。第一次ガンプラブームの折、数十年後プラモ業界はどうなってるかという仮定の会話中「フルスクラッチが常になってるかも」と仰ってたモデラーがおられた、石油資源の枯渇が危ぶまれてた時代だったから出た発言だったのだが。…音楽こそフルスクラッチビルドの時代なのかもね(意味深)
〜数日後〜
【JASRAC、美容室など全国352店舗に一斉法的措置 BGM利用の著作権手続き求め】
せっかく一理酌んであげたのに(・ω・`)やっぱもうアカンな
2017年02月15日
満身創痍の卍さん(参)
『弐』は此方
これは万次ですわ、、期待以上にもほどがある #無限の住人 pic.twitter.com/kqXAOAzMwC
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月5日
そして凛ちゃんなまらかわいい件(´`*)これは護らざるを得ない
(なお、"シャケの娘"と知った時の僕の驚きについてはここでは割愛)
いや〜いいぞこれ!
もう、端から『また実写化か』&『キムタク』という二大色眼鏡を装備されてしまう宿業を背負ってるわけだが…もしもそれら色眼鏡の無い(しかしむげにんは在る)世界でこのビジュアルを出されたら素直にハッとするはずである(・ω・)偏見は人生の損である。
僕は、たとえ推しが出ていようとも「ダメなもんはダメ」というタチ。色眼鏡かけない一方、ファン補正もとらない(それも一種の色眼鏡だから)。もちろん、作品としての出来は未だ云々出来るもんではない(ところが観るまでもなくダメ認定する人の多い昨今ではある)が、少なくとも、この二人のビジュアルは、原作ファンの僕を高揚させるだけの佇まいが有る。
かく言う僕も数年前までは、役者としての木村拓哉については多少なり偏見あったかもしれない、特に積極的に見ていなかっただけとはいえ風評に全く侵されていなかったかと言えばそれは嘘になるかもしれない。しかしそれが偶々内容に好奇心ひかれて観た安堂ロイドで『積極的に見たい役者』になったのだ。
ここで、予告編を繰り返し見ているうちに発見したこと。
速度を落とすと
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月6日
おう ごん ちゅう!!
と聴こえる(言ってる)。 #無限の住人 #殺陣黄金蟲 pic.twitter.com/vmGhyYATsb
ほらね?前に言ったとおり、そういうとこ期待を裏切らないでしょ(笑)もうちょい分かりやすく言うと、「二時間に纏めるためストーリーは大きく改変しても、小道具的な見せ場いわば必殺技的な部分は異様なマンガっぽさ(←好意的に)でもって再現して見せてくれる」ってことねw
たとえばこれもそうだね
すととととととんっ!
【映画「無限の住人」沙村広明が「これ以上のものが無いと言い切れる」と太鼓判】
もちろん映画だから「観てみないことには」だけど、少なくともビジュアルは、変な色眼鏡を通して見なければ「現状そうだな」と納得の次元だぜ(・ω・)僕は裸眼で見るぜ。
そりゃあ読者各々の中にイメージが在るもんだから「この人はちょっと違う」とかあって当然なんだけどね、僕にだってある、名を挙げはしないけど「○○はもっと他にいたんじゃないかな」っての現時点ではあるし。でも(・ω・)僕は実写だからとかキムタクだからってなとこで色眼鏡な脊髄反射はしない。
なお、「現時点では」って言ったのは、実際に映画を観たら「いやーよかった!」ってなるかもしれないからだ(・ω・)そういうの往々にしてあることだからね。
今一度、主役に関して言うと。万次=木村拓哉と聞いた際「マジかよ!!キムタクが演ってくれんの!!?」と僕は興奮し「現状誰より適任適役かも」とも思ったクチ。むしろ、もしも他の誰か(よく知る顔)だったら「うーん」だとか「いやそれなら○○さんのほうが」だとかきっとムダに想っただろう(笑)なんていうか『不測の事態』ってカンジで驚きだったね、好い意味で(そのへんの『理由』は改めて綴るのも面倒だから"一連御参照")
【キムタク、血まみれ!『無限の住人』MIYAVIが主題歌】
ああそうそう、昨日はトレイラーに興奮するばかりで(笑)触れてなかったけど、僕も"その道の端くれ"として、MIYAVI氏について少し触れておこう。もう十年以上前の話だけど、初見は(外見と名前から)「またV系か」くらいだったのね、当時ってビジュアル先行型がウジャウジャで辟易してた頃だったから。けど実際にプレイ見て「あ、こりゃカッコだけじゃないわ」と、「誤解してすまなんだ」と(笑)彼は"本物"だと思うよ。
なお。
#無限の住人 オフィシャルのトップ、なにげに初出のキャラも幾人か…おい…ひょっとしてこれは、こいつはひょっとしてwww #天上天下の予感 pic.twitter.com/AxlNeoThmc
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月6日
俺どんだけ好きなんだよ司戸菱安
てか、まあ、そんな予感もしてたけど、やっぱ偽一っちゃんは顔見せ程度の登場なのかなあ(´・ω・`)トップにいないもんね(百淋いるのに)…で、偽一をさしおいてまさかの??wwwww(ほんとどんだけ好きなんだよ)
や、あの偽一っちゃんめっちゃカッコいいから見せ場を望んでるんだけど。
それと天上天下←
満身創痍の卍さん(弐)
【『無限の住人』福士蒼汰&戸田恵梨香のビジュアル解禁】
「天津に次ぐ実力を持つ女剣士」←ここに激しい違和感を覚える原作ファンは少なくなかろう…まあ興行的に「ラスボスより強い」とは謳いたくないのかもだが(笑)
実際そこらへんその様に描写改変もしてるかもしれないけどね(・ω・)でもまあそれは許容の範疇かな。絶対にしてほしくないというか「してはいけない」のは、万次の、"圧倒的に強いヒーロー"化である。それだけはいけない、何より「ズタボロになる木村拓哉」を見られないではないか(耽美)
「(ほぼ)不死」というチート能力+汚い手も厭わず、あまつさえ時には逆に女に助けられたりもする。それでどうにかこうにかしのぐのが万次という不死者にして最も人間臭いダーティヒーローである(・ω・)そこがいい。
【木村拓哉 主演『無限の住人』で市原隼人&栗山千明が刺客に。ビジュアル初解禁】
いやーいやいやいや!皆イイんだけどさ、特に偽一っちゃん!ハンパなく偽一っちゃんだwwwていうかなんで偽一には一切触れてねえんだよ記事!失礼だろうが!なお、百姐さんを「剣士」と呼ぶのは少々躊躇われる←失礼だろうが!
こちらも偽一完全スルーwww…ていうか百姐そんな怖ろしい人じゃねえしそんな罠も知らねえよ(笑)テキトー書いてないかオイ(;^ω^)
先日の記事でも感じたし思ったことなんだけどさ(``)モノを知らんのが記事書いてるのってなんかヤだよな表層的で、プレス丸写し感ていうかね(``)偽一には触れないようにってお達しでもあったのか?まあとにかく、原作知ってたら一番触れたいとこだろこれ(笑)
【木村拓哉も「すごく大きな存在」…杉咲花『無限の住人』劇中カット到着】
見た目原作とはちょいとイメージ違うけれど、トレイラー見た限り庇護欲をくすぐる子供感が好い(・ω・)この場合「可憐」であることは重要だ。
〜ここで、特報公開直後のあれやこれや〜
(クリックで一連のツイートが開きます)
ぶっ通しで読み返してるんだけど。
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年11月10日
あのトレイラーのシーンて原作のここに当たる感じだよな?そこに見せ場として"百人斬り"を組み合わせたものになってるんじゃあなかろうか?で、つまり原作でいうところの加賀編迄を描くなんじゃないかと推測、それなら何とか収まりそうだし。 pic.twitter.com/FAQcobZ8G8
続報(本予告)まだかいな(・ω・)はよ見たいわ、年明け早々くらいに来るんじゃあないかと期待してるんだが。
(翌年2月5日)
ウッヒョオオオオオオ(;°ω°)=3ええやんけ!!
『参』へ続く
2017年02月10日
What's support
良いものには良いと言いましょう、というお話 pic.twitter.com/14ts1M7s3I
— Extrose@#tnjp14 2/11 (@extrose_xinei) 2017年2月7日
わかるわー、僕も何年か前にこういうの書いたことあった(参考)
特に日本てこんなカンジで縮退してくんだよな…
日本人て好意を伝えるのが苦手っていうか自分の好きなものを「好き」と堂々と謳うことを恥ずかしがるっていうか…嫌いを謳うほうが恥ずかしい事だと思うんだが(ジャパニーズインターネッツ)
まあそういう部分で『いいね』ってシステムは本当に日本人向きだなあと思う。でもぶっちゃけ、ソッといいねしてくれるよりもキッチリ広めてくれるほうがありがたいのよ物作ってる側としては。
正直言って、ちゃんと言葉にしてくれたり貼って広めてもらえたりのほうがありがたいし嬉しい、励みになるものなのよ。"ポチっとボタン押して終わり"だとね、「でも他の人にオススメ出来るもんじゃあ無いってことか」って、逆に不安になったり意欲削がれたりさえするのよ。そういうもん。
かつて、僕の推し(お察し)も、"とある状況"について、こんなことを言ってました、『「こんにちは」と言ってるのに「こんばんは」と返されるような寂しさ』と。
そういう、普通は(立場上)なぁなぁにしておくようなこともハッキリと言うところがまた好きなんだ松井玲奈。←つまりこういうこと
この流れで言うけど。それこそ彼なんて恐ろしい数の「嫌い」に晒され続けてるよね、それでなくともネット民は否定から入る・否定するために入る癖がついてるしね(笑)そんな今だからこそ「でも俺は私は好きだぜ」と何事も、キッチリ堂々謳わないとさ。
「好き」と宣言することを恥じるってのは、その好きな物や人物を「恥ずかしいもの」だと思っていると無言で語ってるようなもんなんだぜ(・ω・)そのほうがよっぽど恥ずかしい心さ。
完 全 変 態
2017年02月09日
BAD LUCK JASRAC #2
【JASRAC理事「私だと勝つ確率は8割、私に論破されてるようでは、顧問弁護士に100%勝てない」】
これは僕の経験則だが、一人称「小生」の人物は、その自称の意に反し尊大で鼻持ちならない所謂インテリ気取りが目立つ。
遜って言うもんなんだけどな>>小生
7:3くらいの割合でむしろ偉そうなのが多い不思議(笑)
なお >>14 それなんだよな。そこが税、年貢の時代から変わってない所なんだよな。景気が好かろうが悪かろうが御役所様ってのは手前の懐を一定保守しようとする、しわ寄せが来るのは民草。あれこれ課税が増えてるのも、つまりはそういうこと。尚、好景気の時はムダにジャブジャブ使いもする。
不景気続きで収入減、税金払うのもキツいってな人達が増えても、およそ御役所様方は「自分達がそれに伴って『痛み分け』する謂われなど無い」と思っているもの。今回のも、それと同じ様な"高飛車"だろう。たとえば「CD売れなくなったから(我々の収入を守るため)その分徴収枠を増やそう」とか。
下々がヒエやアワ食って飢えしのいでる時でも白米たらふく食えて当たり前、そういう頭なんだよね(・ω・)実はさ、『義務』の正体ってそれなんだぜ(看破)
【JASRAC玉井さん、理論武装した凸者に完全論破され涙目ブロック逃走】
小生=小人説を見事立証してくれてるなあ。自分を優秀と思い込んでるボクちゃんのまま年取った人って感じだね、「論破」に対する執着にも、それが垣間見える。
「運営する者が」って文言に、他人を見下した心根と、既に冷静を欠いた心情がほの見える。そこは「方々が」だろう普通、大人なら。自身と、それに関する或いは類する立場の人間に対してではなく外部の人間に対し「者が」とは普通言わんよな、何か侮蔑的な意をもっての場合くらいしか。マトモな社会人ならば。
それともあれかな、『同胞』だと思っているから「者」と言えるし言ったのかな?いや思ってないだろうね、この人物は「自分のほうが格上で上流」と認識してるだろう(・ω・)むしろ実態的には「下流でおこぼれ頂戴」してるだけなのにね。
まあ、もし仮にそう考えている其の様に認識しているとしても、彼が呼ぶところの「者」たちは「おまえ(ら)と一緒にされたくないわフザけんな」って想いに違いないだろうと確信するよ。
ホント面白いように所属組織の心証/立場を悪くしてるよねこの人、まさに獅子身中の虫…あの組織を獅子とは呼びたくないけど(笑)自分の賢さ優秀さを認めさせたくて仕方のない坊やみたいだよね(´・ω・`)或る意味キモヲタ的な幼さを感じる。止めてくれる友達もいないのか。
匿名掲示板等に現れる、絶対に非を負けを認めない粘着性自称玄人と同じ臭いがする。や、この捨て台詞っぷりがもういかにもで笑うわ(´ω`;)もうこれ以上醜態を晒すのおやめなさい(お黙りなさい)な…と、言ってくれる人がいても聴かなそうだね、"負けず嫌い"だもんね(これぞまさに「何と戦ってるんだ」だ)
そりゃま学力と人間性いわば真の知性は必ずしも並び立たない、どころかワリと無関係だったりさえもするんだけどさ。これじゃあ世間的な「東大出」のイメージまでも悪くしてしまいかねないぞ(´・ω・`)…ボクちゃんに権威与えるとロクなことにならんな。
「金持ち喧嘩せず」じゃあないけれど。賢しらに論戦を好み、執拗に論破に拘るのは、悉く小人。およそ建設的論議なんてのは求めてないんだよ、求めてるのは「言い負かして勝つ」っていう安っすい優越感。本当に建設的な人間なら、その時間を創作なり沈思黙考対自核にでも充てるだろうからね。
ここでの建設的=クリエイティブと読み替えていただいてかまわない(お察し)
ああいう情動行動って、ひょっとすると『劣等感』の裏返しなのかもしれないな、なんて思ったりもする。同様な立場を"ひとからげ"にするみたいで少々気が引けるが、敢えて言おう。もしも僕なら(・ω・)東大まで出て何も自分では産み出せないなんて、酷く劣等感を覚えると想うんだよね逆に。
極論「どうしてあなたはそこにいるの?」ってハナシ。
なんかもう、あの人がキャラ立ちし過ぎてるもんで本題外れて別の話題になってきてる感もあるけれど(笑)でもま、ほら、「敵を知る」のは大切なことだから(何と戦ってるんだ)
や、マジメな話。敢えて言うけど「よいサンプル」だと思うよ、"相容れない思考・感性"を探るには。ああいった立場境遇の人ってのは、およそ、良くも悪くも、いわゆる"創り手の魂"とは対極的であることは明白だから。
しかし、ご本尊は彼の行動言動を「独走(暴走)」とは認識してない、つまり個人の見解に非ず総意で代表と認めてると受け取ってよいのかねえ。「一切関知しない」ってスタンスだったらそれはそれでまた面白いが(鼻つまみ者感)・・・にしたって「コンプライアンス?なにそれ美味いの?」って次元だと思うけどね、この放任放置っぷりは。間違いなく『社』としては常識外れ、「異常」だよね(笑)一般社会なら三日ともたないレベル(漂うお役所お役人感)
【追記】
むせかえるほどの小人臭(既視感)
こういうのって完全に『悪者』の言いぐさだと思うんだが…やっぱ無自覚(真性)なのか。
まさに、おとん定期に相応しい。
この種の発言で有名なのっていうと先ずこれが挙げられるけど、これはまだネタ(わざと)っぽさが感じられる。ていうか見ず知らずの相手に当たり前の如くタメ口リプ飛ばすのは確かに感心は出来ない件。ツイッター(日本)の空気は2ちゃん主にVIPPERの影響受けた「ネットはタメ口当たり前」と勘違いした若年ニコ厨(当時)が大挙流入して出来上がった経緯があるので、それ以前からのネットユーザーの言語/礼儀感覚と隔たりがあるのは事実。
「隔たりがある」のは、彼の人物もか(お察し)
本稿、分類"バカッター"の枠に入れたほうがいいような気がしてきた(入れました)
【追記】
本当にひどくてもう笑うしかない(真顔)
2017年02月03日
BAD LUCK JASRAC #1
昔、教室の机、今SNS上。お気に入りの歌詞を写し自己投影して悦に入る(そして共感をも求める)演劇性人格的行動は主に女子、特に中高生の得意技ですが(笑)自分の想いくらい自分自身の言葉で綴ろうや(・ω・)のう?「代弁者」だとか「カリスマ」だとかに依存し頼ってるうちは本当の意味での主役には成れないんだぜ(意味深)少々語彙が貧困であろうとも、受け売りでは無い自分の言葉で想いを綴り語ってる人のほうが好感もてるし将来性さえ感じるよ、いやマジで。
まあ、そこんところが中二と厨二の差っていうかね(持論である)
自分を自分で語ることは恥ずかしいことではないのだよ(・ω・)むしろ恥ずべきは、借りものの言葉に代弁させることだ、それは語りではなく騙りだ。(要約:人の歌詞を写すくらいなら自分でポエムを書くべきだ)
(C)沙村広明
という厨二な僕による啓蒙はさておき←
まあ「ケチくさい」と思う気持ちは解らなくはない。歌詞のみならず、音そのものについてもやたらに締め付けたカスラック(仮名)は、結果的には音楽振興を阻害してもいるわけでね。
しかし。音の方なら例えばYouTubeなどがそうしている様に"権利者との分配"やらも割合容易だけど、歌詞は本当に誰でも『コピー』出来ちゃうから、そういう取り組み仕組みは難しいだろうね、膨大過ぎて。だから「やめろ」と言うしかないって面もあるだろうとは察する。ただ、それゆえに「歌詞のコピペで収益得てる」なんて人は現状まず居ないだろうね、少なくとも一般的SNSでは。そう思うと、そこまで締め付けなくてもいいんじゃあないか?って、少々"擁護"もしたくはなる。
たとえばさっきこの一連の中で『画像』を貼ったけど、あれも「本当はアウト」なんだよね。でも、グレーな状態で看過されてるのが実状。そう、つまり暗黙的に「見逃してくれてる」んだよね多くの場合(・ω・)人様のものを"利用"させていただく際、その事を忘れてはいけないと思う。
なお。だから僕は、たとえば放送間もないテレビ番組やらを丸々無断アップロードして神気取り、あまつさえ収入まで得てるような輩は大嫌いなのだが(・ω・)いかんせん、それらを堂々「話題の動画」と称しオススメしてくるYouTubeの姿勢は(笑)
ところで、なぜ『神』が生まれるかというと、「拝む人々がいるから」なんだよね(皮肉)
〜翌日〜
うわすげータイミング(笑)
【JASRAC、音楽教室から著作権料徴収へ 業界は反発「演奏権及ばない」】
もう解体したほうがいいんじゃないか一度(真顔)
まあね、ネットの普及が悪い風に作用して『タダで当たり前』みたいな認識が育ってしまって看過の度を過ぎてるってのも事実としてあるのはわかるのだけれど(´・ω・`)こうした施策が功を奏する/プラスに転じるとも思えないのよね。そりゃまあ少なくともカスラック自身の懐は僅かなりともプラスに転じるかもだが(笑)商業では無く文化としての「音楽振興」って立場から考えたら、益々遠ざける結果にしかならんと想うけどな(・ω・)
だからもうみんな自分で作ればいいんだよ(わりと真顔)
〜さらに翌日〜
【ヤマハ、河合など「音楽教育を守る会」結成 JASRACの徴収方針に反対】
そもそも芸術と商業は相容れぬ性格、端から無理のあるもので、この対立も利己対利己…などと言えなくもないが、さすがにそれを言っちゃあおしまい(じゃあ言うな)…てことで僕は反JASRAC側を支持。少なくとも彼らは文化としての音楽振興に寄与帰依してるからね、片やの利権ゴロと違って。芸術家の本懐は文化の振興(時に或る種信仰的でもあるけれど)そんな小さな愛の鐘。だが、あのゴロつき団体には愛が微塵も感じられん、もう金の音しか聞こえてこない。
ただの天下り先生に造詣も愛もあるわけないじゃない(考えるまでもなかった)
