2014年03月14日

「自分は大丈夫(自分に限って)」そんな風に思っていた頃が俺にもありました。

さっきの流れで書きます。

滅多にないことや未体験のこと、非日常的な状況に直面すると気持ちが高揚してしまう、その心情は解る。そして若年者に、今ひとつ危機感が感じられない、怖い怖いと言いながら楽しんでいる様に見える、それこそ「不謹慎」とも映る態度が多いその理由も解る。それは、およそ彼らが『死』に遠いからだ。

たとえば、事故とか病気とか。そういうものに見舞われてしまうかもしれないって、常日頃思ってないでしょ?そんなことばかり考えてたら生きていけないものね、精神衛生上よろしくない。

でも、『歳を重ねる』という現象、これだけは誰にも等しく訪れる、避けようのない、『確実なる死への道行き』なのですよ。そして、だからこそ若さというのは『寿命』という生への自信に溢れてるわけ、もう無意識的に。

先に言った、事故や病気といった突然の不幸を除いた、生物として想定可能な天寿の部分で、確実に『命の利』がある。生き物であるがゆえに、それを本能で知っているから、『無為に強気』でいられるわけです。「まさか自分が死ぬわけない」というか「まだまだ全然大丈夫」って感じでしょうか、無意識で。

よくいう『根拠の無い自信』ってやつの正体ですね。根拠、あったんですねー実はー(ムツゴロウさん風に

それが、時に無思慮だったり無鉄砲だったりもする『若者らしさ』の源でもあるのですが、逆に『死の呼び水』となってしまうこともある。「自分は絶対大丈夫」という自信が、『命の器量』を超えさせてしまうんですね。春先に急性アルコール中毒で逝ってしまったりするのなんかは、その典型例かもしれません。


俺、幸いここまで生きてるけど、断言するよ(`・ω・´)『絶対大丈夫は絶対に無い』から。若さを過信しちゃいけないよ。

それでね、たとえ不幸に見舞われても、生きてられたら、それだけで恩の字。不幸を呪うより、まだ生きてることを「なんて幸運なんだ」って思ってほしい。

理由あって日々「死にたい」と思って生きてる人には綺麗事にしか聞こえないかもね。でもね、「そんなバカなこと考えるとかあり得ない」と思ってた俺も、病気に追い込まれて本気で考えたことあったんだよ、自殺。それこそ「まさか自分が」だったね、逆に(笑)

ちなみにメンタル系とかじゃないよ、内臓疾患とだけ言っとく(・ω・)「病は気から」っていうけど「病は気も病ます」と身をもって知ったよ、「こんな状態の自分が生きてることは皆に迷惑なだけなんじゃないか」って思ったんだよな、あの時。うん、こういうの自慢話っぽいからもうやめよう。

だからね、面白半分で災害の恐怖を煽る、言わば『死への恐怖を玩具にする』、そういうのやめてもらいたい、これはフィクションじゃないんだから。そういうの、他人の命も自分の命も軽くなるから。若気の至りじゃ済まなくなるような後悔してほしくないしね。

でもま、やっぱり身を持ってしか知れないものなのかもな…「痛くなければ覚えませぬ」か。若さっていう出鱈目な勢いも大事だしな。ま、うまいことやってくれ←テキトーか

実は最もタチ悪いのは、何も身をもって知らないまま歳食った大人だったりするんだよな…それって、運がいいのか悪いのか(笑)

まあそんなこんなでなんやかんやあってこの俺、今じゃ怖いものだらけさ、絶対大丈夫など絶対にない(;`・ω・´)バンジージャンプなど絶対にやるものか←


ed209 at 07:02│clip!