2014年04月08日

時をかける

【音楽によって「時が止まったような瞬間」が生まれるメカニズムとは?】

たとえば絵画が時を切り取る芸術ならば、音楽は時を紡ぎ出す芸術だからな。

これは、あくまで私的な喩えであるのはもちろんのこと、どちらが『表現』として優れているのかといった話ではない(あり得ない)、念のため。

時の流れの中を生きるものである人間が触れる以上、当然どちらも鑑賞に当たり『時の経過』を要するが、前者は自由時間、後者は規定時間。

絵画の場合、数秒でその前を過ぎる人もいれば、何時間でも眺めていられる(いたい)人もいるだろう。これが音楽の場合"規定"なのだ。鑑賞側に一定・一律の時間的拘束を要求するものと言うべきか。

無論、いにしえより、途中参加・中途退席などあったろうが、個人レベルでの再生が容易に可能となって以降、その鑑賞態度が大幅に変わったであろうものだ。

そういう文化的背景(というより科学的進歩か?)によるところもあったのか、現代音楽と称される分野には、ある種の「皮肉」ともとれる実験的作品も多数現れた。たとえば有名なケージの『4:33』(ただし俺はあれを音楽としては認めていない)。

不可視でありながら、時を用い変化していく。そのため絵画以上に、ちょっと見(『聴き』だが)では全体像が捉えられず、また通したのちには、初めと大きく印象が変わることも少なくない。そこが難しくもあり、単純でもあり。ゆえに大衆音楽/商用音楽は『繰り返し』を主に用いる、どこから鑑賞開始しても一定の像を伝えやすいからだ(※これは手法の優劣を問うものではない)。

ある結果を得るために早めるのも、気に入らなければ離脱するのも、鑑賞側にとり許されるべき、当然の自由時間だ。だが、「止めることも進めることもなく全体を、時のままに捉えてほしい」というのが作者本来の希望であり『本音』ではある。

ちなみに、これのトータルタイムは『4:33』