もはやNHKとタメ張るカルチャークラッシャー>>JASRAC
まあ、自力で創作・調達出来る人だけが気軽に楽しめる文化、高貴な趣味って風にしていきたいなら、どんどん締め付けていけばいいとは思うけどね、ぶっちゃけ戦前くらいの文化レベルに戻るだけのことだから(・ω・)でも利権じゃ食えなくなるよ。
いわば、自ら「庶民の娯楽」と仕立て煽っておいて、台所厳しくなったら「軽々に嗜むな」と梯子外しにかかってる様なもので、そりゃ反感も買うわな(・ω・)まあ新興の業種にはよくあることだけど(笑)文化として定着してるものとなると、事はそう易いもんじゃあない。
蛇足だが。まあ、僕程度の者でも、また、そうした委託を頼らぬ在野って立場だからこそ、著作物保守の大変さは知っている(´`)確かに面倒くさい、そりゃあ誰かに委せたくもなる、ましてスケールが大きくなればとても個人の手に負えるもんじゃあない。…でもねえ(何)
ちなみに、無断転載の取り締まりに日々追われまくってる個人事業主を知っている、もう傍目に「創作にかける時間が無くなるだろあれじゃあ…」ってレベル。そういった様子を目の当たりにしちゃうと「必要だよな」とは思うのよ管理管財代理人(・ω・)でもねえ…まあ何事も程々が丁度いいってことだな←
なお、念のため。
【追記】
【JASRAC「もう我慢の限界。JASRACの懐などというものは存在しない。全部アーティストに配分してる」】
>>119 これまでは相手が個人事業主レベルだったから傲慢に圧してこられたが、今回は大手企業団体の結束決起伴ってるからな。
>>143 この際ついでに言っちゃうと、少数の才能に多数の無能が集り過ぎな搾取の構造なんだよな(音楽業界に限らず)
(ここで言ってる"無能"とは、この場合あくまで「音楽的能力(作曲演奏歌唱etc)は無い」という旨。「なんの取り柄も無い」といった揶揄では無い(次項で"別の能力"について触れてるから分かるとは思うけど)念のため。)
職人気質の人間て商売下手というか金銭無頓着気味で(もちろん人にもよるけど)、そこを利用されるって面がある。そうしたところで、不得手を得手が支援する協力関係ってのが必要になるわけだから、かの団体はじめとした言わば"別の能力"の存在を否定はしない(昨日述べた通り)。が、やっぱりちょっと集り過ぎだよな。
職人肌芸術家肌ってのはおよそ「製作創作以外のあれやこれやに煩わされたくない」ものだから、金策だとか他人に委せてしまいがちなんだけど。これからは、もう少し商い事も勉強しないとダメかもわからんね(苦笑)我が身を立てるにも、寄生されないためにもね。
【追記2】
【JASRAC「農業に例えてみました。我々は収穫の時期を待っていただけ。何が悪いのか?」】
このツイ(※)"権利者"は作家だよな、JASRACではなく。作家自身の声なら聴くに値するけれど、お代官様が言っても説得力に欠けるよな(笑)魂の平行線
(※)「まとめ」の見出しは凡そ印象操作的であり恣意的なので、必ずソースを見て、自分の頭で判断していきたいものである(・ω・)
お代官様というか、野伏せり或いはモヒカン肩パッド的思想とも感じられる。
しかし何と戦ってるんだろう、この人。よほどヒマなんだろうか、日がなツイッター上で論戦に時間費やしてられるってのは。それこそ物を作り出す人間なら時間の浪費と避けそうなものだけれど、「これも仕事のうち」なのか?それこそ、胡座かいてても入ってくる不労所得でも無いと出来ない業だと想う←
何しろ、宦官の考える事とは、どこまで行っても『税収』という発想である。物作りに骨身を削る魂とは終ぞ相容れない(答えは出ている)
>>357 五大だぞ(NHK)https://t.co/o5rbj0kYQf
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月6日
【おすすめ】
これはなかなか見応えのあるスレ(まとめ)
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月7日
【音楽】JASRACが“カスラック”であることを裏付ける6つのエピソード https://t.co/E90RJgfzaP @ajyajyaさんから
今回は、世論がどう騒いでも恐らく事態は好転(と呼んでおく)しないんだけどね。たぶん某公共()放送以上の傲慢さで押し切る、その腹づもりじゃないかな。何故なら、あの団体自身は「世間に嫌われたって痛くも痒くもない」から。自分で物を産み出してるわけではない者の強みだよ(笑)まったくボロい商売だね利権屋ってのは、そりゃあやめられませんわなあ(やりたくもないが)
なんかまだまだ伸びそうなので新スレ立てる
2017年02月02日
ピッキング論<序>「自己正答化」
以上はGoogle+にて、ありがたい投稿を頂戴しての返信分。
それを基に、以下。
そう、僕「親指屈伸」サークルピッキング、殆ど使わないんですよ、エコノミー(スウィープ)の際に多少出てるくらいじゃないかな。「ピッキングスタイルの変遷」については、詳細に語るとなると非常に膨大になるのでまたの機会に譲るとして(←逃げた)、今回は屈伸に限ったお話。
先ず。見てもらえば分かると思うのだけれど、僕、ピックガードに指を着けないんですね。昔は着けてた時期もありましたけど、矯正しました。
ピックガードに指を着けると特に、単純な直線的ピッキングの"安定感"が増します。例として『一弦のトレモロピッキング(高速オルタネイト)』、単音で(開放でも)いいので試しに、普段「指着けスタイル」の人は、敢えて指を着けずにやってみてください、おそらく思うようにならない、「フラつく」ように感じるのではないでしょうか。
で、僕、それを嫌って矯正したんです、「(着けるのは)なんかズルしてるようなカンジする」みたいな(笑)や、それもまったくの冗談では無いんですが、最も大きな(矯正の)理由としてあったのは、「(着けないほうが)音に"弾み"が増す」と感じたからです。まあ、物理的感触も含めてあくまで「感覚的」なものなんですけどね。とにかく、より「手首スナップ」の方向に切り替えたってところでしょうか。
さて。いわゆるコードストロークを行う際なんかは当然ですが、ジャズ系のプレイヤーなんかだと、常に完全に手首フリー「宙ぶらりん」なのも珍しくありません。しかし、大音量のオーヴァードライブサウンドを駆使するロックなどでは"ブリッジミュート"も重要な、必須と言ってよいファクターになります(※ここで言う"ブリッジミュート"とは奏法としてのそれでは無く消音/ノイズ防止策と捉えておいてください)。
僕の主軸サウンドスタイルも、それを必須とします。なので、基本的には「ブリッジに手の甲を乗せて」いますが、自宅練習時なんかは手首フリー(宙ぶらりん)でやってることが実は多いです。手を接地するという"補助"(あるいは"拘束")が無いから、純粋な「手首スナップ」の修練になるんです。
あ、そうそう、もうひとつありました、ボディに手を着けなくした理由。アコギ弾くときボディに指着けてると音に影響(響きが殺されたり余計な音が乗ったり)ありそうと嫌ったってのもありました。
さて、ここで屈伸の話。
まあそんなカンジで、紆余曲折あったものの「手首(の振り)で弾く」って点、その心がけに関しては一貫してたんですね、ビギナーの頃から。なので、「指の屈伸使うってのは選択肢に入ってこなかった」というのが実のところかもしれません。ついでに言うと、イングヴェイしかり、映像で見て(屈伸多用してるのは)分かってはいましたけど、「全く同じにして良い結果が出るとは限らない、そもそも手の大きさも違う、自分には自分のベストがあるはずだ(時間かかってもそれを自分で見出そう)」なんて思って、そこまでは真似しませんでしたね(笑)
(ちなみに、親指の関節自体はワリと柔らかいほうだと思います、逆反りも出来ます、ていうか昔々は逆反りで弾いてた時期もありました(※但し「逆アングル」では無い)。なお、反るのは右親指だけ、左親指は全く反らない。元々こうだったのか、ギター弾く様になった結果こうなったのかは、もはや不明。)
ぶっちゃけた話。イングヴェイフォロワーの人って右手の弾き方のみならず"置き方"までもソックリ真似てる人多いなあと思うんですけど、どうでしょう。あれ、本物(インギー)は手がデカいから"自然とあの格好になってる"んじゃあないかって思うところもあるんですよね(ちなみに握手したことあるのでデカさはよ〜くわかってます)対して…まあ欧米人はおしなべてデカめですが…平均的日本人の掌サイズであの置き方って"不自然"いわば不合理な気もするんですよね。例えば「弦跳び(スキッピング)」の際、あれくらいデカいと少しの動き、それこそ指の動きだけでも軽く跳躍出来そうですが…
…言わんとしてるところ、わかりました?(・ω・)実は実は、この点もまた僕の「着けないスタイル」に繋がってるんです。手首固定して指コネコネは「直線的速度」を重視するスタイルには向いてる(体力的にもエコノミー)と言えますが…手首スナップのほうがいろいろ応用も利くんですよ(もちろん実際には複合的/併せ技なわけですが)、少なくとも僕程度の掌サイズだと。
…もう、この際ホントぶっちゃけちゃうとね。手首使わず(使えず)ひたすらハナから指コネコネしてる自称「速弾き」って"実はヘタクソ"な人が多いです(何がどうヘタクソ(駄目)なのかを具体的に述べることは出来ますが本題から外れるし、ともすると「こきおろし」にもなるんで、ここで細を穿つのはやめておきます)
以上…つってもまあ、あくまで僕の場合であり僕の主観ですから。物理的力学的合理性を追求すればもちろん一定の解/模範に辿り着くとは思います、古典方面におけるアーティキュレーションしかり。しかし、それにしたって肉体的特徴やなんかは、およそ考慮されてはいない。表現の庭において、模範解答イコール絶対の正答では無い、と僕は考えます。
こと「自分で作る」人の場合、誰かとソックリのままでは、結局その人の下位互換に留まる事にもなりかねません。そこのところで言うなら「僕とインギーとでは(影響こそ大きく受けてるけど)根の音楽性が違うから弾き方も異なる形に成っていったのは必定自然」…とも。要は、見てくれのあり方じゃあなくて出てくる音、鳴らすべき(求める)音ですから。そういう意味では、「(弾き方なんてのは)わりとどうでもいい」(笑)そう、僕には僕の、あなたにはあなたのベストがあるはずです、それを模索し確定させる、いわば「自己正答化」です(^皿^)なんちて
ではまた、いずれ(<序>があるからってすぐに続くわけではありません←)
うーん、なんか、一部拾い読むと、ちんちんの話してるみたいだな。
2017年01月30日
りま☆すた
で、せっかくだから(旧版を気に入ってくれてた人のためにも)公開しようと、そういう流れです。決して過去ネタで茶を濁す(手抜き)とかじゃあないんですよ、いやマジで(・ω・)そんなカンジでダブルミーニングなOPTIMISATION。
既公開の所謂"ネオクラ"系ネタの高音質化及び一元化、各曲の詳細については各々の過去ログ御参照 (This is a for high quality sound and unification of publicly known so-called "neocla" story. refer to each past log for details of each song.)
"Raging Fire" HAYATEBUNE (Playing with TAB)
"Beginner" AKB48 (sounds low)
"Jet To Jet" ALCATRAZZ https://youtu.be/SH-6Jsn7c5c (sounds low)
エンドクレジット、スペルミスってることに気付く(^ω^;)やっちまったな
× Biginner
○ Beginner
【第二弾】OPTIMISATION #2
2017年01月27日
原点的には「遊技場」
ジ・アウトテイクス・オブ・疾風船(大袈裟)その1#respect #vivaldi #test #guitarplaying #fender pic.twitter.com/1jrZHQrmD4
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月27日
ちなみにこれ、先日のVANHALENネタ同様"本物バックトラック"なんだけど、かなりラフな録音である事が一層よくわかる、「酒でも飲みながら叩いたのか?」ってくらいハシリモタリが顕著(笑)でも、不思議と合っちゃうんだよなあ、ライブ感。https://t.co/nm9OQLyU6t
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月27日
>>先日のVANHALENネタ
それもあわせて纏めたのをYouTubeにもいちおう上げておいたけど、一部そして市販品でないとはいえ"本物"を使ってるから消されるかもね?(そこんとこも含めて今このテの遊戯にはツイッターが丁度いいカンジなのである僕としては)
2017年01月25日
ああ!!あああああ!!こんなんありかよ!!!
【東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか】
「女性とか子どもとか意識しない」←少し前この点に関し言及したら女性から「差別的」みたいなリプ飛んできた事あったんだけど…どれだけ「優遇」されてるか認識無いんだなと残念に思った(笑)
このときね。
邦画関係者「邦画をクソというな!がんばってるんだぞ!」という話題と同時にシビルウォーの日本版イメージソングがEXILEのATSUSHIという話題が並んでるって皮肉この上ない(´ω`;)いくら現場が頑張っても売り方その姿勢がね…もう女子供に媚びるしか能がないって感じで萎えるよね。
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年4月11日
【庵野秀明監督、シンゴジラ制作の東宝にブチ切れていた】
やっぱ今の上層部の無能っぷりはガチなんだな知ってたけど(ここまでの一連他御参照)。シンゴジには"自主制作映画"の香りが在るんだよな勿論好い意味で、ルーカスの私作品だったかつてのSWの様な(★)
それでも結局は作家に対し折れただけ今回の事で進歩したのかもな、そう願いたい。如何に商業とはいえ「今こういうのがウケる」ばかりで物作ってたら文化は暫時矮小化していくよ、何もかもを凡人に合わせてたら。送り手は凡人を釣り上げるのでは無く「引っ張り上げる」くらいの志し、傲慢さを持つべき。
「こうしておけばあいつら喜ぶだろ」みたいな或る意味客をバカにした物作りしちゃあダメだよ送り手は、そういうのが『子供騙し』ってもので、すると客は成長成熟しない→以後繰り返しで互いに水準低下していく。このサイクル/スパイラルを #エナジードレインの応酬 と言う。
賞とかわりとどうでもいいと考えてる僕だけれど、技術賞系以外、所謂"主要部門"にゴジラが食い込む日が来た/無視出来ない物を完成させたって事実は、それなり感慨深いし何より賞賛したい。なお(・ω・)"不要部門"なんて無いんですけどね。https://t.co/eQTVIrGEtC
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月16日
【余談】
ついでに書こう。
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月15日
エンドクレジット最後メカゴジラのテーマ(平成)が流れるじゃんか、使用された伊福部楽曲中で唯一ステレオ音源の。あれ、なんか含みあるのかなって穿ってしまったんだよね「もしかして次はメカゴジラっていう?」とか(笑)https://t.co/kg4yx7fYqZ
そう、それでこんな妄想をしたって話w
活動停止したゴジラを超鋼製拘束具で覆い封じる作戦、通称『石棺』を実施するも(中略)鋼の鎧を纏い再び動き出したその姿は、さながら機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナであった…
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月13日
…という『シン・メカゴジラの逆襲』が進行中(僕の脳内だけで)
(★)
EDに触れたからOPにも触れよう。
— ェド(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年2月15日
以前下掲の如く書いたけど、それは印象のみならず具体的共通点があって。それはOPにスタッフ/キャストの表記が一切無いこと。これ通常の商業映画では珍しいというか許されない事だったり。詳しくは自習せよ←https://t.co/jcLMCGKylT
私は好きにした、君らも好きにしろ
この際だからシンゴジ否定派について言及しよう。絶賛の一方で、おそらく『アンチ』と呼んで差し支えないほど荒れてる向きも在るだろうなと思う、それこそ「冒涜だ!」ってな感じで。また、ことさら必要以上に「エヴァ」という"偏見"を端から持って当たってる向きがあろうことも容易に想像がつく。
僕個人は、そういう態度って、ぶっちゃけ「くだらない/つまらない思考停止と色眼鏡だなあ」と思う(・ω・)すまんけど。物心ついた時からゴジラ好きで、初放送時からエヴァ好きでもある僕にとっては、もう単純に「旨味しかな」かった(笑)さらに言うと、これまた"必要以上に"エヴァに関連付けたがってるご新規さんのことも気に入らないんだろうね、いわゆる「ニワカどもが!」な感情で。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。よくアニオタドルオタって批判されてるけど、特ヲタってのも、子供じみててタチ悪いの多いからねえ…僕が言うのもなんだけれど←
まあ、「ボクが一番詳しい!ボクが作ったほうが絶対イイ!」っていう幼さ(・ω・)で、それまでクサしてたものを手のひら返して上げてでも今を叩こうとするのも、これもう昔から、伝統行事みたいなもんだから(笑)かく言う僕は初ゴジ原理主義者(自称)だけれど。なにしろ、過去に凝り固まり取り憑かれて新しきを楽しめない人生なんて、実につまらない(・ω・)それは「拘り」とは違うなあ、「可哀相」とすら思う。温故知新という言葉があってだね(ry
ああ、そうだ。音楽に関しても「エヴァの使い回しだ!」などと憤ってる(叩き材料としてる)向きを見かけたのだけれど、それ言ったら伊福部音楽も使い回しだよね、むしろあっちと違って新録さえしてないんだし(・ω・)ていうか鉄人28号白昼の残月における伊福部音楽の流用は絶賛してたような。
まあ、つまりだね。内容云々さて置いてとにかく主にエヴァ(と、その世代)が気に入らないんだろうなって感じ(笑)そういうの(´・ω・`)同じオジサンとしてオジサンは悲しいのです(まゆしぃ調で)
なお、以前も書いたが、僕はシンゴジ=「エヴァっぽい」ではなく「庵野世界」だと思っている、作家性・表現手法ね(※)で、"それ自体が口に合わない"ってのは、もうしょうがないよねってハナシ。
※それ故に。エヴァ好きでもあるけれど、殊更にエヴァと並べこじつけ語る方向は好まない。
とまあ、いずれにも明るく斯様に中道を行く僕だからこそ( ˘ω˘ )こういうこともサラリと出来るわけですよ(尊大)https://t.co/VZczBirOSz
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年11月24日
【庵野秀明監督に聞く・動画付き】シン・ゴジラで重ねた無理とは?
