2014年02月10日

「屈辱する(原文ママ) 」←これは屈辱的

「侮辱」と仰りたかったんですよね(察し)

【「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論】

「メダルを噛むな」には同意。

あんなんする意味わからん(・ω・)どうせどっかのガイジンさんがやったのを「"なんか"カッコイイ」くらいのもんでマネてきたって流れだろ?

それ以外でも、とにかく、無闇な『西洋かぶれ』っぽいのは俺も嫌いだな。儀礼感覚を含む価値観の統一化・均質化が『国際化(国際的)』だとか、全く思わないしな。そして、「かじってください」ってそれを注文するようなマスコミには「バカか」と思うし、毅然とそれを断る人には敬意を表したい(実際つい最近あったよね)。

断ったからって「サービス悪いな」って思いますか?彼らはサービス業じゃない。いや、たとえサービス業であっても『言いなり』にならなきゃいけない道理なんてないでしょう?

といったところで、掲題の件。

それを「軽薄」と感じる人もいるだろうことは、わかる。先述の"メダル噛み"を、俺がそう感じるようにね。ことに、ある程度以上の年齢の人には多そうだ。

俺が思うに、たとえば甲子園。「泣きじゃくりながら砂を持ち帰る」、そういう姿こそが正しく美しい姿だ!みたいな、言わば『スポ根』的な価値観・美徳観。程度の多少はあれ、日本人には根付いてる(『泣ける美談』みたいなんが好きなのも、その一端の表れかもしれない)。俺も、『アツい』のは嫌いじゃない、いや、むしろ好きだ。だがしかし…じゃあ泣き喚いて見せれば貴方は満足するのか?…って、極論か!俺、極論二ストか!

ともちゃんに嫌われちゃうよ?(・ω・)←ひとこと多い

おそらく『低体温』が現代の基本、むしろそれが『熱血』よりは標準なんだよ今は、その良し悪しは抜きにして。

『頑張る』より『楽しむ』ってやつ。

ダメだった時のための保険、言わば『逃げ口上』と感じてしまう向きもあるのはわかる、俺も『てみた』大嫌いだし(笑)けれど…時代が違う。

ヒトの原理の根本的なところなんて10年や20年でそうそう変わるわけないと思ってるし、何でもかんでも時代のせいにするつもりなんて毛頭ないけど、時代背景は確かに移り変わってるからね。

たとえば、インターネットの存在。

自分の言葉や行動、それに対して即座に直接的に、国中どころか世界中から反応が返ってくる。そんなものは、20年前には無かった(正しくは「今ほど『一般化』していなかった」だけど、つまり事実上「無かった」ようなもの)。昔なんてダイレクトなリアクションつったら、およそ校内とか社内とかの箱庭どまり、広くてせいぜいご近所ご町内レベル、"一般"的にはね。

『或る環境』下に生まれ育てば、それに適応順応した成長を遂げる。それは不自然ではなく、むしろ自然。

だから俺はね、彼らなりの自己防衛、本能なんじゃないかと考えてるの、『頑張る』より『楽しむ』ってのは。その言葉や態度を受け取る側の多くもまた、「いつ自分が責めたてられる側になるやもしれない」こと知ってるから、もう無意識的に、それを(それで)「良し」としてるんじゃないか?…なんて思うんですよ。

近年よく耳にする、ちょっと聞くとカッコよさげな、『好い意味で期待を裏切ります』なんてのも、その出どころは同じって気がするんだよね、やっぱどこか『保険』なの。「期待しててください(裏切りません)」って言っちゃった場合、「期待通りじゃなかった!」って人に責められたら「期待に応えられなくてごめんなさい」って、もう素直に謝らなきゃならないけど、端から『裏切ります』だったなら、それよりずっと取り繕う道筋あるもんね、好かろうが悪かろうが(笑

閑話休題

まあ、だからね、それでも皆それなりに、あるいは必死に『頑張って』るんですよ、きっと。ただ、「頑張った結果」責められたり叩かれたりしたら辛いし、恥ずかしい。だから、頑張ってないフリもしちゃう、「頑張るってカッコ悪い」みたいな態度さえとっちゃう。おまけにほら、近年は「"頑張れ"って言っちゃいけない」みたいなのも、知れ渡ったでしょ(お察し)。

この傾向・風潮、これが『現代』ということじゃないかと、個人的には。

そう思うと、ある意味可哀相ですよ、特に若年は。ホントは怖くてしょうがなかったり、内心ビクビク震えていたり、いや激昂してたって

『wwwwwwwwwwwwwww』

って、ヨユーのフリしなきゃ自分の体面(精神)保てないんだから。

まあ「それこそ逃げじゃないか?」と思うところもあるわけだけどね、『すっぱいぶどう』的な。や、べつに、泣き喚いて見せたまえとは言わない(笑)でもね…せっかく本気でも、『本気が伝わらない態度』ってのは、あるよやっぱ。本気だと思われたくない「遊びだしヨユーだし」ってカンジに見てもらいたいのなら、それでもいいけどさ、わざわざ自分を安っぽく演出することはないんじゃない?と思うんだよな。それは"実力以上に自分を大きく見せる"のと、つまるところ同じだからな、すなわち虚勢、いわばサムラゴ

いかん、また逸れた。

あー、泣きたくても泣けないから『泣ける!』商品が、やたら売れてるのかもね、出せない感情の代用品、一種の捌け口として…(・ω・)穿ち過ぎ?

まあとにかく…そんな背景のある今、ひょっとすると『楽しむ(楽しかった)』は、現代を生きる彼らの、彼らによる、彼らのための『サービス』でもあるのかもしれない…と、思いました。

だからまあ、あんまり、異なる時代の価値観でもって「お前ら全然ダメ」呼ばわりしてあげなさんな(´ω`)全否定はいかんよ、温故知新よ温故知新…ただし『てみた』テメーはダメだ←




忘れないでほしい、温故知新と聞いて「うんこちんちん?!(キャッキャッ」とはしゃいでいたあの頃のこころを。