2014年02月17日

これでツイに我がGTR揃い踏み

というわけで(・ω・)それを記念して(?)ここで、俺がTwitterをメインSNSとしていない(しなかった)理由について書きたいと思う。顔本がそうならなかった理由は過去に散々書いたけど、ツイに関しては特段書いたこと無かったよなと思い立ち。

大前提というか、もはや結論として、『(Twitterを)そもそもSNSとは思っていない』ということになるのだが、なぜそう思うのか?を書き連ねてみる。なお比較対象としては、俺自身、最も長く深く重用したSNSであったmixiを基礎とする。もちろん、なんだかんだ言って『よく出来てた(昔は)』からだ。


【SNSと呼ぶには素性が暗過ぎる】

ソーシャル(社交)サイトってのは交流交歓の場であると同時に事実上、言わば『出会い系の一種』でもあるわけだが(これは良きにつけ悪しきにつけ、過去の経験上そう認めざるを得ない)が、Twitterは「出会いの対象(可能性)とするには、あまりにも匿名性不透明性が過ぎる」のである。

(念のため。ここで言う『出会い(系)』とは、いかにもそれっぽい、なるほどいかがわしい、いわゆる性的な意味でのソレではなく、もっと広義な意味合いだ。誤解なき様。)

mixiまたそれ以前・以外のSNSでも、その全てが実名であったり肖像が本人であったというわけではないが、それでも、そこからある程度の嗜好・指向性が垣間見えたり、またプロフィールの詳述などもあり、その人物像を察することは出来た。ところがTwitterは、名前はもちろんのこと、肖像についてもご存知のとおり、そしてその殆どはいわゆる『アニメアイコン』だ。

まあ、ある意味『わかりやすい嗜好』と言えなくもないのだが(笑)…問題はそれだけでは無い、いや、「それがゆえにそうなっている」と言うべきか。

アイコンのみならず発言の傾向、言動言質も多くが似通っており、総じてパーソナリティが極めて『記号化・固定化・定型化』されている。これでは特定の人物、つまり特定の個性に特定の興味が向く/湧くといったことは、まず起こらない。なにせ『皆同じようなもの』なのだから。『可能性』が低いのだ。

これは、俺が思うに、ニコニコ動画の台頭とTwitterの流行時期が丁度重なっていたことに大きな原因がある。当時、『ニコニコから初めて本格的にネットに入ってきた』若年層は多かった。そこに丁度Twitterという、それまでのSNSと比べて大変手軽(注1)なコミュニティの流行(注2)があった。

そしてその手軽さ気軽さは、若年層をはじめとした『それまでSNS馴れの無かった人々』にマッチしたのだろう。結果、ニコニコ的なノリ、敢えて言うなら『劣化2ちゃんねる』的な感覚が、そっくりそのまま持ち込まれ、定着し、半ば共通言語化したのだろう、アイコンのチョイスなども含めて。これで『オタク(っぽい人たち)が総人口の大半を占めるSNS(っぽいもの)』の誕生である。

…ということで、敢えてこう言おう(・ω・)『名無しさん』と深く関わろう(関わりたい)と思うだろうか?俺は思わない、思わないし、通りすがり以上の期待もしない。

まあ、人に深入りしたく(されたく)ない、でも寂しいから適当に馴れ合っていたい向きや、自分自身に世界(観)の広がりを求めないといった向きには、丁度いい温度かもしれないとは思う。しかしなにしろ『言語感覚と無責任なとこだけ模倣した劣化2ちゃんねる』という印象はもはや固まった。ニコニコ以前と以後に同じく、Twitter以前と以後では明らかに、もはやネット全体の様相が違ってるからね。以前は、『どこにでも当たり前のようにそれを持ち出す』ことは、まず無かった。


注1:ここにはアカウントの取得といった根本的な部分も含まれる。当時の背景を思えば、『ガラケー』からでも容易に行えたことも、参加・増加の後押しをしたはずだ。

注2:『流行ってますよという喧伝』だったというのが事実。実際、日本進出からしばらくはTwitterも、一部の物好きが使っている程度だった、マスコミが「いま話題の!」と押しまくるまでは。ちなみに、匿名性透明性の点で対極的と言える存在であるFacebookも、同様の経過。