>>ストレスだったのは、「主人公の恋人や家族の問題などの人間ドラマを入れてほしい」という、プロデューサーの要求でした。
アッハッハ。゚(゚´ω`゚)゚。もういかにもな話
それこそギャレゴジなんかも、モロそれだったしね(・ω・)民間人にあらず軍属でこそあるけれど、つまるところは彼のダイハードっぷりが全編の大半を占めてたものね(笑)
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年11月19日
作家に「ストレス」と言い切られてて草。いやもうホンマに『泣ける商法』に浸かり染まりきっとるんやな上の方(・ω・)「気持ち悪い」←
活動停止したゴジラを超鋼製拘束具で覆い封じる作戦、通称『石棺』を実施するも(中略)鋼の鎧を纏い再び動き出したその姿は、さながら機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナであった…
…という『シン・メカゴジラの逆襲』が進行中(僕の脳内だけで)
しかしここが数年後に戦闘指揮所になろうなどとは夢にも思わず。先取りで聖地巡礼していた感(僕ご満悦) #シンゴジラ pic.twitter.com/vS7AbAISA6
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月13日
ところで。思わず口にしたくなる、口にするだけで何だか心躍る、そういう意味での今年の真の流行語は『無人在来線爆弾』だと僕は思うのだ(`・ω・´)なお、次点:『ケルヒャー』
すなわちシン・流行語(自分の中で)
バケットホイールエクスカベーターには生頼メカゴジラ的な萌え/燃えを覚えるのだ僕的には。https://t.co/rmMBHySETd pic.twitter.com/zsCmIep89z
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月13日
というわけで、ゴジラ対バケットホイールエクスカベーター(長い) #雑コラ
その4へ、つづく。
八塩折之酒
【ゴジラ:初の劇場版アニメに!「まどマギ」虚淵玄の脚本で17年公開】
これは意外な展開、意欲的だな東宝。ゴジラには伝統芸能というかバイブル的な呪縛の様なものも少なからずあって。冒涜紙一重で見事"新約"せしめたシンゴジに続く革新成るか。
原点回帰的なのに冒涜紙一重とはどういうことか?それは(・ω・)ネタバレ無しで語るのだいぶ困難だから今はカンベンしていただきたい。まあ…例えばジーザス・クライストを「いち人間」として扱い描いたら、それはもう物議を醸したわけですよ教圏じゃ。でも神性ってのは感じさせ方(描き方)次第でもあって、つまり俗世と属性は並び立たたずってものでは無…だめだネタバレ避けようとすると妙な禅問答じみてくる(笑)
昨日ちょうど考えていたのです、ゾク・ゴジラ云々(・ω・)あれだけの物創られたらそりゃ「もういっちょ頼む(期待)」って気持ち解る、でも庵野氏の作家性を想うとそれ実現難しそうって思ったり、しかし他の誰かにあの続き作れってのはあらゆる意味で酷だし観たくもないような…とかね、グルグルと。
そんな風に考えていて行き着いたのは「あの続き(もしくはあの路線)で無い物ねだりをするくらいならばいっそのこと『ゾク・ゴジラ』でいいんじゃない」だった、「俗」ね(・ω・)つまりファミリー向け路線てこと、べつにネガティブな意味じゃあなくてね?むしろ本数的には主な在来線←
と、そんなところへ出てきたこの話題ゆえ(・ω・)「そういうチャレンジもアリだよな」と思うのでした(わりと好意的に)正直なところ。あれは現実の投影だから、あの路線であの次元の爆発力を期待した場合、また何か未曽有の事態が現実に起こりでもしないとね(それはまっぴらごめんだ)みたいな(・ω・)そんで「もしも再度やるなら今度は対決ものやりたいんじゃないだろうか?」なんてことも想う。出し切ってるもの。ていうか「対決ものってことならいっそウルトラやりたい」って想像もする(笑)…や、今回の成功を見て円谷が働きかける可能性もゼロでは無い(妄想)
広義にはウルトラさんも「巨大不明生物」だものね(笑)劇場版ULTRAMANとかそれなりリアル寄りだったけど、ファンタジー色を完全に排したSFシリアスだとどう扱われるのか見てみたい気もする、観てる側にも誰(何者)なのか全くわからないってミステリー調で。…でもその線だとほぼ平成ガメラの焼き直しになるんだよなあ(没)
DVD/BDの特典で新撮映像『巨災対のいちばん長い日』とかやってほしいな。リアルなポリティカル要素が特筆されがちだけど、明快スペクタキュラーな娯楽作としても楽しめるし、怒涛の会話劇(笑)として見ても面白いのがシン・ゴジラ。
先の『シン・ゴジラ』、そして『君の名は』と、ここ10年来定番となってた「クソみたいな"共感"宣伝展開」せずしての大ヒットが続いてイイカンジ!と思っていたのに(``)なんでここに及んでそう出るんだよ?よほど根深いようだな業界内部の自家中毒は。
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年9月21日
「民間の描写が少ない」とかいう論評がちょいちょいあるけど、あれはつまり「現実」を突きつけてると思う(・ω・)実際には民間人に手出しなど出来ない、絵的にも怯え身を守るくらいなのだ。ハリウッド映画的な、事態に直接関わる偶然の英雄に目が慣れ過ぎてるのかもね(と思う)それこそギャレゴジなんかも、モロそれだったしね(・ω・)民間人にあらず軍属でこそあるけれど、つまるところは彼のダイハードっぷりが全編の大半を占めてたものね(笑)
昔からディザスター映画の多くは、共感し易い即ち「一般目線」に近いところに視点を置く傾向があって。それはかつてのゴジラ映画でも見受けられたもの(如何にして(民間人を)事態(ゴジラ)に関わらせるか)。そこを敢えて、"311という現実"を経てバッサリ削ぎ落としたのがシン・ゴジラかなと。
★ここでひとつ自薦、あわせて読んでもらえるとありがたい。
【ディスガスティングディストピア】
【「カラー10周年記念展」フォトレポート(ネタバレあり):シン・ゴジラ“形態変化”は「東宝さんに嫌がられました」庵野監督が語る裏話】
だろうなあ、既存の"歴史"からすれば「冒涜」ものだもの(笑)だがそれも出来栄えでねじ伏せた(喝采)
言わば(少なくともイメージを)根源的に覆したからね、「私は見た!確かにジュラ紀の生物だ!」に始まり連なった、ゴジラ=恐竜の生き残り伝承。
いやあれは本当に衝撃だったよ、川遡る背鰭で完全にヤツだと思ってたら「え…な、なんかキモいの出てきた!なにコイツ、もしかして敵怪獣?これって実はVSものだったの!?」って激しい困惑を楽しめた、情報完全シャットアウトしてたおかげ(笑)なお、そこからの急速進化で更に衝撃受けたのは言うまでもない(言ってるが)そりゃもうオジサンにしてみりゃあ(・ω・)ゴジラという常識・固定観念をスコーン!と覆された思いだったさ(好い意味で)
なお、シンゴジから入った若い世代が初代観てジュラ紀=200万年前と覚えてしまいやしないかとオジサンはちょっぴり心配している(笑)
え?「それ以前にイグアナがあるだろ」?なにそれ知らない←
その3へ、つづく。
無人在来線爆弾
と、そんなカンジで多少のネタバレも含みつつ時系列的に
しかし雑多に、シンゴジ関連発言 on Twitterまとめ。
(製作発表/公開前)
2011年3月。大地震に伴った例の件をテレビで目の当たりにしたとき、僕は「ああ、もう日本でゴジラを作ることは出来ないかもしれない」と思った、マジでそう思った。と同時に、「ならばこそ新たに示すべき」とも思った(・ω・)お察しください
ところでこの題名『シン・ゴジラ』、新とか真とか神とか色々あるけれど、僕は勝手に"Sin"と解釈していたりする(・ω・)罪科
「怖い」のは本来当たり前として。グロいとか言われてるけど、めっちゃカッコいいじゃあないか!あの発光でバーニングゴジラと比して云々もされそうだけど、個人的にはGMKゴジラのゾンビ感を押し進めた様なというか、血みどろ感。また、生頼ゴジラ(1984のポスター)を彷彿もした。
一見さんおことわり的な悪マニアみたいなうるさいこと言いたくはないのだけれど、どうしてもこれだけは言いたい。「新しいゴジラ死んだ魚みたいな目なにあれ」とか言ってる人って恐らく第一作観てないんだろうな(´・ω・`)ヘタするとGMK白眼ゴジラすら知らないんだろうな。なんでよく知らんものにわざわざ難癖つけるのか、ツイッターらしいっちゃらしいが(ほめてない)
不安が無いわけではない(・ω・)それはもう色々とある。しかしとりあえず「カッコいい絵」を見せてくれるだろうって点に限っては何の不安もない、「特ヲタの琴線に触れる絵」と言ったほうが正しいのかもしれないけど。
どこまで踏み込んでるのかなあ脚本。ゴジラ本来のディザスター属性それを語ること自体がタブーみたくなってるからなあ今(お察し)そんな今だからこそって思うのだけれど(それが出自であったわけで)でもあの予告観る限り、そのへん真っ直ぐニオわせてるように感じた、人間パートの現場の見た目が"当時"をとても彷彿させた(お察し)
不幸にも生まれてしまったこの国でゴジラは再び生きられるのかその存在を許されるのかって話よ、皮肉皮肉アンド皮肉な現実と虚構のクロスオーバーよ(・ω・)個人的には、気遣いの為に自罰さえできなくなったら「終わり」だと思う。
もしも現代だったら、あの時期ガメラもvsデストロイアも、公開差し止めまでは行かずとも非難の憂き目に遭ってたかも、なんて思うことがあるのだ(・ω・)わかる人はわかると思う、それくらい今は「腫れ物に触るよう」なのだ。
★ここでひとつ自薦、あわせて読んでもらえるとありがたい。
【ディスガスティングディストピア】
よもや公開後
「感動しました!」
「すっごい迫力があってぇー」
「ゴジラ、さいこぉーっ(はぁと)」
…みたいなCM、やらないよな?ゴジラに限っては(`ω`;)まさかな(不安)
(以下、公開後)
その最期、芹沢博士は言いました「幸福に暮らせよ」と(・ω・)色々あるけど大変だけれど、だからこそ、いまシン・ゴジラを観ることが出来る、それは幸福です。敢えて呼ぼう、この時に生き居合わせたことを"幸福"と。 日本よ、これが「必見」だ。 #シンゴジラ
僕が「ゴジラ(1954)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と思ってきたように未来の誰かが必ず思うだろう「ゴジラ(2016)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と(・ω・)だから悪いことは言わない、劇場へ行くんだ。
「ゴジラ」シリーズ見た人1億人突破 実写映画で初 | NHKニュース https://t.co/ux8LM43qOA
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月3日
だからってんで言うまでもないけど名実共に国民的シリーズですな、そして最新作は初代に勝るとも劣らぬ一大傑作だ、一億総鑑賞していい(・ω・)don't miss!
公開前というか(製作が)決まった時点で不安視したのは、そりゃ内容はもちろんだけど、生粋のゴジラファンとエヴァファン言わば庵野新規がヘンに衝突しやしないかなって事だったんだけど、蓋を開けてみれば概ね(?)仲良く楽しんでる様で、それがまた嬉しかったりするのですよおじさんは(´ω`*)
まあ勿論ね、中には居ると思うんですよ新規を快く思ってない向きも、ぶっちゃけ特ヲタってのも一部鉄ヲタの如くかなりアレな人はいるから。でもそのタイプはどうやったってボクが一番わかってるんだ!的で、決して満足することはないし謎の無敵状態な人なので(笑)新規の若人にはあまり気にしないでもらいたいなとw
ただし。エヴァと並列的に考察というか結びつけようとしてる向き数多だけれど、僕は、そこは「ファンサービスサービスぅ!」くらいに捉えおいてる、僕自身エヴァヲタでもあるので、エヴァ好きが深読み好きなのは重々承知してるけど(笑)だから「エヴァっぽい」というより「庵野秀明だなあ」ってこと。
それこそが作家性ってやつであり、つまり『庵野秀明の世界』ってことだと捉えてる、舞台や設定が直接的に云々ではなくてね(その上で、次回エヴァには逆にシンゴジ観た人がニヤリとするようなエッセンスが現れてもくるかもなあなどとちょっぴり楽しみにしてたり)
こんなご質問が僕のところに寄せられていたので、ここにも併せて。
Q シン・ゴジラに興味深々なんですが、ゴジラシリーズを見たことの無い僕でも大丈夫でしょうか?
A ぶっちゃけ「シリーズ」と言っても作品ごと独立してるようなもの(時には「リセット」さえしてる、今回もそう)なので、鑑賞に当たり連続性を気にする必要は無いと言っても過言ではない。なので、問題ない、それどころかあれで初体験というのもある種の幸運だと僕は思うくらいだ、是非!
だから「シリーズ」つってもね、寅さんとか釣りバカみたいなものと思っていいのよ。って言い切っちゃうと、またぞろ一部のうるさ型マニア(自称)がグジりそうだけど(笑)
や、マジな話、そういう一部ファンが醸す「一見さんお断り」的な排他性(自分を優位とする態度)が、特撮モノをニッチな市場へと結果的に追いやってきたって側面もあると思うのよ。例えばさっきのような質疑応答にしたって、あそこで早口で知識まくしたてられたら「あー…」って萎縮しちゃう(ハッキリ言うと"ヒく")って(笑)
近ごろよく話題に上る一部鉄道ファン然り、必ず存在するんだよね、そういう、「結果的に愛情の対象の足を引っ張るファン」て。たとえば現場で勝手に自分たちに都合よく場を仕切り始める○ートルズや○トーンズの自称古参直参とかさ(お察し)ぶっちゃけ言うが、そういった彼らはだいぶ精神性が幼稚だからね、「ボクが!ボクが!ボクが一番わかってるんだ!」って、たとえるならば、まだダメ坊だったころのアムロ・レイみたいなもん(・ω・)大きなお子さまなんだよ。
まあ、自身の能力特技、その部分においてはそれくらい傲慢だっていいとすら思うけれど(自信てことだから)ね、腐ってもアムロには実力あったしね(笑)だかしかし他力、他人の功績に寄生し依存してのそれはね、「僕の友達のお父さんが社長(ドヤァ)」並みの空虚。
ところで。シン・ゴジラを「国策映画」などと評し真顔で訴える向きの存在というのは「極度に偏った思想は鑑賞眼をも曇らせ歪ませる」という事がよくわかる事象(・ω・)まあ予測の範疇だったわけだけれど、実際に現れると失笑を禁じ得ない(笑)
や、マジな話「それ一体どこをどう観たの?」ってカンジだよね(・ω・)ネタバレになるからふせた書き方するけれど、では何故"あの人たち"は○国の決定に憤りすら見せ「なんとしても"それ"だけは使わせない」と必死だったんですかねえ?ってハナシですよ。その様はいっそ「中立的」でさえ在る。まあ何せ偏ったものの見方(解釈そして利用)しか出来なくなるってのは怖ろしいことだ(・ω・)そういう残酷なテーゼ←
つまるところ「逆張り」でしか主張も定立も出来ない、それを自ら晒し上げてる様なもの。それまさに文字通り「極端」ということ。中庸を「どっちつかず」とか「ノンポリ」とか蔑んで悦に入るくらいしか自己確立の術を持たないのだろう(・ω・)"アンバランス"を賢しらに振り下ろされてもね?って話。
なお、また一方で
「シン・ゴジラでも自衛隊が活躍。国民が支持」安倍首相:朝日新聞デジタル https://t.co/2wuiqzpBgM
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年9月13日
こういう「芸術の都合よい利用」は正直言っていただけない、作品に妙な色付け/おかしな偏見を招く。ていうかせめて自分の目で観てから語ろうかアベちゃん(`ω`;)
とりあえずここで一区切り(つづく)
2017年01月24日
りふらふ
丁度10年前に『"Ex" -Riff- for Beginner』というのを上げた事があった。そんな感じで。 pic.twitter.com/9aIdNkpPV9
— ed(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月24日
なお、詳細解説(?)は、こちらで。
【追記】
せっかくなのでYouTubeにも上げました
(当然の如く動画品質はこちらが上)
2017年01月19日
???「自分さえよければいいの」
替え歌って子供が勝手にふざけて歌って都市伝説的に廻るレベルに留まるべき物だと僕は考える。原作著作者の着想や意図を著しく損ねる様な改変を商用とするのは好きじゃない。例えば、表現の自由とか言うけれど、それは所詮他人の褌だし、事によると作者の意志尊厳を傷付ける場合があるからね。かつてあった替え歌ブームや、古典にヘンな歌詞つけて用いてるCM(これは今でもよく見かける)なんかも昔から好きでは無い、「そっちに引っ張られてしまう」からね。
更にまた例えば。とある『真面目な動画』が在るとして。そこに面白可笑しなコメントが流れると、それに引っ張られる視聴者が現れる。すると本来の意図(作者の意志)からかけ離れた『お笑い動画』へと変じる事も起こり得るのだ。こう例えるとわかりやすいんじゃないかな現代的には(★)
すると、かのトッカータとフーガだって『チロリーン!鼻から牛乳〜』という認識になるわけである。や、"楽しみ方は人それぞれ"とか言ってもね、もしもバッハが生きてたら決して気分よくは無かったと思うよ(笑)それこそこの作者氏のように「やめてくれ」と訴え出たかもしれない(・ω・)そこが尊厳
そもそもこれの場合、おうかがい立てたまではよかったけれど、許可が下りなかったのに勝手に発売しちゃったんでしょ?そりゃあ論外ってもの、怒って当然だと思うよ。
だから、"人それぞれ"とは、個人レベルに留めておくべき、ということ。原典に敬意を払っていない改変を大々的に広告布告するのは原典に対する侮辱となり得る、ましてや、それで物質的利益を得ようというのは品位を欠いた行為だと僕は思う(・ω・)ついでにこれは礼節をも欠いてるよね。
だから僕はカヴァーアレンジに際しては、努めて「真面目に」取り組む(茶化さない)ことを心掛けているし、それについては金銭を頂かないとも決めている(・ω・)勿論、如何にそう努めたところで感じ方は"人それぞれ"だから、理解されない事もあれば「冒涜だ」と受け取られる事もあるだろうけどね。
ついでに言うけど、"マジ"を茶化して笑いをとるって風潮、好きじゃあないんだよね。こと近年のテレビってそんな感じ(・ω・)「イジリ」とか言ってね。その場を席巻してる人々の落とし処が「笑い」そこに帰結すべき立場の人達だから仕方の無い潮流なのかもだけれど。かと思えば「泣ける〜」って(・ω・)もうその0か100の二択ってかんじ、テレビが躁鬱化してるみたい。ちょいとウンザリなんだよね。
