2012年11月24日

こういう考え方(理屈)の行きつく先は

【「なにも考えずにFacebookで食べ物の投稿を毎日してる方々、
アフリカは飢餓で苦しんでいます」】


「地球上では毎日大勢の方が亡くなっています、それを悲しんでいる
家族の方がいます、そんな中あなたは無神経に笑って過ごせるのですか?」

つまるところ、このようなもの。

「極端だ」と思われるだろうか?いやそんなこともないんだなこれが(・ω・)
残念ながら。肉を食う奴は野卑な野蛮人、食べない自分は優しい人間・・・なんて
思ってるド外れた勘違いベジタリアンとかも、居るからねジッサイ。

「自分だけは絶対無実(清廉潔白)」とでも思ってるんだろうか?あのさ
(・ω・)"清浄な世界"ってさ、"誰も笑えない(笑ってはいけない)世界"
のことなのか?それを望んでるのか?・・・なんて思うわ、そんな世界
まっぴら御免だわ、それが正義だってんなら俺は喜んで悪になろう(^ω^)

こんなの、「そういうアンタも(その友人も)ネットでFacebookとかやってられる
だけの余裕はあるんだろ?なに言ってんだ」ってなもん。去年、あの当時、そして
今年の3月11日にも湧いた、喪に伏すことを強要する(笑うことを許さない)
『不謹慎厨』と同様だ。

そういうの、実は"自分に優しい(そんな自分を大好き/褒めたい)"だけじゃね?

まあ確かに正直俺も「君がいつどこで何食ったかとかいちいち報告は要らん」とは
思ってるけども(笑)、これこそナンセンス。躁状態の幸せ自慢もくどいと鬱陶しいが、
苦労話(不幸自慢)ばっか聴かされるよりは、なんぼかマシ。

自分よりも不遇な人にのみ向いた善意ってのには、同時に、自分と同等かそれ以上の人に対する
悪意(ある種の「敵意」)の匂うことがある。それこそは『偽善』、そして『独善』じゃあないかな。

ed209 at 21:58│clip!バ顔本