【SNSと呼ぶには機能が物足りない】

言うまでもなく『140文字』という限界。先に喩えとして出した『温度』的には必要充分なのかもしれないし、少ない字数で伝えるという工夫や挑戦というのも、もちろんあるだろう。しかし、少なくとも俺のような奴には絶対的に足りない(笑

これまた事実、そこで失敗している人をよく目にする、主に有名人著名人、弁舌家だ。例えば関西の某有名市長。いかにも弁舌家気質らしく、口火を切ると止まらなくなるのだが、そこはTwitter=140文字、とても1ツイートに収まるものではない、だが思いは溢れヒートアップ、必然的に『ぶつ切れ』での連投になるわけだが…全ての人が、その『一連のツイート』すべてを見るとは限らない、『その一部』だけを見て判断したり、反論もしてくる。いやホント(・ω・)何度「だからブログでやればいいのに」と思ったことか。

少し前にも書いたけど、『一部分』だけしか見ない人のほうがむしろ多いと考えておいたほうがいい、それを念頭に発言したほうが。あまり他人に『自分と同じ程度』を期待してはいけないのだ。

次に、『フォロー』というシステムだ。これは、それまでのSNSにはあまり見られなかった『一方通行』ありのスタイル。それ以前というのは、およそ相手の『承認』無しには受け入れられない、つまりTwitter風に言うと『相互』が標準だったわけだが…このフォローシステム、それこそ『温度』的には丁度いいのかもしれないが、代償として(?)『数厨(フォロー厨)』とも言うべき人種を大量生産、その歪んだ感覚を増長させてしてしまった。

かつてのSNSでは、あまりに大勢の『友人』が居る人物というのは、かえって不審・不信、むしろ嘲笑の対象でさえあったのだが、Twitter台頭の中で、『フォロワー数が多い=偉い』といった、えらく子供じみた感覚・感性でもって自身を認識する人物が、文字通り『増長』した。困ったことに、その『数』に重きをおく認識が、そのままTwitterにおける価値観そのものにまで影響を与えてしまった、『ふぁぼ』や『リツイート』も同様だ。『人』の価値が、ただの『数』に成り下がった。

ただし、もちろん、Twitterの中にも、そういう風潮を忌み嫌う人々は居るし、そこに一縷の希望を感じなくもない。

ちなみにmixiでは『友人』登録は999人までという上限があった。それでもカンストしてるのなんて有名人か、出会い厨だけだった(注)。


注:簡単に言うと『容姿のよい写真貼ってる女性に片っ端から友達申請を絨毯爆撃、友達一覧全員容姿のいい女』←だから一目で「あ、出会い厨だ」そして嘲笑。なお、その『いい女』たちの多くが業者のサクラもしくはネカマの釣りだったことは言うまでもない(ここで益々嘲笑)。


【物足りないが故に】

さて、そのシステムの性質により一方的なストーキングも合法的に可能(笑)なのだが、『相互にフォローしあわない限り密な会話は不可能』というのがある。メッセ飛ばすか鍵付けるかしないかぎり、会話は外にダダ漏れだからね。これまた『温度』的には丁度いい具合かもだが、やはり俺には物足りない。

っても決してアヤシイアレとかではないんですよ?(・ω・)出会い厨ちゃうわ、そういう目論見あったらつまり先ず大勢フォローしとるはずやろうが。

何よりね、その文化・価値観が性に合わない(フォローされたらフォローお返しして当たり前みたいな認識の数厨とか大嫌い)から、ある種反抗的に、フォローは最低限とさせてもらってるんですよ、なお、主に『一方的ストーキング』のためだな(笑

ただし、これは言っておかないとね。それでも俺をフォローし続けてくれてる人達には、真面目に感謝しております。それでね、その人達とは、もっと濃密に語り合ってみたいとも思ってるわけですよ…でも、それには物足りない、『(Twitterを)そもそもSNSとは思っていない』…と、いうわけです。

だから(・ω・)Google+に来てもらいたいなと思っている、かつてのmixiの面々にもね(これは決してGによるステマではありません)、後発だけあってホントよく出来てるから(ただしコミュニティ、あれは欠陥品だな、mixiのが圧倒的に出来良い)。まあ、ちょいちょい不安定になるのが玉に瑕だが(ここんとこかなりイライラするレベル