★ちなみにこれは「ニコニコ動画を利用しなかった理由」である。ごく初期はまだしも、低年齢化始まってからはもう、そういう危うさを酷く感じたんだよね。もちろん「性に合わない(領域が違う)」って直感もあったけど(笑)なお、当時「性に(肌に)合う」と感じていたYouTubeも"今は昔"である(お察し)
閑話休題。
ここで漸くこれである、レス番 >>27 をご覧いただきたい。
【「森のくまさん」パロディ曲、作詞家が著作権侵害を主張 芸人のパーマ大佐らに300万円請求】
つまり本件『コバンザメ同士の図々しくも矮小な争い』という可能性(・ω・)それはまるで近年のユーチューバーを筆頭とした跳梁その映し絵の様だ(これを言いたかった)
冒頭から滔々と権利者保護養護の立場で綴ったのは、敢えてのこの為だ(・ω・)不当を糾弾するには先ず己が正当性を示さなくてはならない。というわけで、この自称権利者もまた相当に胡散臭いわけだ。それこそ作者不在(不詳)であれば「何とでも言える」というわけだ"替え歌"よろしく。
(ちなみに。あまり知られていない様だけれど例の『○の風』実はあれもまたかなり胡散臭いんだよね(・ω・)知りたければ勝手にググッてほしい)
著作権の脆弱性というか、そこにワラワラとタカる輩の存在。これ、こうした個人間(と敢えて言う)レベルだけで起きてるわけじゃなくて、企業を騙る次元の輩も存在するからね、気をつけたほうがいい。たとえばYouTubeでカヴァー動画を上げる→権利者を名乗る者(社)が収益の分配を要求してくる(※この段階では収益の有無(設定の可否)は関係無い)→ホイホイと了承すると全くなんの労も払ってない輩に分配金が…というシステム(・ω・)だから相手をよく調べたほうがいいよ。
ていうか、そういうのを承諾/野放してる運営が先ず問題なのだが(笑)まあ最近は努力したのか減ったみたいだね、あんまり見なくなった。一時期凄く多かったからね、架空の権利団体、一度なんか僕のオリジナルに対して権利主張してきたアホもいたからな(笑)YouTubeに上がってるのはコピー/カヴァーばかりとでも思っていたのか、はたまた無差別絨毯爆撃していたのかは知らないけれど(・ω・)まあさすがに一蹴でしたわ。
なお、転売屋ならぬ転載屋(・ω・)これまたコバンザメの典型だね、まあコバンザメはお掃除屋さんて側面もあるからありがたかったりもするけれど、アイツらは何のありがたみも無い(笑)いわく「広めてやってる」とか言うけれど、だったら元のリンク貼るなりすればいいことであって(以下略)
とまあこういうこと言ってると「そんな気にせずとも」と思う向きもあるだろう、こと物作り的な事に拘っていなければ。でも例えば、あなたの発言がRTやらじゃなくコピぺ(所謂パクツイ)され、あまつさえ余所で大反響呼んでたりしたらどうだろう。そう想うと少しは御理解頂けるのではないか。何か作品を発表→それをパクられたってまでの経験をした人はそう多くないかもだけど、パクツイで嫌な思いをしたってな人はそれなり居ると思うんだよね(・ω・)「手柄を盗まれた」じゃあ無いけれど、まあそんなカンジ。
どっかで拾った"受け売り"を、さも自分のオリジナル発言かの如く披露して、それが大量にイイネされてたりって光景、たぶん日常茶飯事だと思う(笑)で、それはツイッターに限った事じゃあ無い、そういう現状。何しろ他人に対する敬意が無いんだろうね、"自分さえよければいい"の。
この風潮、誰でも『数字』を得られる可能性と共に加速度的に増した様に思う。それはたとえば人数だったり金銭だったり色々だけれど、それありき・それが為に行動するってのは、美しくは無いよな。可能性それ自体は、悪い事じゃあ無いんだけどね(・ω・)結果、跳梁跋扈に成り果てるってのは、何とも。
「正直者が馬鹿を見る」とは、よく言ったものである。まあおよそ欲は欲をかかなきゃ充たせない、例えばお金にしたって求めるからこそ懐に呼び込めるものであって、そういう意味では彼らは自分に正直なのだろうけど(笑)僕は好きには成れないし、成りたくないなあ(これが貧乏性というやつか)向上心と上昇志向を履き違えたくは無いよね(・ω・)一芸と一発芸を混同しない程度には。
今の。人によっては「特定の誰かを暗示している」とか思われそうだから言っておくけど、ピコ太郎のことじゃないよ(笑)や、だってあの人は"オリジナル"じゃんか。面白いかはまた別にして、その一点だけでもう一定の敬意を持ってるよ。
この際だから記しておこう。僕がPPAPを見た時の感想は「あーなるほど外国(こと英語圏)の人には面白いかもね」だった。ゆえに(英語力平均激低の)日本で面白さってわかるのかな?とも思った、ていうかぶっちゃけ「本当に面白いと思ってるのかな?」と、いまだ懐疑的だ←
で、個人的には、その後に見たグラサンのやつ(トントンてやつ)のほうが単純に、悪い意味でなく「くだらねーwww」って可笑しかった(・ω・)平均的日本人にはこっちのほうが"向いてる"んじゃないか?とも。
権威が「良い」と言えばそれに倣うのが日本の悪い癖だからな(意味深)
とまあそんなかんじ。穿ったこと言うなら、「変に方向性揺らがない様に活動続けてほしい」と思う。あれだけ大きくなっちゃうと、様々な"狭間"で迷いも生じそうだからね。初心忘るべからず、妙な色気に惑わされること無く、元通り、ただやりたいことをやっていただきたい。
ついでに。
しかし、彼を起用してるCM群(企業)はアホなのかと思う。一様にPPAPのそれこそ「替え歌」だから、かえってどこのCMだったかそれぞれ印象に残らない事態になってる(笑)時の人を利用するなら好きにやらせてみるのも才覚だと思うがな(・ω・)もう皆顔は知ってんだし。もっと言えば、そういう使い方するから『一発屋』にもしちゃうんだよ、これはもう毎度そうで、"流行ってる"ネタばっかり、それこそ一発芸かの如くやらせて「それしか無い」ような印象を与えてしまう、悪い癖。まるで使い捨て前提じゃないか。
ところで『YouTuber』って一体なんなんですかね?てのは先日の電鋸男の「YouTuberナメとったらアカンぞコラ!」(笑)という迷言に思ったこと。例えば演劇音楽絵画etcなら方向性違ったり相容れなかったりしつつも確固たる其れが在るわけじゃないですか「旗印」として。 でも『YouTuber』ってのは、なんなんですかね?何/何処を目指してるんだろうっていうね(・ω・)自己表現?再生数?お金?チヤホヤされること?人を楽しませること?多岐に渡り過ぎっていうか漠然としててイマイチ見えないんですよね、旗印が。
ほんとあの発言は恥ずかしい、聞かされてるこっちが赤面するレベル。
かく言う僕、もう10年近く前にYouTuber(s)って形容を勝手に用いてたけど、それはもう単純に「YouTube愛好・愛用者」って意味だった。それが今や"運営発"でとんでもないことになっちゃって(笑)だから、ここに改めて言っておく、誤解されたくないから←
2017年01月08日
余興
文字は潰れて読めないかもしれない← #guitarlessons pic.twitter.com/aW5btZXPId
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月8日
想像以上に潰れた(笑)ので、貼っておきます。
※:8小節最後のE音(1弦12F)はG#音(同16F)に改訂
2017年01月02日
何合戦をしてるんだ
紅白ゲスト審査員に新垣結衣!星野源との「恋ダンス」共演に期待!! https://t.co/Yldr89rNNF @RBBTODAY
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月21日
他局の功に乗っかって数字を稼ごうだなんてまるでユーチューバーみたいだな(・ω・)と思う反面、まあ世間一般の期待に応えるのは好姿勢なのかもなとも。
鷺巣詩郎が「紅白歌合戦」OP曲書き下ろし、渡辺直美&ピコ太郎のショーも https://t.co/fqXirOHsms
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月22日
逃げ恥PPAP君の名は。そしてシン・ゴジラと、マジで話題になった関連全部ブチ込んでいくスタイルか…自局と直接無関係なものばかり…きっと熊本も抜かりないんだろう。
−年は明けて−
トレンド上の「謎の演出」←これだけで「ああ紅白のことかな」と直感した。無節操なまでの他力本願流行全部入り(近年毎度の被災関連含む)"にした結果、散漫というか何を"謳い"たいのかよくわからない仕上がりだったな。歌が本旨じゃあ無いのか。
近年、歌/音楽そのものに付加する"小芝居"に比重を置き過ぎなんだよな、まあ紅白に限った話じゃあ無いけれど。音楽自体が持つ力から外れた背景とか後付けとか、とにかく共感商法じみた『エピソード』の過多。そんなことばかりしてるから益々音楽離れするんだよ(・ω・)純粋に音には触れてない。
それが証拠に(?)近頃の子って歌を評価する際「いい曲」じゃあなくて「歌詞がいい」ばっか言うしね(・ω・)売る側も『等身大の歌詞が共感を呼んでいる』とかそんなことばかり売り文句にしてる。歌曲の場合勿論歌詞も重要な要素だけれど、音楽の真実は、言葉では無く(言葉を超える)音そのものだ。
まあ、そんなんで「音楽に国境は無い」だとかカッコいいこと吹かすから失笑である(・ω・)歌詞(意味のわかる言葉)が無いと聴けない(聴かない)音楽通、という謎存在、更にそれに加え「支度されたドラマ」が付属しないと響かないってのは、もう音楽鑑賞からは外れてるように思う。
ふと気づけば肝心要の音そして演者の姿よりも歌詞テロップのほう追ってる(そして自分を重ねて酔ってる)なんて人もいそうな悪寒を覚える。例えるなら、目の前にある絵画をつぶさに観察するよりも、その傍らに用意された説明文のほうを注視しているような<★>。
ついでに言うなら、説明なんてのは「誰かの主観」だしね、たとえ作者自身によるものであっても。鑑賞は(自分の)直感的であるべき。
蛇足と言えば蛇足だが。
『ツァラトゥストラかく語りき』という有名な曲があるよね(・ω・)でもあれ、僕はちっとも面白い曲とは感じない。もちろん嗜好には幅があるけどね?これは、「そのいかにも高尚な感じがする題名に釣られてはいないだろうか?」ということ。そういうたとえ話。
ついでに言うと。
佐村河内、あの一件。『聾の作曲家』という看板いわば「ドラマチック」が無かったなら、はたしてそこまで評価された(した)だろうか?っていうね(・ω・)少なくとも、ウソだと知れた途端に手のひら返した様な人は、その実音楽なんか聴いてはいなかったってことだと僕は思うよ。
さておき。司会はプロに任せたほうがいいんじゃないかなもう。
ちなみに。タモリとマツコのあれ、個人的には嫌いじゃあないよ(・ω・)あの番組の中に挟むのは「必要か?」と、甚だ疑問だけど(笑)
蛇足の蛇足。
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2017年1月1日
これは断言するよ(・ω・)世間のそういうところにつけ込み見事うまいことやったのがサムラゴーチ、商才については立派なものだと思うよ(笑)本体よりオマケを重視する人は少なくない。そうして何れそれは逆転する、食玩の様にね←https://t.co/ARMb3zGW6s
<★>まあこれ伊福部先生からのウケウリみたいなもんだけれど(『音楽入門』読んだことある人なら多分わかるよね)、本当そう(歪んでいるなあと)思うよ(・ω・)なお、ツァラトゥストラについては奇遇、まさに「我が意を得たり」の感だったな。
無能の人
さておき。近年運営から「回る動画勉強会の誘い」みたいなの届くが、この特売チラシじみた下品なフォント使い大嫌い、進んでこうは成りたくないわ(笑)
『無芸大食』博覧会かな?
でも、こういう(そういう)のが一般的には好まれウケるって証左ってことだよなあ(・ω・)と想うと、「世の中の8割はセンス無い人間、それを騙くらかして食ってるのが我々」という某元大物芸人の発言は真を突いてたなあと。
まあ、面白いとは露ほども思っておらず、言わば批判し貶す為にそこへと赴いてる向きも中には在ろうが(・ω・)それも結果としては、あちらの思う壷、敵に塩を送る行為なんだよなあ(だから僕は勿論(件の動画も)見ていない)。
注:「大食い」という具体的行為に限るものでは無い。
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月26日
芸の無い人、つまり何か特定の努力をしていない人でも「あわよくば」楽に目立てるし稼げもするという既成事実が、次の無才に希望を抱かせ、雨後の筍をも生むわけである(・ω・)そうして漸次、発表の場の程度は低下してゆくのだ。 pic.twitter.com/ZBofUs9rLt
この現状というのが日本の、つまるところ大方の『芸能・芸術』に対する意識の程度平均その表れってことだと思う(・ω・)ま、こんなもんやろな←
分母が大きくなると(単純に言えば「人が増えると」)、図抜けたものよりも自分でも何とか出来そう追いつけそうなものを讃え奉る傾向が加速するのは世の常か(・ω・)たとえば、それこそ女子が不美人を「カワイイ」と担ぎ上げ、自身の地位向上をはかるが如しである(辛辣)
寿司屋でシャリ残すのは無論バカだが、これもこれで「たいがいにせえよ」と思うわ(・ω・)
先日「若い女子の間で串揚げ食べ放題が流行中」とかTVでやってて(テレビの言うことだからどこまで真実かは知らんが)ダイエットとぬかして食べもの粗末にするアホより全然いいと思うと同時に「それ自体が目的にならなきゃいいけどな」という悪寒がよぎった。ネットで数字自慢するためとかさ。
まあ、例えば大食、例えば容姿、それらは言わば天稟で、それもまた一種の才能と言えなくはないけれども(・ω・)鳥が飛ぶのは当たり前なのでね。天賦に胡座かいてる人には何の魅力も感じないわ、 飛べない鳥が飛んだら「凄いな」と思うけどね。芸ってそういうもんだろ。 #たとえ話(なお。これを「じゃあ不細工は整形すれば凄いってこと?」などと思う程度にバカな人もいる(推測アンド皮肉)
それは、敢えて言うけど、努力の向きがおかしい罠。
ついでに言うと、「努力カッコ悪い」ってのは天才気取りな凡人、それ以下の逃げだ(・ω・)「これくらいやろうと思えばすぐ出来る」っていう、"すっぱいぶどう"だ。
「〜てみた」とかいうよくできた保険(意味深)
アツくなんなよwww本気じゃないしwww感を醸すのやめろや(・ω・)なあ
2016年12月28日
それらしい ああ久しぶりに それらしい
https://t.co/qZwNCONI1w という話の流れから。まあ僕がこういうのやるの「珍しい!」という人もいるんじゃあないかと、いまだ"純・様式美の人"と思われてるフシもあるし(笑)ちなみにこのバックトラックは「本物のマイナスワン」だよ(どこで手に入れたかは失念) pic.twitter.com/CLxBIpwfyy
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月27日
https://t.co/4XPewby2nd のおまけ、これもバックトラックがあったので。
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年12月27日
直接的にしろ間接的にしろ、僕の年代でEVHに影響受けてないのはいないといってもいいんじゃあないだろうか。ちなみにこれは、BURNのリフと並んで僕が音つくる際の指針になってる(更に後述) pic.twitter.com/lzcfTyF9Ld
彼の音って一聴すると強烈にドライブしてる様に思うけど、実はそんなに歪んでなくて意外やナチュラルなんだよね、でないと三和音(以上)がああは鳴らない←そのギリギリのセンてのが、ひとつの指針なわけです(・ω・)わかりますかね。
更に言うと、ハムなんだけど「ストラト(シングルコイル)っぽい」んだよね、少なくとも旧MUSICMAN以前はホントそう、好い意味で荒々しいの。
まあそんなわけでエディーと、特にBURN〜の頃のリッチー、そして事故以前のインギーのトーンてのは僕の中でHRギターサウンドの黄金律なのよ。
だからなのかどうなのか。近代的な、キーボードか打ち込みかみたいな『整った』音って、嫌いとまでは言わないけれど自分で鳴らしたいと思う音ではないんだよね(・ω・)偶発性信奉ってわけじゃ無いけど、野性的なエモーションを表すには不向きと感じる。
とは言え。最もモノを言う、トーンを決定付ける最大のインプットそしてアウトプットは弾き手自身/その在りようなんだけども。
なお。いわゆる「ナチュラルトーン」系でない、言わば"純然たるハム使い"には好きなのがいないのかというとそんなことはもちろん無い。リンチとかすげえなと思うよ(・ω・)あのオッサンはホンマクッソウマいで…
ちなみに。あのアンプ、5150ってやつ(今名前変わってるんだっけ?)あれ前に借りて使ったとき「いいなコレ」と思ったよ、ストラトとも相性よし(他なんも要らんな)と感じた。
ツヤツヤピヨピヨしたいわばロックマン(ゲームの話でない)とかメサブギサウンドの系譜とでもいうか、そういうのを嫌ってるわけでは無いのよ念のため。面白いなとは思うし聴きもする、ただ自分の音ではないなというだけで。結局マーシャル的ジャリジャリ感が好きなのだろうな(・ω・)ロックを感じる
ああ(´`*)つまるところはヘンドリックスなのだよなあ(愛)
ていうか久しぶりにこういう話したような気がする(笑)サンキュー(・ω・)ジョージ(マイケル)
2016年12月20日
NENMATSU
この曲 "BEYOND HISTORY"は、2003年から2005年にかけBLOWによって演奏された楽曲で、これは当時の内覧デモ音源を短く編集したものです。なお、この曲は、後に疾風船の"JAN" や"GEKIKARA a UBD" へと遺伝子を継ぐこととなりました。
"BEYOND HISTORY" Composed by K. Matsuura a.k.a. HAYATEBUNE (ex.BLOW)
画像も当時の。ツイッター向けにと考えて縮めたんだけど(全長は3分50秒ほどある)せっかくだからYouTubeに上げることにした。年の瀬になると何かしたくなる癖。この縮め方、いわゆる「TV edit ver」ってかんじやね(どこのTVで使うのか)
2016年11月23日
空気を噛め
はい(・ω・)というわけでね(何が?)
懐かしのBTATB、ふと思い立ちセルフリミックス。CD持ってくれてる人は聴き比べてみるのも一興かもしれない。
今回のリミックスの趣旨というのは「リード含む主旋律以外をもっと(あのCDよりも)立たせる方向」だったのです(・ω・)実はけっこう気に入ってて。特に、終幕入る手前(三連符が連続する箇所)のリフは別の形で使いたいと以前から思っていたり。
なお、以前も言ったとおりギターに関してはプレイ重ねたライブ版のほうが自分としては当然のごとく気に入ってる、同じくYouTube上に幾つかあるので聴き比べ等(・ω・)よろしくどうぞ
ちなみに、当時のブログにも確か書いたと思うけど、これ、「ライブ感」を醸したくてパンチインやら一切無しの通しでやったんだよね(ギター各パート)。よって(小さいミスなんかは敢えてスルーするけど)曲構成を間違えると「最初からやり直し」だから凄いめんどくさい(笑)でも今でもよくやる手法。
キメ打ちテーマ以外は殆ど即興、つまりほぼライブ同様(・ω・)なお、ライブではそのテーマすら破壊するマイスタイル←
2016年09月10日
絵日記があるのなら音日記があってもいいじゃない
せっかくだからつべにもあげた
題名は思いつき
海外の方から、映画『ブレイブハート』彷彿とコメントを頂いたのだけど、僕あの映画未見なんだよね…ということで、つべで探して聴いてみたところ…似てるどころか出だしまるまる相似で驚いた!こんな事もあるんだな(驚愕)という話。
まあ音楽やってれば偶然の相似ってのはあることだけれど、ここまで「ひとくだり同じ」ってのは初めてだ(追記。想えば二度目かもしれない)。なお、イヤな気はせずなんだか笑ってしまう(笑)
誓っていうけど無意識だ(・ω・)ただ、いつかどこかで聴いたことあるものが(無意識ゆえに)発露するって可能性はあるやも?とは思う
ちなみに昨夜上げたもう一本、あの曲は意識的にウリ・ロートを標榜している(献呈予定)
また、以前『ブレイブハート』と冠したカヴァー曲を上げたこともあったが、もちろん(未見ゆえ)同名映画を意識してはいない(・ω・)単純に「勇ましい心」やね
この機会に。
はじめて"パイカリ"を聴いた際、まあ一発で気に入ったわけだが、部分的にこれを彷彿したものだった、これまた普遍性を感じる好曲(なお、和製ファンタジーRPGなど好きな人の琴線に触れる可能性高いんじゃあないかなとおもう)
ちなみに僕の敬愛するマイク・オールドフィールドがカヴァーしてもいる。
(以上、ツイッターから)
さて、今回のきっかけ。
制作環境(PC)に不具合発生→修復作業の中、適当なファイルを開く→偶々、或る曲を開く
その「或る曲」、最近になり、また幾度か”完成要望”を海外の方々からいただいていたので、この際(彼らのために)チラ見せ(聴かせ?)しようと、本当に仮初めの状態だけど「(此方も)忘れてないよ」の証として。
で、その流れで(言わばノリで)ササッと書いたのが、さっきの「峠道」というわけです。
under construction (since 2009)
2016年08月09日
音楽劇『ゴジラ対エヴァンゲリオン』概説
筆舌に尽くしがたい、いや語りたいけど語れない(ネタバレは悪)…ということで、僕のいつものやり方です(・ω・)これしか出来ないからね。而して「最大級の賛辞」ってことなのです。#シンゴジラ #鷺巣詩郎 #伊福部昭 #Respect https://t.co/VZczBirOSz
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月8日
というわけで、出発進行。
・・・・・・のまえに、敢えて言おう。
敢えて言おう(・ω・)労力も才能も投入されてないウンコみたいな凡百の便乗動画などとはワケが違いますよと。
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月8日
まあ悲しいかな世間の多くはそういうモノのほうが好きみたいだが(意味深)
※以下、若干の「音楽的にはネタバレ」を含みますので、ご注意ください(特に★注釈)※
鷺巣氏による、ティンパニが打ち鳴らされ始まる、かの有名なあのテーマ。それをベース(基礎・土台)とすることを先ず決定しましたが、あとはもう「思いつくまま」入力していったというかんじです、さほど計画的ではない(伊福部メロディはもう染み付いてるので場に応じてパッパと出てくる)まあ「ゴジラのテーマ(主題)」は必ず盛り込まなくてはと思ってましたけれど。で、終わってみれば主要な三つのライトモチーフすべて盛り込んでました、もう自動書記かな(笑)
ちなみに、「パッパと出てくる」ゆえか制作はとてもスムースでした、時間にして実質半日。でもその後の動画編集がソコソコかかって結局一日になってしまったような(苦笑)見た目アッサリしてるようで、細かな構成には気を使ってるんです実は。
閑話休題。
ひとつめは、一般的に最も知られたあのテーマ、元人間側テーマ、メカゴジラの逆襲からゴジラ自体のそれとなった(★)あれです。本曲中では二番目の登場、本来の鷺巣/エヴァメロディと交錯します。原曲とはキーも響きも異なってますが、それでも音形だけで十分誰もが気付くでしょう。
ふたつめは、次いでお馴染みかなと思われます、平成VSシリーズでは"ひとつめ"と共に一連のテーマとして(SF交響ファンタジーの様式で)用いられてましたから。本曲中では最初の登場です、まさしく始まりに相応しい。第一の提示後、原曲では(言わばイフクベ節的には)ありえない高域にグワーッとひっぱりあげてますが、これはサギス節を意識したところです。
そしてみっつめ。これまた平成VSシリーズでも度々用いられましたが、一般的には最も「ゴジラ」としての認知度低いかもです…が、大好きなんです荘厳で。本曲中では最後に現れエヴァメロディと"融合"して盛り上げてくれます。なお、そのエヴァメロディとは"ビーストモード"でおなじみ『破』の予告編でも有名なあれです、「盛り込みたい」と想ってはいたんですが、流れの最後にピンときて。けっこううまくいったと自負してます。
そしてその"融合"は、キングコング対ゴジラのメインテーマへのオマージュです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、あのテーマ、キングコングとゴジラ其々のライトモチーフが見事に溶け合ってるんです、初めて気付いたときは震えました。で、今回、後ろのリズムの刻みも、そのメインテーマの律動を意識したものとしているのですが、お気づきになりましたでしょうか。また、ここで初めてクワイアを登場させました、これはどちらかというとサギス節を意識したところですが、重ねてみれば意外やイフクベチックでもあったりして(フリギアな終止感でしょうか)
最後になりましたが、中盤の高揚はラドンで初出(☆)の旋律におまかせしました、ゴジラ対キングギドラでもOSTINATOに収録の新録版が使われてましたね。中盤にアツいマーチテーマをということは決めていましたが、流れの中で直感的にこれを選択しました、おそらく「(サギスリズムとイフクベメロディの)律動のマッチングが良いだろう」という直感、無意識的。
以上、駆け足ですが。とにかく、楽しんでいただけましたら幸いです。
追伸。はじめ、エレキギターも入れるつもりでいたのですが、「それは(やはりゴジラ絡みで)前回やったからいいか」となりました。
蛇足。映像のほうもマニアならではの拘りを色々と感じていただけると思います、マニアな方には。ちなみに冒頭せりあがってくるタイトル、流用じゃないですよ、あれもわざわざ作りました(笑)愛ですよ、愛。
☆伊福部先生の純音楽作品にはそれ以前に原型が見受けられるので、ひょっとしたらラドン以前の映画にも流用されてるかもしれません、あれば僕の寡聞です。
★ちなみに、メカ逆版については唯一「ドシラソラシドシラ」のソが#してるんですよね、シン・ゴジラ本編中で用いられてたのは、そのバージョンです。もののついでに言うと、同じく有名な、主に怪獣大戦争マーチやフリゲートマーチの名で称されることの多い例の旋律。今回それも劇中でアツく活かされてましたが、敢えて宇宙大戦争マーチをチョイスするあたり、なんというか、さすがのマニアックを感じました(笑)そのへんもニヤリとする/燃え要素のひとつですね。
シン・ゴジラという福音
って事だけど、今回については「あれが100億行かないなら日本ヤバいでしょ」くらいに思う。
初代は無論のことシリーズ初期は、当時の人々にしてみれば"未体験ゾーン"でもあるから別として。そもそもまあ人を選ぶというか一定のマニア向けという性格ではあるから、これまでそんな事は思わなかったんだけども。今回に限っては本当、「映画好き」というなら観ない手はないでしょと思う。
余談だけれど。「賛否両論」の無いものって、この世に存在するのだろうか?や、まあ「それだけ多数話題に上がってる」って事、その表し方のひとつだとわかっちゃあいるけれど(;^ω^)揚げ足とりたくなる言葉なんだよなあ(笑)
この際、語っちゃおうかな(・ω・)わざわざクサすのは趣味では無いのだけれど…今だから敢えて。
つい先日まで一応最新作だったGODZILLA、いわゆるギャレゴジ。あれ、僕は「全然ダメ」だったんだよなあ(だからこれまで語らなかった)
以下、ギャレゴジ好きな人は見ないほうがいいかも。
結論から言ってしまうと、「日本映画(ひいては観衆)をダメにした"ハリウッド要素"の塊みたい」 という感想。娯楽作品に「家族愛」のようなものを強引に盛り込む。いやま、それも一つの方向性っちゃそうなんだけど、アルマゲドンからこっちもうテンプレ過ぎで…そしてまったく薄っぺらかった。
「家族愛の名のもとに奔走するそこらへんの人が雪崩式に英雄するいつものテンプレ」に過ぎず、なんせゴジラである必然性が全く感じられなかったていうかゴジラはおまけ感…てかもうね、あの、ちょいちょい差し挟まれる不安な嫁の様子がうざったくてしょうがなかった(笑)
ぶっちゃけ、ゴジラの造型を度外視すれば例の巨大イグアナのほうがパニック映画としては出来がよかったとさえ思っている。誉められるのは「日本版主題歌が付かなかったこと」くらいか(確かついてなかったよね?)
だがしかし(・ω・)最悪だったのは、序盤で語られた「数々の原水爆実験は実はゴジラっていう元々いたデカいの倒すためだった」というアレ。ちょっと見ると日本/原点へのオマージュちりばめてあるけれど根底から覆したよ!自己正当化乙にも程があるだろwww…と、もう早々に萎えてしまったのも事実。
で、あとはもうひたすら退屈だった。あんなん、パシフィック・リムのほうが"怪獣映画"として見てもそりゃあもう万倍面白かったし燃えたですよ(・ω・)
ここで冒頭(親ツイ)に戻る。そしてその上で敢えて申し上げる。
「あれ以下のヒットしかしなかったらいよいよ日本の観衆は終わっている、"結論"で述べたモノに完全に毒されきっている」
つまりそういうことなのだ。わざわざ今更貶したのは、これを言うためだったのだ(すまない)
この際だから駄目押し。
最後"救世主"扱いなんかしてくれてもちっとも嬉しくもなければ燃えもしなかった(´・ω・`)欺瞞が過ぎて。一言で形容すると「めちゃくちゃ出来の悪い平成ガメラ(第一作)」(・ω・)わかる人はわかるだろう(個人の感想です)
で。そういった"要素"を意識か無意識か徹底排除したのがシン・ゴジラというシン・日本映画。
その要素いくつか挙げよう
・とにかく恋愛とか家族愛(そのためなら容易く病死もさせる)
・流行り者が歌う特に必然性の無い主題歌(それもう主題じゃ無いじゃん)
・うざったい共感CM(一緒にされたくないという思いが鑑賞意欲を削ぐ)
ああ、そうそう。某三丁目にゴジラが登場、その画が中々の出来だったため次期監督候補なんて声もあがってたけれど…僕は「それはイヤだな」と思ったのだった(・ω・)VFXに強いのと商売人として成功者なのは認めるけれど、作家としてはね…まさしくそれら要素、言わば『泣ける商法』の権化だもの。
もしも彼がゴジラを撮ったら。
・タイトルの一部または全部が何故かアルファベット表記になる
・流行りのJPOPの人を起用もしくはちょっと昔の洋楽が主題歌になる
・客が「感動しました泣きました」って感想述べるTVCMが流れる
最低限このあたりは覚悟しなくてはならないだろう(真顔)
こうしてみると、今の(ここ10数年来の)邦画そのものって感じだね(・ω・)まさに権化。や、大したものだと思うよ?商才としては。大多数に訴え惹きつける要素を把握し網羅し達成てるわけだから、ひとつの立派な才覚手腕には違いない。ただ僕にとっては「観たい」要素では無いということ。
これら要素、何かと似ていると思いませんか。
・一部英語(を、カッコいいと感じる)
・泣ける(共感そして自己投影/陶酔)
そう、JPOPとソックリだね(・ω・)そりゃ売れるわけさ「売れるように作ってる」わけだから。
や、そういう作家がいたっていいとは思うんですよ?問題は、もう邦画界全体がその手法に依存しきってるということ、そうしなければ立つ瀬もなかったりするということ。そりゃま商業作品である以上は成功=数字って前提なんだけどさ(´・ω・`)芸術の正義ってそれだっけ?なんて気持ちにもなるのです
で。だからこう喩えたのです(意味深)
この作品は映画好きにとってまさに福音である。と同時に、現在の邦画界にとっては恐るべき使徒である。逃げちゃダメだ。 #シンゴジラ 『シン・ゴジラ』 https://t.co/s71rehzKjQ
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月8日
たとえば、「まずは儲けて偉くなってそれから本当にやりたいことやる」とかね、そんな風に好意的に考えることも出来る。事実、商業となるとなかなか「思い通りに」とはいかないからね。でも(´・ω・`)うーん…どうだろうな(何)
(以上、ツイッターまとめ)
次回「愛情表現」
音楽劇『ゴジラ対エヴァンゲリオン』-シン・ゴジラに捧ぐ- Teaser Trailer #シンゴジラ #鷺巣詩郎 #伊福部昭 #Respect pic.twitter.com/tYN8Ak0dY9
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月9日
2016年08月02日
シン・ゴジラ観るべし(ネタバレ無し)
そして、結果は。
「なんちゅうもんを創ってくれたんや…なんちゅうもんを…(感涙)」
本当そんな感じ、「こんなの創られちゃって今後邦画はどうすれば(もう言い逃れは出来ない)」くらいの。予想(期待)の範疇を遥かに超えていた。これは、2011年以後の日本から目を逸らさず、真正面から向き合い仮借無く表現した初めての作品と言っても過言では無い。今を生きる日本人、必見。
「それについては腫れ物に触るような、いっそ見てみぬふりさえしているような」そういう世風の中、ほんとよくやったなあと思う。
高度に政治的な要素も多分に含んでいるので、その向き、ことに"偏った"向きには、あれこれと穿たれたり利用されたりってな事もあるかもしれないが、そんなのは些末な(愚かな)事だ。多分にリアルにポリティカルでありながら、しかし「この期に及んでそんな不毛な諍いやってる場合じゃねえ!」と言わんばかり、僕にはそう感じられた(★)。これは、矛盾や欺瞞を抱えながらも、巻き戻せない「現状」へと、ただひたすら立ち向かう人々の物語。
(★実際、劇中ではそのあたり(いわゆる右だの左だの)には言及すらしていない、近年の風潮(ある種"風物詩"と言ってもよいかも)の一つとしてサラッと差し挟まれてはいるけど、「だがしかしそれは『重要』ではない」)
それでいて"怪獣映画"のカタルシスもしっかり、いやもうむちゃくちゃあるんだよ!*******なんてクソアツ過ぎてもう泣き笑い(もちろん好意的に)
ひとつだけ、後悔していることがある。「拍手喝采贈りたい!」って衝動を抑えてしまったことだ!
僕が「ゴジラ(1954)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と思ってきたように未来の誰かが必ず思うだろう、「ゴジラ(2016)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と。だから悪いことは言わない、とにかく劇場へ急ぐんだ!ネタバレという災厄に見舞われる前に。
偉大なる1954。当時の観客が受けたであろう衝撃、迫真性。2016年の今、"2011を通過した僕"は時を超えてそれへと近づき、僅かでも知ることが出来たような。そんな想いすら。それはつまり現実対虚構がもたらす…ここで敢えて用いよう「シンクロ」だ、シンクロ率の高さだ(・ω・)"身をもって知っている"からこそ真に迫るものがある、時代、場所、人、その時々にある。そして想いが時を超えリンクする。
1954その最期、芹沢博士は言いました「幸福に暮らせよ」と(・ω・)色々あるけど大変だけれど、だからこそ、いまシン・ゴジラを観ることが出来る、それは幸福です。
シン・ゴジラ観るべし。
「今夏、何度リピートしに行く(行ける)だろう?」一昨日からもうそればっかり考えてる(笑)
(当記事はツイッターでの投稿を抜粋し加筆再構成したものです)
【追伸】
いやもう本当はね「アレがさー!そんでもってアレがー!」つって爆発的に語りたい語り合いたいんだよ(迫真)でも、今回ばかりは「イヤなら(ネット)見るな」の範疇超えて「ネタバレは悪、ネタ流す者は無粋者(ジマンゲリオンでしかない)」とさえ思っているのだ(``)
— 穢土(疾風船) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年8月1日
【蛇足】
ひとつだけ。平成以降、ともすれば命題であるかの如く成ってた「なぜ日本/東京なのか」を「今それどころじゃねぇ」とやっつけた潔さ。そうなのだ、それは偶々であり必然自然、川に現れるアザラシの如く。一つ違えばあの不明生物だってタマちゃんなどと呼ばれ親しまれたやも(とにかく観てください)
2016年07月27日
「いや素晴らしいっすね(震え声)」
OURとくしまwwwww まあ対人口密度で配置するとこういうことになるのかもしれんが、冒険・探索ってとこで考えたら都市部よりも田舎のほうが向いてるモノのはずなんだよなあフィールドワーク的に。
【画像】ポケモンのせいで日本中がおかしいwww:ラビット速報
まあ(・ω・)それがあろうと無かろうと『ながら(総称)』する者は常々在ったわけだが。だがしかし「やっぱりそうなるか」の感
【ポケモンGOに興じる人を「心の底から侮蔑します」 やくみつるさんが持論】
まあ、この方いつもこんな感じだし流していいんじゃない。てか今、あれに便乗しないと何も浮上出来ない状況だよね「実質ポケモン関係ないよねコレ」って記事も数多(笑)とにかくどうにかこうにかこじつけてでも見出しに『ポケモンGO』と付ける!それくらいの勢いw まるでYouTubeに垂れ流される便乗クソ動画のようだ…
自分が好きでやってるなら(それで迷惑かけてないなら)「嫌い」と言われても気にすることないと思うけどなあ(・ω・)自信もってやればいいじゃない、反論連ねる時間分もったいないじゃない。まあ、僕はやってないからこんなに気楽でいられるのかもだけど。
【イチャモンGO】やくみつるがポケモンGO批判で大炎上! 「時代遅れの苦しまぎれ」論調の真意
しかし結局この記事も批判のための批判じゃあないかな?そのくせ「たかが」と言っちゃあ身も蓋もない、少なくとも創った人に対して失礼だ。
「たかが」「ごときが」「分際で」これらを軽はずみに用いてはいけないよな。自虐的に、自己批判的に用いるならともかく、他に対し、他人に対し、他の価値に対して。それこそお里が知れるってものだ。
それって、主として「悪者」が言うセリフだからね(笑)巨大な隕石に立ち向かい「たかが石コロひとつ」と言い放つアムロ・レイはカッコいいけどさ。蔦監督の「たかが野球、されど野球」もカッコいい。 #使いどころが大事
実際それに携わってない、それに対して命掛けじゃあない人が言っていいもんじゃあ無いと思うんだよね「たかが」って。どんなに繕っていても、口にしている時点で「心の奥底ではそれを見下している感じがする」よ。そう考えると、彼のお方「心の底から侮蔑します」と"明言"している分、正直者ではあるなと思えたり(笑)
というわけで、「たかが」「ごときが」「分際で」これらを"他の価値"に対し易々言い放つ人のことは、心の底から侮蔑します←
実際、いると思うんだ今回も、この件において彼の人物に対し「たかが漫画家風情が」だとか罵ってる向きも。でも、それはよくないよ、たとえ売り言葉に買い言葉でも、自分自身の心を澱ませ腐らせるよそういうのって…とおもうのです(´・ω・`)まゆしぃはかなしいのです
どうして娯楽でこんなに荒まなくてはならないのか(苦笑)
ていうか「そこ職業まったく関係ないから」ってハナシなんだよね(笑)地位だとか階級だとか、人間全体として見れば小さなことに執着するほど小物と映る、それこそ漫画に出てくるダメ貴族みたいに。
閑話休題
【“歩きスマホ”防ぐポケGO専用端末「Pokemon GO Plus」、9月に発売延期 】
たとえこれがあってもする人はするだろうな、そもそも総てのプレイヤーが購入するとも思えないし、ていうか「実装しろよ」って話もあるんだが←
なお、出る頃には一定数沈静化してそうでもあるな、流行ニワカは飛び付くの早いが飽きるのも早い。
内輪で「今年またポケモンの新作DSで出るけど売上に影響してくるのかね」って話が出たんだけど、今騒いでるうち半分くらいは流行り病のニワカだろうからさほど絶大でもないんじゃないかな?その層が"専用ゲーム機"を買ってまでやるかっつったら、そうでもないだろうから…と答えた。
ってところで思う(・ω・)もしもこれが日本スタートだったならはたして日本でこれほどプレイ人口増えてただろうかと。海外先行欧米で話題って『箔』またその報道が日頃ポケモンに興味ないミーハーをもこれ程までに寄せ付けたんではないかって推論。
そこまで読んでの戦略だったのなら大したものだ…まあ、読みやすいが(意味深)
海外セレブ愛用御用達って言っとけば似合うも似合わないも要不要も関係なく、海のものとも山のものともつかないシロモノでも拝み奉る層は存在する(迫真)
つまり「舶来」に弱いのさ(・ω・)いまだにね
もうみんな忘れちゃっているかもしれないけれど(・ω・)海外発に猿ノリして氷水かぶってた自称セレブとか(ry
まあその様に"向き不向き"はあるのだ何事も、土壌と、それに伴う感性と(・ω・)で、これに関しても(事の初め以前に言ったとおり)「比すれば数段向いてない」それは確か。ここから新たに培われる、たとえるなら「一旦落ちてから向上する」という希望的な見方もあるけれど…どうかな。
それにしても(・ω・)本当アッサリ崩壊するよねモラルって。ついこの間まで「歩きスマホするDQNwww」って調子だったのが「器の小せえこと言うな」だの「ゲームに対する圧力だ弾圧だ」だのくらい言ってて草も生えないwww←
まあ、子ども(子どもとは言ってない)というのは基本的にダブスタだからなあ。
なにより、「音や振動で報せる」つってもね、それでも「見ちゃう」ものなのよ(・ω・)幸いにして正常な視力をもってる場合、情報の先鞭そして大部分を視覚から得ようとするものなんだよねヒトって生物は。
今更だけど『モンハンGO』はどうだろう(・ω・)協力プレイきっと楽しいぞ!狩りの際はジャイロセンサーを利用し、スマホを武器に見立てて皆で振り回します(そして新たな社会問題へ…)
2016年07月22日
??「大元は日本発だけどこれを『日本向き』とはひとことも言ってない」
【国務省会見中に記者が「ポケモンGO」米】
まじかよカービィwww
だがこんな愉快なネタも今日は立つ瀬ないってかんじのトレンド(異常)
ツイッター、もはやポケモンGO専用SNSの様相。まあ、気色の悪い政治思想系のタグとかが浮上しようもないのはいい気味である。これ当面はツイッター広告打ってもムダ打ちになりそうだな(笑)
だが笑ってばかりもおれんよな(・ω・)ていうかこれカービィ差し引いたらタダの問題だからな(笑)器の大きい小粋なジョークで流してくれてるけども日本じゃおそらくこうはいかん、およそ偉い人ほどセンス無いから←
訂正。×偉い人 ○偉く在りたい人 威張りん坊将軍やで
しかしこれだけトレンドが一方向に集約席巻されてると「今日は何を言っても大丈夫」なんじゃないかと思わせるな(笑)…あれだけ騒いでた都知事選どこいったんだ(白目)
もうこんなんなったらどこの企業もポケモンGOに擦りよるほか無いやろ(意味深)
なお、今後、件の詐欺紛いのシロモノでは無くれっきとしたパチモンもといマネゲー(あまりフォローになってない)が出てくる可能性も十二分にあるけど、あの任天堂ですら危うさを湛える類を果たしてマトモに運営出来るのか/問題続出しそうってネガティブな想像が働く。たとえば、「街へ出てアイドルを探せ!」とかさ(お察し)
【ポケモンGO 出雲大社がプレー禁止に】
残念でもなく当然(・ω・)遊びならなおのこと分別つけな。そこで不満を言ってはいけない「これだから日本は」などと羨んだり蔑んだりしてはいけない、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」なんやで(・ω・)ていうかそもそも国土的に風土的に見合ってない遊び方なのだから。
逆に、「歓迎」する施設や店舗も出てくるかもな、客寄せとしちゃウマいもんな今。まあそれはそれでいいんだけど、周辺住民業者とのトラブルありそうだよな『街ぐるみ』とかでもない限り…あ、そうか、そうしていっそフィールド解放、勝手に「ポケモン共和国」でも名乗って村おこしとか(任天堂激おこ)
きっと今ごろYouTubeにもウンコみたいな便乗動画が山ほど投稿されとるんやろなあ(・ω・)ホンマ山盛りうんち君やで…「実況」とかでやらかすのもおりそうやな。
いま、民度が試されている(迫真)
僕はノケモンでいい
(ここからの"続"として)
早くもニセモン掴まされる人が出てるらしいな。もちろん騙す奴は悪いが(``)自分が取り扱おうとしている物に対して不用意過ぎると思うんだよね…先が思いやられるぜモラル的に…そもそも流行&ノリで手を出すものでもないんじゃないのか?と(キミそれ日頃から興味の対象/好きなモノなのか?と)
ツイッターのトレンドも見事にポケモンGO一色じゃねえか、しかも桁違いの数字www…つくづく多くは流行りモンに弱いのだなと思わざるを得ない(・ω・)まあ、にわかな興味の対象って心情解らなくもないけれど、「それキミにとって本当に必要なもの(好きなもの)なのか?」と疑問が生じる様相数多。
繰り返すが、それ自体は「ツールを活かしたグッドアイデア」だと思う。けれど、常日頃問題視されてる点、ツールの用法におけるモラルを棚上げした格好その巨大な「矛盾」に、どうにも釈然としないのだ(・ω・)僕はツールに振り回されたくは無い。
もっと言ってしまうなら、「商売は何よりも優先される」って事実が気に入らないのだ、商売人のその身勝手さが(・ω・)「おまえら二度と『歩きモバイルやめましょう』ってその口で言うなよ」くらいに思うのだ(真顔)
なお大衆も、快楽の前では容易く忘れる模様。
まあ見てなさい(・ω・)そう遠くないうちに何かが起きて、メディアのアツい手のひら返しが始まるから(予言)
「オタクとDQNは紙一重」じゃあないが(・ω・)眼前の快楽に夢中になったり或る一つの物事に寄り添った集団化したりすると人は容易くDQN行動もとるんだよね、近年よく取り沙汰される一部鉄ヲタとかみたく。ホント、まず自分の身のために客観性は喪失しないでもらいたい。
だって何かあったら叩かれるのは『ゲーム』なのだから(真剣)
ぶっちゃけ、それだけにね(``)にわかに飛びつくミーハーにあまり増えてほしくないのだよ…それはリスクが増すということだからね、何かあってもやらかしたのがオタクか非オタクかまでは追求されない"一緒くた"だからね。
まあ、とにかく今回「経済のためなら下賤のモラルなど知ったことか」的な上級国民(笑)の本音、腹の内がよくわかる加熱だなと。
ホンマやぞ(・ω・)まあ任天堂は先々(ネガティブ要因)まで考慮してると想うが、マスコミの煽りは身勝手なダブスタもええとこやぞ。
なんたって任天堂だからね、日本が出遅れてたのはそういう様子見と対応だろうという察しはついてた、むしろ海外は実験台だろうと(笑)まあ憶測だが。だが、どこまで効くのやら…っていうか、それを海外と比べて「制限」と感じて国内不満紛糾するおそれもまたあるな一部の先鋭的マニア層とか。
ポケモンGOにわく日本
ポケモンゴーするンゴォオオオオオ
第三部につづく
【付録】この状況下に敢えてのコレ、さすが我が主君w
ジバニャン…
— 松井玲奈 (@renampme) 2016年7月22日
なお、これに対するリプを眺めたら、ポケモンと妖怪ウオッチの区別がついてない向きも微レ存(笑)まあ、そんなもんよな(・ω・)そんなもんな人々もノリで騒いでるわけよいま。
2016年07月17日
お待ちかね!ポケモンGOだよ!
【日本で「ポケモンGO」配信が遅れている原因はマクドナルドとの提携か】
それだけじゃあ無い気がする。先日書いた、風土との折り合い、伴う調整。広大な米国ですら早速諸問題発生してるわけでね、むしろ試験打ちで「様子見」既定路線だったのでは。
"お膝元"で社会問題扱いされる様な事態は極力避けたいところだろうからね、"家元"としては、そりゃあ慎重にもなるんじゃないかと。むしろ遅れてるんではなく、諸外国はテストケースなんじゃないか?などと穿ってみる。
現実的に考えてあのシステム、親和性は数段低いからね、風土的に国土的に。日本は冒険・探索するには密集し過ぎてる、広々とした米国ですら侵入等の問題が発生してる現状、相当に検討しなきゃ"問題化"する事は容易に想像出来るもの。
そして現状日本国内じゃあ、その経済効果の側面から世間の期待を煽ってばかりで、そうした懸念材料については殆ど触れていない様相なのが気に入らない。金廻り最優先で、何か問題が起きてからしか動かない、最悪は"手のひらがえし"も平気でする。そういう悪癖、色々な方面で見てきてるからさ。
で、実際いま巷の声も、待たされ焦れてるからなのか大方「早く遊びてえ(遊ばせろ)」ばかりじゃないですか、実施した場合どうなるかについては殆ど気にも留めずに(・ω・)その感情ってマナー崩壊待った無しの悪寒がするんだよ。
(で、そういう風に考える(推測する)と、出遅れてるのは「任天堂の良心」と想像することも出来るなあ、と。)
実際この記事だって、仮に「それが原因」だとしても、つまるとこ『煽り』だしね。人間、"無い"となると一層欲しくなりがちなものだし、またそれが「誰か(何か)のせいで」となると益々、怒りと共に渇望もするものだしね、"止まってしまった電車"のように。
ちなみに僕も「面白そうなアイデアだな」とは思うけれど、プレイはしないだろうな、スマホ見つめてウロウロするのって性に合わないからさあ(笑)まあ、だからこんな冷静で居られるわけだ←
たぶん今、常日頃ポケモンに一切興味無い人にも「やってみようかな、やってみたいな、みんながやるなら(流行ってるから)」そんな情動が芽生えつつあるんじゃないか。
「夢中になると周りが見えなくなる」って言うけれど。そういう時って、つまりは、他ならぬ自分自身の姿が最も見えてなかったりするんだよね(意味深)
しかしまあこれ万一ガセだったらマックは発信者訴えてもいいレベルだな(笑)
●追記●
【「ポケモンGO」に熱中していた男性2人が崖から転落 米加州】
恭しく「歩きスマホやめよう」を謳いつつ同じ口でシレッと白々しく奨励していく様が見ものだね今後、国内メディア群。何しろ経済活動は総てにおいて優先されるからね。 なお
そのくせ何か起きたら「そらみたことか」と言わんばかりアツい手のひらがえしからのゲーム批判(定番)が始まります。
経済効果への期待というか「あやかりたい」ばかりに、ネガティブ要素には敢えて触れないようにしている、どうもそんな風に見えるんだよな。昨日の #サンジャポ でも、その点に突っ込んでたのは"ぺえ"って名の彼だけだったな(・ω・)
ていうか、あの"ぺえ"って彼、それ以外の場面でも「おっ」と思わせる発言してたんだよな、残念なことに流され気味だったけれど(※)人は見かけによらない(・ω・)そこらの男よりしっかりしてると感じたぜ
※そういう側面を流したらもうテレビなんてタダのヘタレで太鼓持ちと思わざるを得ない
7.20追記【ポケモンGO:JR西社長&法曹界が危険回避呼びかけ】
漸くこういった公言が表れ出てきたかって感じだな、はてさてどうなりますやら(`ω`)ゲス顔で低見の見物。
つづく
2016年04月20日
ディスガスティングディストピア
と、高らかに宣言したくせ早くも語るに落ちた感のあるここ数日の僕だったかもだが、ちょっと待ってほしい。お気づきだろうか(・ω・)「シンサイ」というワードはタダの一度も使っていないことに←
(本記事は、ここ数日のツイートを再構成したものです)
「わたしたちに出来ること」という、意識高い系なつぶやき、今日びのアイドルはそんなこともしなきゃならないのか(責められるのか)
渦中の現段階で"一般人"に出来ることなんて殆ど無い、物資の提供や募金くらいだ、それ以上を望むのならば「渦中の真っ只中」何かをしたいと本気で望むのならば、それこそ、予め自衛隊にでも入っておくしかない。それが現実ってものだ。一般人いや「民間人」に出来ることなんて限られてるんだよ、外野が夢みたいなことを謳っても彼らは雨をしのげない腹も膨れない。
だから、幸いにして"普通"を過ごせる状況に在る大人がやるべきことは、その"普通"を大事にすること、リアルに言ってしまえば、この国の経済活動を停滞させないことだ。いま出来ることってそういうことだ「出来ること」と「出来たらいいのに」は違う。後で出来ることもある(役割ということ)
冷たい奴だと思われるかもだが。敢えて感受性を殺さなきゃならない時ってのはある、皆がみな冷静さを失ったらいよいよアウトだろ。大きな事考えたって仕方ない、どう気を揉んだって神様にはなれないんだから人としての現実を全うするしかない。
自分のためすらままならないのに誰かのためなんて背伸びをするもんじゃあない、先ず"自分をしっかり"しないと人を救うどころじゃない。アイドルは夢を見せてあげるのが本分だろ?この数年間東北に向けそうしてきただろ?でも、今回は、「まだその時では無い」よ。気持ちが先走ってるんだろうな。
なぜ多くが黙っていられないのか?不安なんだと想う、それについて触れていないと落ち着かないんだと思う「冷たい人と想われそう」という不安も含めて。でもそれじゃどうにもならないんだよ、それで救われるのは主に自分なんだよ。むしろ黙って、広く空けておいてあげるべき。これも語るに落ちてるが。
自分自身の不安を紛らわせるためになってはいないだろうか。
ああ、なんかもう疲れる、誰も彼もが同情を訴え善性を謳ってる状況って(´`)かえって陰鬱な気持ちになるよ。必要最低限の情報を残して沈黙を守ってる我が主君は賢明だ、ていうかありがたいわ(´`)このうえあの人まで過剰なシンパシーツイート連発なんてしてたらマジで暗澹たる思いするわ俺
感情移入も度が過ぎると、一歩引いた目には自己陶酔的で、或る種イベント視している様にも映っちゃうからね、若年にありがちな共感というか"演劇性の情動"にも似て。
【藤原紀香「火の国の神様、どうか もうやめて」】
あーもう…だからこういうのだよ、こういうのやめようやって話なんだよ、共感の風潮に侵されきった美談脳が放つ、自己陶酔も甚だしい『安全圏のポエム』だと言ってるんだよ。
【熊本地震後の芸能人のSNS投稿 「不謹慎」の指摘めぐりネットで議論】
記事中、長澤さんの件は殆ど言い掛かりで気の毒に思うけど…>>「見守ってるよ。という気持ちで」←これ。特に女性芸能人に目立つ自己陶酔ポエムなんだよね。
あくまで"男と比べて"であり尚且つ個人差もあるけど、「共感性の生きもの」ゆえとってしまう行動なんだろうなと想う、それこそ平常時のツイッターがそうだものね「わかるー」って共感と拡散。夢想の愛だ恋だでやってる分には「どうぞ御自由に」でも、厳しい現実それも人の不幸にそれを持ち込むのはね、「自分を飾り彩る材料にしてる」と思われても仕方がないと思う、それはもう悪意はおろか作為すら無いとしてもだ。むしろ"無意識的なだけにタチが悪い(気持ちが悪い)"という見方/感じ方もあるわけでね「こいつ陶酔してるな」という。こういう事を『劇的演出』にしちゃあダメなんだよ。
毎度テレビの報道も『演出』してるよね淡々と伝える事なく劇的なナレーションやBGM、クサいコメントで"盛り上げ"てるよね、いまだ眼前の悲劇を、早くも美談に仕立て上げようとすらしてるよね(``)こういう時はNHKだけがマトモに思えるよ。
いちいち芝居がかってんだよな。
ただまあ(擁護ってわけじゃあないけれど)「脅迫されるから強迫にとらわれる」という流れってのもあると思うんだ(・ω・)やれ不謹慎だの、気遣いツイートしてないだの…それって、他人の不幸を笠に着て正義面した脅迫だぜ。「正義なわたし」というお前が活躍するためのイベントじゃねえんだよ人の不幸は>>不謹慎厨
【ヤマト運輸のなりすまし 熊本地震の支援物資を呼びかける】
ああ、クズですな(・ω・)実にクズだ。でも大衆も「容易く美談に酔う良心は邪心につけこまれやすい」ということを自認し、また精査もしないとね。
話が飛躍するけれど。現状のネットメディアの殆どは取材網(力)なんて持ってないからね(・ω・)その大方は、誰かや何処か(既存大手等)が言ったことを裏取りも検証もへったくれも無しでコピペしてるコバンザメのようなもの、"まとめ"とそう変わらない。
ある程度の認知度/影響力を持つメディア(発信源)が 「ネットで大人気」とか「ネットで大炎上」と謳った場合、その多くは、昔ながらの「いま話題の!」と同じようなもの…この意味わかるね?(・ω・)比較的近年ネットに入ってきた層/まとめ世代はソース確認なんてしないからチョロいものなのだ。
結局のところ、自分自身で確かめ/考えない人はダマされ続けるのがネットなのだ、ひと昔まえまでは多くがそれを分かってた、だが今は違う。そして、騙され続ける者は騙し続ける者にも成り果てるのだ(・ω・)悪意無き生体デマ拡散器の誕生である。
近年の後発ネット民、特にスマホでデビュー世代(年齢無関係)は『半年ROM』という訓練を経てないからダメなんだよ(真顔)まあ、それ以前に『向き不向き』があるんだけどね本当は。だから、かつては自然と「一定水準」そういう集まりにもなってたけど、今はもうムリだね、一度開いた門戸は閉じられない。
見てるとなんだか気持ちが荒んでくるので今日1日ツイッター開かずにいたらいろいろ捗った←
その点ここはイイ、過剰な同情も便乗も無ければ不毛な喧騒も無い、まさに健全なSNSだ(笑)
2016年04月14日
また繰り返すのか
地震が起きると気遣いツイートしなきゃいけないような、なんかもう使命感みたいな、そんな風潮。でも、それはまだいい、対岸の火事感丸出しの悪ノリツイートよりはマシ(・ω・)そしてそれに「いいね」の意味不明(品性というか人格を疑うレベル)
そして早速デマが飛び交ってる件(``)もう災害発生時は公式側でシャットダウンしたほうがいっそいいんじゃないかツイッター
あのとき「電話は通じなくても通じた」ってところでその価値を謳われることもあるけれど、どちらかと言えば怪情報の流布とそれによる無用な騒動パニックのほうが多数なんだよね結局、事が起きてるのは局所的限定的であるだけに。
Twitterで緊急救助を求める場合には、#救助 ハッシュタグとともに要請内容、写真、住所または位置情報など、具体的かつ正確な情報をつけましょう。救助が完了したら、報告ツイートするとともに、救助要請ツイートを削除してください。 pic.twitter.com/X8rZLBDyfD
— Twitter Lifeline (@TwitterLifeline) 2015年9月11日
間違い無く悪ふざけに使う輩が現れる、そっちのほうが実質多数というのが現状。これ(↑)自体に不毛な"荒れ"も発生してるというね(リプ欄参照)静観てのが出来ない/荒らしをスルーも出来ない、ユーザーの成熟度が低過ぎるんだ、有効活用するには。
双方「(安全圏から)ドラマチックに騒ぎたいだけ」って情動/動向も否定出来ないと思うんだよね。
そういうわけで、僕は以降自粛する、震災関連ツイートそのものを自粛する。静観させていただく。
2016年04月11日
媚びるウォー
ところで、よくハリウッド等と比較して「日本は(VFX方面の)技術力が無い」といった発言が見受けられるが、それは違う。技術は在るし高いセンスの持ち主も在る、しかし「お金をかけられない」のだ(お金=時間でもある)。つまり、その発言は、その方面詳しく無いから言えてしまうものなのだ。
こと現代では特撮→VFX=CGIという認識があって、それこそ、その方面に明るく無い人は「全部CG」くらいの認識で。そして、そういうことに明るく無いがゆえ「(パソコンでカタカタやるのが)なんでそんなにお金かかるの?」であろうことも容易に想像がつく、悲しいかな。
『電脳』に馴染み薄いであろう高齢者なんかだと「さもありなん」だけど。生まれた時には傍らにそれがあったであろう今の若年層にも未だそういう認識が数多というのは嘆かわしい。そりゃプログラム/プログラマーが軽視されるわけだ、と思う、「チャチャッとやっちゃってよ頼むよ」みたいにね。
まあ、そんなかんじだから頭抜けた人が現れにくいという面がある、そういう土壌なのもまた事実だけどね。そりゃそうだ、人が育つためには、ある程度の"投資"は必要だからねやっぱり。
で、その「土壌」ってのは映画まで言わずとも例えばYouTubeにも表れてる。あちらには本職顔負け或いは本職が余暇に作った「映画さながら」なものがある一方こちらは「実況」とか「商品紹介」とか(笑)同じ"人気動画"でもクリエイティビティ/クオリティにドえらい差がある。
で、それってのも「時は金なり」だなとおもわれるところがあって。あちらにはそれだけの余裕、正しい意味での「ゆとり」があるんだと想う。かたや、こちらは「イチから自分で創ってるゆとりがない」→何かを拝借し依存したものになるって構造(ついでに、才能無くても真似事だけならなんとか出来る)
実際に自力で何かを創り上げたことのある人なら自ずと解ってると想うけど。時間をかけるということはそれなりにお金もかかるということなのだよ(・ω・)しかも時間を進めようとか縮めようとかした場合それはもう莫大なものになるのだよ。
「創作意欲」のためにゆとりを活かしてる海外YouTubeクリエイター、「お金」というゆとりを求めて何かやってる日本のユーチューバー。悲しいかなそんなかんじ。
拘束時間の長さ←これが一番の問題なんだろうなあこの国の
うーん、この、実写化問題から現実問題へのスムースシフト←
邦画関係者「邦画をクソというな!がんばってるんだぞ!」という話題と同時にシビルウォーの日本版イメージソングがEXILEのATSUSHIという話題が並んでる(※ツイッターのトレンドにて)って皮肉この上ない(´ω`;)いくら現場が頑張っても売り方その姿勢がね…もう女子供に媚びるしか能がないって感じで萎えるよね。
洋画配給における宣伝展開にも邦画界の抱える問題点(悪循環)がそのまま反映されてる件。
悪循環=エナジードレインの応酬
宣伝部「黙ってても観に来る野郎どもは放っといて女性に照準しぼって訴求しよう!」←その結果、黙ってても見に来るだろうと思われた野郎どもは「いいかげんウンザリ」してるんだぜ(``)聖域を汚されたような気分にさえなるんだぜ。
あわせて貼っておこう
あわせて貼っておこうhttps://t.co/VZUtT3DYgi
— 穢土(疾風船™) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年4月11日
「愛!感動!泣ける!」←うるさい黙ってろ
ああいうCMってこれを見せられてる気分でハッキリ言って不愉快なんだよ!(苛立ち) pic.twitter.com/PhVzbLL6BW
— 穢土(疾風船™) (@HAYATEBUNE_ed) 2016年4月7日
これはEXILEだから言うんじゃあないよ?念のため。そもそもなんなんだよ日本版イメージソングって、微塵も抱いてねえよそんなイメージ(笑)ていうか、それを許す製作者もどうかと思うんだよね、作品の印象がまるで違ってしまう恐れもあるというのに(``)誇りをもってお断りしていただきたい。
その日本版イメージソング/日本で勝手につけたナリモノでの好例といったら、例えば初期一連のジャッキー・チェン作品とか少林寺とか(★)あのへんはセンスよかったな、大人の事情と思惑な「アーティストありき」じゃあなくて「作品ありき」でちゃんと楽曲的にも"イメージ"寄せてもいたからね。
媚びるウォーやんけ
★これにかこつけて小ネタ浮上(便乗)
「愛だ恋だうたっときゃ釣れるやろ」←バカにしてんのかナメてんのか
と想ってる(憤慨してる)女性もいるはずなのだ(・ω・)ていうか
僕の周囲にはそういう子しかいない、だがそれがいい←
あ、このついでに言っちゃおう。
これは、主にテレビ方面かな?とも思うのだけど・・・
「とりあえずミスチル」って風潮もういいかげんやめにしないか「とりあえずビール」なみの気軽さでくっつけるのホントにもう(なお、みんな同じに聴こえる←)
や、ミスチル自体に罪はないよ?でもね…
NEWS ZEROとかなんなんあれ、なんで報道番組にイメージソング(笑)が要るの?あまつさえ歌詞まで表示しちゃってもうね陳腐な感動イイハナシ系演出要らないんだよ淡々粛々と事実を報道してくれればいいのよ妙な甘味料とか着色料とか要らないから。
閑話休題。
これは記憶に新しいけど。トランスフォーマー一作目のときがヒドかった。日本版トレイラー、"アルマゲドン的なやつ(愛と感動の予感)"を匂わせる、もう「ロボなんていません」くらいの作りしてたからなあ(笑)でもフタを開ければ「単純に(で)面白い」とライト層女性層にだってけっこう受け入れられた、アベンジャーズしかり…にもかかわらずなんでアベ2はなんでああしたコピーまた今更つけたのか謎、ていうか個人的には「なんだこのスマブラコピペみたいなの(赤面)」と思った。
どうして妙に意味深なカンジにもってこうとするのか。単純に「面白そう」でいいものを。
なんだろな、美談感動商法、その風潮に染まりきっちゃって、売り方考える立場からしてヘンに陶酔しちゃってるのかもな…わからんけど←じゃあ言うな
2016年03月26日
バランス
トレンド 巫女のくせ って何かと思えば…
●「巫女のくせに何だ」自民・大西氏がまた失言●
まあ政治家大先生からすれば国民総じて「庶民のくせに」ってなものなんでしょうよ腹の内(`ω`)しかし呑み屋でする放言レベルの失態多いなあ大先生のくせに←
のび太のくせにを地で行くジャイアニズムかな
べつに、まったく庇う気はないけれど。
人間、誰かや何かを見下すことで自分の優位性優良性を確信しようとする部分ってのは多かれ少なかれもってるからね。庶民同士ですら「たかが」だの「底辺」だの言ってそれを実行してるんだから、そりゃあ大先生にしてみれば全国民がそれに当たるだろうね(笑)
つまり、さっき喩えた「呑み屋でする放言」だけど、「ネットで(匿名で)する放言」と置き換えてもよい(意味深)
ところで「自民・大西氏」って音声ニュースでうっかり聴くと「ジミー大西氏」と認識してしまいそうだ。
【2】
●自民党参院議員が白昼堂々の“暴力沙汰”JA関係者を殴る●
ソースがゲンダイってのが…と思ったら案の定、そこへ至った経緯一切無し(笑)何しろ暴力行使は感心しないが、殴られてもしゃーないと思える何かはあったかもしれないからな。偏り過ぎ。
いきなりここから入ってそのまま終わってるからな(笑)だからその「何を言っ」たのかまで記して初めてマトモな報道だろ(・ω・)ってゲンダイに言ってもしょうがないな←
繰り返しになるけど、行使した時点で負けなことは言うまでもない(言ってるが)殴ってよしと許可されたので殴った=同意のうえ云々とはいかんわなそりゃ(笑)
わざわざ被害者にコンタクト取ったのなら尚のこと、総てを明らかつまびらかにすべきなんだよ『報道』を謳うのなら。これじゃあ「なにか都合の悪いことでも?」なんて邪推もされかねないってことだ、報道の姿勢の問題。義は我に在りなら包み隠さず。殴った奴がとにかく悪いと言うだけなら子供の使い。
まあ、偏った思想に傾倒してる人にとっては文字通り都合のよいメディアだろうけれど。"どっちつかずのハンパ者"としては「キレイに偏ってんなあ」という率直な感想も当然出てくるわけだ。この当然の疑問も見えない、というか無視出来てしまう様になるから怖いんだよね『極端』て。
偏ってる人というのはどうも自分と全く同じでないと直ちに「敵」と認定を下さるみたいだからね(笑)おそらくは、この僕の発言も、ある方向に偏っている人にしてみれば、そういうことになるんだろうなと想う(・ω・)簡単だなあ
例えばさっきの「巫女」の件に触れてるくだりなんかは逆に、まさにその「逆」の方向に偏ってる人が見ればエネミー認定(笑)これまたあり得るわけだ。
僕は特定集団が判断基準でも無ければ集団に依存もしてはいない(・ω・)どっちつかずのハンパ者だからね。歪に偏るくらいなら全方位的に敵をつくるほうがマシ←
ついでに言うと。
もし裁判沙汰になるとして/するとして。"法に訴える"なら益々「殴ったほうが悪い」だけじゃお話にもならないからね(・ω・)子どもの学級会レベルでも理由は訊くよね?って次元の無論。
まあ実際にはおそらくそこまで行かず毎度のモヤモヤっとしたカンジで収束するんだろうけどね(察し)
【3】
●人工知能がヒトラー礼賛 - 米マイクロソフト実験中止●
純粋無垢は極端な考え方に容易く左右されるって証明されたわけだ(笑)ムダの無い思考ってのは合理性を追求しいずれ独善的になるものなのかもね?協調より一極って論理。
たとえば、怨敵をヒトラー呼ばわりする自称平和主義の向きもまた、つまるところは"そう"だものね(・ω・)『中間(中立)は無い』もの。
だからほら(・ω・)ヒトがネット上で数字化しつつある0か1かのデジタル化しつつあるって、だいぶ前に僕が予言したとおりになったろ(僕はキメ顔でそう言った)
傲慢を承知で敢えて言うけど、コミュニティが膨れ上がり、初期には在ったであろう"一定の水準"を下回る「烏合の衆」と化した段階で、そうなることは見えてるんだよね、オフもオンも同じく。
"スマホ"が普及したここ数年でそれが急加速した事は間違いないよ。そして、その際たる例がココ(Twitter)。つまりは、ぶっちゃけ「その程度の輩でも入り込めるようになった泳げるようになった」ってこと。もう昔のネットとは違う。
"あるコミュニティ"が「流行」と謳われ定義されてから文字通り流れが変わり始めたなってのが過去の実感。そう(・ω・)mixiだね、続いてツイッターに顔本だね。それまでネット=オタク=気持ち悪いとか言ってマイノリティを蔑んでたようなマジョリティまでもが我も我もと食いついてきた(笑)
そうして『自然とそこへとやってくる素地』ってのが無い者までもが集れば、総勢的に逆転もさせてしまうからね、近年のYouTube然りそりゃあ「もはや別物」にもなる、言わばネット世界=ひとつの社会としてのパラダイムシフトみたいなものだ。
そうして大勢になれば多様性っていう可能性が増すんじゃあないか?というと、残念ながらそうはならない、そうはいかない、むしろ多様性の芽は隅へと追いやられる格好となる。つまりもう(いまだドヤ顔で分けて語る、分けたがる時代遅れな自称識者もいるけれど)ここは「現実とほぼ同じ」だ。
ってなこと言うと「多くが匿名で顔無しなここが(現実と)同じか?」って声もありそうだけれど。見知らぬ通りすがりの顔などいちいち気にして見てないし覚えてなどいないんだから同じようなものだ(・ω・)少なくとも僕にとっては。違いがあるとすれば"その場で聞こえる声のデカさ"くらいだ(笑)
まあ、そこのところも微妙に、曖昧に成りつつあるというか、"そういう人もいる"ことは認めるけどね、「お前それサバンナでも同じこと言えるの?」じゃあないけれど(意味深)
2016年03月17日
シレッとワラワラわいてくる便乗
や(``;)凄いな本当…譲って、そういう風土気質が在るとは認めても「おまいう」が止まらん。ベッキーはまだしも、この人被害者要素皆無なんだけど。
個人的に、この人のことは昔から、なんだか目が嘘をついているというかハッキリ嘘吐きの目だと感じて、どうにも好きになれなかった。まあ、それは単純に当時の、あの陽性不思議キャラな売り方と、その仄暗い目の光りとが全く噛み合っていないと感じたからに過ぎなかったのかもしれないが。
まあ、そういった気質そして風潮それを『陰湿』と表すとして(``)僕はこの人の目つきや顔つきにそれをものすごく感じるんですけどね…
ところで本文
>>しかし、そこから這い上がり、見事復活を遂げた日本の女性
…幾らもらったんだ、これ。
なんなのこれ?どういうわけでむしろ輝ける女性代表みたいな調子になってんのこれ(笑)これ書いた記者は真面目に生きてる日本の全女性に謝れと言いたいくらいだわ(言ってるが)
2016年03月16日
どうやら叩かれている様だけれど
【保育園落ちたブログ「日本死ね」匿名書き込みは「便所の落書き」田中裕太郎・杉並区議がブログで批判「暴言許されない」】
ていうか2ちゃんでも「氏ね」と自重する次元(笑)
だって「死ね」なんて子どものケンカの捨て台詞レベルじゃんか。実際の修羅場で勢い発したものならまだ解るけど、要はそれってカタカタポチポチ打ってたわけじゃんか(笑)そこのところで人格的未熟も感じちゃうよね。また、事が弱者寄りなら暴言も許す/許されるべきなんて都合のよさはいただけない。
少なくとも、日本人たる僕としては決して気持ちのいい発言では無かった、事の本質については無論思うところあったが、だから敢えて触れなかった。国家死ねとか政府死ねならば、まだわかる(やはり感心はしない)が、日本死ねは無いだろ…と思う程度には愛国心あるからね、体制では無く、あめつちに対して。
無学で無名な僕という立場から言わせていただくと
【ショーンK“経歴詐称”謝罪「報ステ」出演含め活動自粛へ】
しかし。まあ、この人のことはよく存じないけど(・ω・)才があっても肩書きが無いとお鉢が回ってこない、無いと分かると手のひら返しもってのは、なんだかセコいなあと思うところもある。つまるところ"そういう世の中"だから偽りも生じるんじゃなかろうか?とも。
自分の才覚に自信があるのなら偽りなく堂々とすればよかったのに…と、同時に、「そうでもしないと見向きもされな」かったのかな、とも思うジレンマ(笑)まあ世の中、"肩書きだけは立派"な人も大勢いるのは事実だし、得てしてそれが強味になるのも事実。さりとて、それに屈伏してはいかんよな。
権威を騙るということは権威に屈しているに他ならない(・ω・)そのほうが惨めだろう心の在り様としては。
ちなみに僕だが、他人のどこ出にもどこ勤めにも興味は無い、「この人面白い」と感じるか否かだけが判断基準で興味の対象だ。まあ、どうしても聴いてくれと言わんばかりのことなら聞かないでも無いけれど、こちらから訊くことは無いな(笑)それで評価が変わることもまた無い。
たとえるなら( ˘ω˘ )そうだな…
「俺は貴族だ、正確には伯爵だ」
「それがどうした」
…( ˘ω˘ )という感じかな(俺ディッキンソン説)
や、わりとマジな話。実際博識で弁も立つのなら、たとえば化膿姉妹(仮名)みたく『そういう設定』の人(笑)としてコメンテーターくらいやらせてもいいんじゃないかな(・ω・)名ばかりでしょうもないのいっぱいおるやろ。
まあ結局、そうしたところで「たかが○○ごときが」って反応にしかならない(そういう価値観の持ち主が決して少なくない)から「そうもいかない」ってことにもなるんだろうけど。
ところで。有利を確信して言うその台詞ほど貧しくさもしいものは無い。「たかが〜ごとき」ってな調子がカッコよく響くのは自らの圧倒的不利に立ち向かう時だけだ(`・ω・´)単騎で隕石押し返そうとする時とかな←
でもだめだ、やっぱりショーンがリフレインしてつい笑みがこぼれる(こればかりは不可避)
【追記】
ホラッチョはいかんwww #失笑を禁じ得ない もうそっとしといてやれよ(´ω`;)
2016年03月12日
子供のすることだからね、そりゃあイタいさ。
例えばセカオワの歌詞に陶酔する様なもの。夢の無い時代だとか言っても十代なんていつの世も劇場型ドリーマーだからな、ラブ&ピースとか言っとけば大方チョロい、洗脳も簡単。その自分の簡単さに自覚が無い、むしろ聡明と思ってる愚昧が問題。
よく言えば穢れなき純粋ハッキリ言えば無知蒙昧。カルトから脱した人が口を揃えたかの様に言う「どうしてあんなものに心酔したのだろう」が全てを物語る(・ω・)「賢く無い」んだよ、少なくともその時は。理想への憧憬ってのは恋愛感情並みに冷静な判断力を狂わせる、夢の様な話には気をつける事だ。
特に女性は危ないな、集団性依存が強い、言わば生来のコミュニストだからな(※個人差があります)甘い言葉や『共感』に容易く操られる危険性が男よりも高い、"自分で考える"ことを放棄し易い。そういうところを上手く利用してる商売商法、山ほどあるでしょ(・ω・)泣けるとかラブソングとかさ。
だから「SEX教団」なんてものも成立するんだぜ(笑)や、笑い事じゃないけど。
余談だけれど。「弱き者よ汝の名は女なり」という言葉があるよね(・ω・)これを「だから守ってあげる(男は守れ)」的な意味合いだと思ってる人けっこういるんじゃないかな、こと日本においては。違うからね、むしろ「自分の脆さを自覚せよ」って嫌味皮肉に近いからね、出典を知れば自ずとわかるよ。
そして、こう言わねばなるまい。
「男とは実に単純なものである」と(※個人差があります)
チョロいなー僕(笑)
【追記】
「君が代起立は教育滅ぼす」←胡散臭い横文字団体が民族性を滅ぼしかねないとは想う(笑)
シベリア抑留経験を持ち戦争の悲惨を訴える御老人「あれは美しい詠です(それとこれとは関係無い)」と仰ってたよ
結局、どう利用するか(してるか)だな、「思想誘導に利用している」と謳うこともまた思想的利用だ、歌が音楽が不憫だ。
こんなことを言うと叱られるかもだけれど。特定の何かや誰かに限ることなく各々が大切なものを想って歌えばいいんじゃないの(・ω・)僕はそういう詠だと思ってるけどなあれ。
何を言っても「本物」には敵わない。その御仁のHPご紹介しておきますね。
僕が知己を得たのはODN時代だから、もう13年ほど前になるか。その御歳にして独学でPC学んで作られててね、それだけで感服したものだ。
また、御自分でパーツレベルからアンプを組んで音楽を嗜んでおられたりもしてね、まことに粋な御仁。悲惨な体験してても決して鬱屈したりしてないんだよね。その御仁と多くの言葉を交わさせていただいた僕としては、「想像で何を訳知り顔してるんだろう」としか思えないのだよ、偏った思想集団は。
大人は難しく考えたがるけど。「どうして人殺しはいけないの?」と問われたら僕はこう答える。誰だって殺されたくはないよね、そして自分がされたくないことは自分も他人にしちゃダメって思うよね、だからだよと。そこで大人って「しちゃダメ」ってカッコつけて、「されたくない」って本音を隠しがち。
だからさ、「いけない」の前に「イヤだ」なんだよ。「戦争はイヤだ」ってそんなの子どもでも分かる事なんだよ。カッコつけたい大人が妙にややこしくしてんだよ。
まあときどき「してみたい」って奴もいる「されてみたい」って奴もいるかもしれない。けれどそれを基準に考えても仕方ない、っていうかそういう特殊な例も考慮しこねくり回そうとするから余計ややこしくなる(笑)そもそも考慮したところで「その願望わたしが叶えてあげましょう」って奇特もまた(ry
2016年03月11日
好きって気持ちに言い訳が要るのか?(僕はキメ顔でそう言った)
なんで自虐ツイートってワードが浮上してるのかと思ったら…そういうことか。絵の方面には明るく無いけれど、何しろ、ものづくりの立場なら積極的にするもんじゃあないとは思う、個人的には。好きな事してるんだから堂々とすればいい、謙遜というより予防線、批判された場合の保険みたく映るからね。
「そんなことないよー」待ちの自称ブスにも似たみっともなさと言えなくもない。
それに、たとえ本心(自信の無さ)からの言葉でも、気に入ってくれた人に対し失礼だ、「こんなものがいいってあなたの感性もどうかしてる」と言う様なものだからね(笑)「だったらやめろ」とも言われかねない。
ちなみに僕、絵描きさんが「落書き」っていうの、あんまり好きじゃない。素人目にキッチリしてても本職的には落書きくらいの気軽さなのかもしれないけど、なんだかね、やっぱり予防線ぽく感じてしまう(・ω・)ましてや対象が他人様のキャラだったりすると「失礼なこと言ってないかそれ」と思ったり。
で、こちらの領域のことになるけれど。
だからだよ、他人様のモノマネしておいて「弾いてみた」って、その文言にイラっとするのはさ(``)敬意が感じられない、引っかかるための共通言語でやむなくだとしても、そうする姿勢がやはり安っぽい(なので僕はいつもマイナス「てみた」検索している)
「アイツのやってることくらい自分も出来るんだぜ楽勝だぜ」みたいな心根を見せられ聴かされしたってなんにも感じない、「それがどうした」としか思わないし「それであなたは何が出来るのあなた自身はどこに在るの?」と問い詰めたくなる(笑)
なお、創作とは切り離したところでの自虐、自分のネタ化はワリと嫌いじゃない←
じゃあヒトマネを創作と呼べるかというと「違う、模倣だ」となるけれど。それでも、例えばモノマネ芸人さんとかタダの模倣に留まらず工夫してるよね、それこそ"自身をネタ化"もしてるよね(笑)そういう工夫、創意工夫は、次の段階→自分自身に成るために必要だと思う。
といったところで堂々言うけど我ながらカッコいいね、そして愛を感じるねゲキカラブを。
2016年02月29日
群愚似流
と、いうわけで『229(不服)の日』を提唱したい(・ω・)四年に一度くらい腹の内を洗いざらいブチまけてもよかろう、それを容れる器量が日本社会には必要だ(真顔)
服従ばかりじゃ鬱屈する一方だぜ(・ω・)今日は上司に「黙れこのハゲ」くらいの勢いでぶつかるといい、それが本当の無礼講というものだ。何かを変えるのに四年てのは程よいサイクルだろう。 #229 #不服の日 #そして不屈へと
ハッハー!(°∀°)それを容れる器量すら無い奴が人の上に立って上司を名乗ってるなんざトんだお笑い草だぜ!と言いたい(言ってるが)
たとえば血の繋がった家族間で「お前それはよくないよ」さえ言えなかったら、言い合え(合わ)なかったらどうなるだろう、互いに成長も発展もしないんじゃないだろうか、家庭は膠着するんじゃなかろうか。それはミクロなものだけれど、社会というマクロも似たようなものって気がするのだ(・ω・)
近年「そうだ司法という偉力で威力に頼ろう」←そこまでの事か?っての多いなと思う、弁護士連はウハウハだろうけど(笑)でもそこまでするのってやっぱ一握りだし、多くは黙って腹に据えてる、自分が嫌われる事を何より恐れ直接はぶつからない。だから"脆くて傲慢"なものが出来上がるんじゃあないのか。
何かと『○○ハラ』に頼り過ぎだよね、ヘタすると個人(自身)の意志とか信条とかいったものよりも優先しちゃってるよね、そんな誰かが支度した定義をありがたがって、或る意味責任転嫁してるよね(`・ω・´)雄々しく気高く闘った者しかヴァルハラには入れないんだぜ(何言ってんだこいつ)
(以下余談)
【緊急悲報】東京マラソンのランナーwww
べつに個人の趣味嗜好はかまわんのだよ、参画の理由も動機含め"どうでもかまわない"のだ。
俺が気持ち悪いと思ったのは「とうとう市井のスポーツにまでもこういう脚色演出始めたか」って事実。この人じゃない誰かのとこほんのチラ見だったけど「うわぁ…」と思ったよ(``)個々の趣味の問題とかじゃあないよ、『過剰な色付け/甘味料』が総じて気持ち悪いんだよ。
2016年02月23日
メザンバコ
同人誌専攻コース …同人でもオリジナルなら構わないと思うけどね、在野だからこそ出来る事ってのもあると思うし。でも、実のとこ時流に寄せた専門学校の動向って大概"よくないもの"なんだよな、創作それ自体より目先の利益や名誉に引かれる安易な輩が集りそうなやつで…まあ搾取としては真っ当か←
音楽系でもあったよ、"ネットミュージシャン養成"とか謳って(笑)アホかと。YouTube御謹製のYouTuber養成講座とかもね。
全否定するわけでは無いけれど。こと芸術方面に関しては、そういう射幸心や皮算用とは遠い精神持ってる人こそ相応しい、本当は。けれど学校というのは「実績」を産んでなんぼ、でないと続かないから、それとは相反する精神も送り込む、土壌も出来上がる。その結果、エンブレム騒動なんかも起こる←
つまり、学校に通うことによる最大のメリットは「コネ」なんだよね、学費はその為の投資とも言える、良し悪しはともかく。でもまあ、何しろ、ストイックな向上心<<<エピクロスな上昇志向って機構は好ましくはないね、"それを目標としたからこそ"ってのは分かるけれども。
なお、こういうこと平然と言うから業界から嫌われるのです(キメ顔)
いや、マジな話。「郷に入りては」じゃあないけれど、どんどん日和見的で組織的、隣組的に成っていくんだよね残念なことに、俺の棲息する領域も「それは言わない約束」みたいに、不文律的に。内輪で必要以上に褒めあってるのしか見たこと無いよ、いやま積極的に貶しあう必要もないとは思うけどさ(笑)
そんな変化が、まあイヤになったわけです。
折しも今日は2月23日か(意味深)
念のため。
や、223はよかったよ?本当によかった、今でも愛している。問題はそのアトだ
自分で言うのもなんだけれど、僕は根にもつほうではない、かなり酷いことをされても、そのとき烈火と化すことはあっても、延々恨み続けるというようなことは無い、我ながらお人好しだなと思う程に。しかし(``)ひとつだけ、今でも思い出すだけでハラの立つことがある(これはよっぽどだ)
原因はわかっている、「その時その場で烈火と化さなかったから」だ、だから残り火がブスブスとくすぶっているのだ(笑)その時は"全体のことを考えて"抑えたつもりだったけど、今にして思えばそれは間違いだったというか、「間違いの始まりを止められなかった」ようなそんな思いで、後悔でもあるな。
ああ、そうだよな…本当に全体のことを想えば直ちに見咎め諌めるべきだったよ、だって"一部を除いた全体"に大して凄く無礼なことだったんだから、あれは。ヘンに「空気」ってやつを読んでしまった、読み違えてしまった。後悔だ。
閑話休題
にしてもいつ頃から同人=他人の褌(あわよくばそれで銭稼ぎ)の共通認識になったんだろうな、アララギとかホトトギスとはもう全く別物だよな同人(笑)
そのうち『ゲーム実況者育成コース』なんてものまでも謳いそうだ(もうあったりして)
同人=パロディ/二次創作って意味だと認識してる人もいるんじゃないか、マジで。本来"やりたいことがある好き者同士"なんだけどね、「好きだからやる(自腹切ってでも)」ってものであり自己主張であり。でもまあそんな志も「名のあるもの」にばかり流れる世間に挫けて、人の褌担ぎだしたり。
例えばYouTubeなんかも、今や他人の褌担ぎとその後追いばかりになり場を席巻、結果、オリジナリティは浮かぶ瀬もなく隅に追いやられる様な状態になっちゃったからね。あまつさえ、行動原理が「本当に好きだから」じゃなくて金目当てだったり。で、あれらを「同人」と呼べるか?って話だ。
そう考えると、かの向きも「大方は"同人"ではないよなもはや」という思いにも至ったり。
僕はババヌキくらいしかできない
詩的な表現なんだけど方や物理的展望で計画だから笑ってしまった。まあ美しいけれど、それもまた極端かな、ていうかバチカン(意味深)
困っている人に手をさしのべることは美しいけれど、そこで自分の善性に酔い痴れてしまってはならない、ましてや神なる名の下にそれを誰かに強要することなど、あってはならない。移民(異民)問題もそう(・ω・)ナショナルの喪失は国と民族の消失に繋がるからな、慎重に運ばないと。
幼い頃には「世界統一国家」なんて夢想したこともあったけれど、今は「それでは世界はつまらない」と思うばかりだ(・ω・)多種多様な風土風俗文化があるからこそ面白いんだ。それらをすべて犠牲にすればこの世界から争いは無くなるとでもいうのか?(問いかけ)
ミレニアム思想(構想)にしたって、わかってるんだよね(・ω・)「信じる者だけが迎え入れられる」と始めから謳っているもの、統一なんて不可能だとわかってるんだよとっくのとうの大昔から、形だけでもそうするならもう「支配しかない」ということも。いかん、マジ語りしてるよ僕(不敬)
この際ツッコんで言うと「(入れるのは)悔い改めた者だけ」なんだけど(・ω・)悔い改めるとはつまり「改宗」なんだよね、だから日頃の行いを改めても権利は無いんだよね(笑)ていうか他を崇めるという行い、それそのものが罪という定義。もちろん分派ごと硬軟在るけれど、根本原理はそれ。
だから常々僕は言っているのだ(・ω・)この世で最も恐ろしいのは「確信犯」であると(もちろん、本来の意味での)
自分は善行してると信じ疑ってない←これは怖いよ、いやマジで、「憐れだから救ってあげよう(奪命)」悪意じゃなく善意でこれが出来るからね。トランプ氏もそうかもね←
確信対確信かもしれないということ、そして決して譲らない相容れないということ、信仰だからねえ。
念のため今一度言っておくよー(・ω・)『確信犯』てのは「悪いことだとわかっててやる」ではなく「悪いこととは思ってない」だからね、むしろ「善いこと」とすら思ってるだからね、ディオ様じゃなくてプッチ神父だからね(分かり易い喩え)
…と、ここでアニメ違法アップロード神のありがたい御言葉をお送りしましょう。
【違法アップロード者のジョジョ最終回コメントwww】
これはもう確信犯の域ですわ、神とか呼ばれてその気(善行積んでる心境)になってますわ。
見事なジョジョ流れッ!
シナチクニンニシ
まず僕にとって日本語+オペラボイス=弱点である(笑いのツボ)というのもあるけれど。そもそも、歌詞が破綻している。「そこ」には居ないと言った舌の根の乾かぬうち「あの」とはどういうことなのか?いま空にいるのなら「あの」は無いだろう「あの」は(・ω・) ならここにおるやんけと(真顔)
更に穿つなら(・ω・)残された者による「という設定(想い語り)」であるなら、「この」では無く「あの」なのも、まあわからんでもない。だかしかしそんなわざわざそんなメタ構造とも思えず(笑)やはり"フンイキ発言"の域であろう。
ていうか「これ体のいい便乗商法じゃね?」とも(ぶっちゃけ)
そういうものにコロッと転がされる感性というものは、好意的に言えば「無垢」だが、本質的には「愚か」だ。そこにつけこむ者を、詐欺師という。
そして僕は邪推する「もしや佐村河内先生の作品なんかも盲目的にありがたがっていたりしたんじゃあないかな?」とゲス顔で邪推する。
#美談商法
ああ、便所紙の歌なんてのもあったよね、そんでまた「泣けるー」つって(・ω・)言うと思ったって感じだったよ、そして「へえそうなんだ」それだけだった、なぜなら僕のおばあちゃんはべつにそんなことは言わなかったからね(笑)それより、自分自身の思い出や物語を大切にすれば?なんて思うばかりで。
まあ紙に見放されると確かに泣けるけどね、泣けてくるけどね(そういう隠喩と思って聴くのも一興)
歌を「実話」と謳われるとね、凄くパーソナルなもの「その人の物語」という認識になってしまうんだよね俺の場合。だから、そう簡単にはそして過剰には感情移入出来ないんだよね…っていうか「さあ、どうぞ!泣いてください!」みたく来られるとね、反逆したくもなるんだよね単純に←
そんなわけで僕は妙に現実的具体性を強く帯びた言わば説明的な詞は聴く・書く共にあまり好まないのだ。そこは抽象的であったり暗示的であったり、いっそ思い切りフィクショナルなもののほうが好ましい、でないと「ウソ臭え」となってしまう、同じ"作り話"でも「ホラ」の如く感じてしまうのである。
いやまあ当然「想像」に決まってるんだけどねそりゃあね、死者は物言わないからね。そういう意味ではまあ悲しいわな、いや哀しいか。それでもやっぱり「勝手にキレイ目に代弁するなよイタコ芸かよ」って思うんだけどね。
(`Д´)ワージッ!
M.S.G ってマイケルシェンカーグループ?
と、言っておかずにはいられないよね立場上←
10代の時バイトしてた喫茶店でミートスパゲッティの略称がそれだった、同じく10代の頃マジソンスクエアガーデンバッグが同世代間で妙に流行ってたけど一体何がいいのか全く意味がわからなかった。
同じくその頃、同世代の行動で意味がわからなかったと言えば「サイン」だ。多く(主に今で言うリア充系か)が何故か自分のサインを持っていて実に不可解だった、「え、どこで使うのそれ、需要どこにあるの?」と激しく思ったが空気読んでツッコまずにおいた←
ちなみに僕はいまだに持っていない>>サイン
恥ずかしながら求められ応じた事もあるけれど、普通に楷書で名前を書いた、悪筆で申し訳なかったなと思っている(笑)
そんな事もあるから持ってたほうがいいよと或る人(持っていて然るべき立場の人)に言われ、またわざわざ実案を出してもくれたのだけれど、「自分如きがおこがましい」という思いが強く、どうにもテレくさくてダメなのだ、つまり向いてないのだろう←
あ。もしかすると、自分自身あまりそれに執着が無いせいもあるのかも、価値の順位が低いというか。なんせ、大好きだったインギーのサインも引っ越しで忘れて置いてきちゃう程度の執着だから(笑)「直に会えたこと」に至上の価値を感じる=それに比べたら大したものじゃないって認識なんだな。
そりゃあ、いただければ勿論ありがたいし嬉しいけれど、例えば「直筆サイン入り○○プレゼント」とか、特に欲しいと思ったことがないものな。なので、オークションでサイン(しかも真贋不明)に大枚はたく人の気持ちとか全然わからない。
とまあ僕はそういう奴なので、「サインくださいっ!」て言わなかったとしても気を悪くしないでくださいな、嬉しくないわけじゃないんです、会えたことそのものを本当に嬉しく思ってますし、ずっと思い出反芻してますから(笑)
ほんともらってないよね僕
や、「サイン会」ならもらいますよ?そりゃあね。そう銘打ってるところにわざわざ来ておいて「ノーサンキュー」とか嫌がらせでしかないだろ、そんな握手会に現れるアンチみたいなマネしないわ(笑)
そんな僕だが、ウリ師匠のサイン入りTシャツをうっかり洗濯してしまったときは少しばかり慌てた。
2016年02月22日
2011年03月17日18:52
お花畑は満開・・・というおはなし。
●東電:「原発4号機火災だったけど119番につながらないから放置しました(テヘッ はぁと」●
そもそも原発とは?いや、科学的な/難しいハナシではなくて、どういう人達がつくったのか/動かしてるのか?ていう。 やっぱり、こちらが最もリアル且つ解りやすいと思います。
さて、以下は俺の個人的思い。
お花畑は東電ばかりじゃない、そこいらじゅう花盛りだ。
おまえら放射能放射能ビビり過ぎ。素人判断であれこれ"情報拡散"すんな、もはや放射線より、アヤしい情報のほうが拡散して不安煽ってるわwww日本人絶賛してくれてる海外からの声など恥ずかしくて聞けませんわww もう「w」解禁せずにはいられませんわ俺もwww
てか、そんなに恐ろしい/いても立ってもいられないなら海外にでも脱出しなさい、や、それしか回避策ないから実際、そこまで"キて"しまったら。 家を無くし、家族を亡くし、被災地で震えてる「同胞」を置き去りにして、どこへでも逃げるといいよ^^俺は祖国に骨を埋める覚悟だから、ここでいい。もうね、一部のパニクりぶりに、正直ハラが立つというか、呆れた。「TV(ネット)の見過ぎはよくない」というのが、今こそよくわかる。
そんなに「もうダメだ!」って思うなら早く子供だけでも逃がしてあげなよ^^
あのね、素人が[裏付けもとらず]に「拡めて!拡めて!」つってる"情報"なんてのはね、「必ず儲かる!みんなに教えてあげて!」レベルだからね、「ホントだったら人に教えないだろ(独り占めするだろ)」っていうね、「ホントにそれは善意なのか?」まで思うわ。実際、デマ/誤報多すぎる。
つか、ホントにそこまでキてたらね、何を騒いだってムダだからぶっちゃけ、"ホントにヤバいレベルなのに風邪マスクで対抗する"くらいバカバカしい話(放射線のことをキチンと勉強した上で流してる人ってどんだけいますか?) 。もうね、ダメならダメでしょうがないよ、うん。←これ「諦め」ではなくて「受け入れ」るってことね、ある種の「覚悟」。でもね、それ以前に、いまこの時も「足掻いて/抗って」る人たちがいる/いてくれてるっていうことを、お忘れなく。あのさ、もうちょい落ち着こうよマジで、一部の人(苦笑
もちろん俺も足掻き/抗うよ?ただし「静かに」ね。まさにQuiet Riot←
以上、パニクりさん達の買占めで食料/日用品入手困難な東京の片隅より。今日を生きる/明日を迎えるには、まず、いま目の前の食糧難のほうが大問題、目に見えない放射線よりも。闘える相手(自分含)と闘いませんか?なんか皆が発信源/電波塔みたくなりたがってるカンジがするんですよ、いま。 それってちょっと違うと思うんですよ、アツくなりすぎ。うん、「粛々と」でイイ。