2014年08月22日

氷水でもかぶって頭を冷やしたほうがいいと思いました

先の拙文中『顔本臭いなと思う(なんとなく)』って言ってたんだけど…なるほどそうか、あの時と似てるんだ、この感じ。

さっき、とあるニュース番組でキャスターが『(氷水をかぶる)皆の元気な姿は(患者さん達の)心の支えになると思います!』みたいなこと言ってて唖然とした、ていうか実際には「ハ?何言ってんだこれ」と、テレビを相手に、声に出してしまってた。

なんでそう、なんでもかんでも善意的というか美談的にもっていこうとするんだろうな。そもそも、本来クローズアップされるべきはその病と患者さん方の実情なり何なりであって、彼らを除いた言わば『外野』の行動じゃあ無いだろ、『善いことしてる私達』じゃあ無いだろ。それ、どっちを励ましてるの?向きが逆じゃないか?

そしてだ。病に苦しむ人は総じて賢者の様な悟りを得てるとでも思ってるのか?病気や災害で苦しんでる人は皆、辛苦と反比例するかの如く心が澄んでいるとでも思ってるのか?何不自由なくはしゃいでる人々の姿を見て「羨ましい」とか「口惜しい」とか、そんな思いを抱くわけが無いと?天使か何かとでも?そんなものは、此方側の虫のいい希望で都合のいい幻想。

なんでもかんでもシニカルに受け取りニヒルを気取るのもどうかと思う。やたら遠慮したり自粛したりなんてのは、それ以上にナンセンスだと考える。しかし、ああいう、なんでもかんでも綺麗事に持っていこうとする態度には、本当に反吐が出る思い。他人の不幸不遇は、自分自身の善良感に酔い痴れたり浪漫への渇望を満たしたりするために存在してるわけじゃないぞ。自分が欲する感動/美談に、赤の他人を勝手にキャスティングするな(いいかげんにしろ)!!

逆に考えてみればいい。他人の幸福を見て自分の境遇を呪ったり不幸に酔い痴れたり、それって虚しいし愚かだろ。それと同じこと、一見キレイめだけど、ただの裏返し。それこそ期待してる希望や幻想のむしろ逆を行ってるも同然。

激しくそう思った。

ちょっとカッカしてしまった(´・ω・`)お恥ずかしい。俺もちょっと頭を冷やしてこようと思う(氷水はかぶらない)。

そして、そんなところへ、こんな記事が。
【台湾で氷水チャリティーに疑問を投げかけるALS患者のコメントが話題に】
※裏付け/確証は無いので、そのつもりで。


【あとがき】

そういうものの存在を知らしめるという点では貢献にもなったろうとは思う、実際お金も随分集まってる様だし。でも現状(事実上)知らしめられてるのは『氷水をかぶる(有名人)』であって、事の本質では無いっていう。何より、善行(と思われる他人の行動)に乗っかり酔ってる大衆、それこそ上辺(本質置き去り)だ。

暫く後、いかほどの人間がそれを覚えていることか。

今年「去年アイスの冷蔵庫入るの流行ってたよね」

来年「去年なんか水かぶる動画流行ってたよね」


『いいことしてるんだからいいだろ!!』なぜ疑問無くそう思えるのか?もしや、それが善良たる所以なのだろうか?それって俺には、あわやカルトの独善も同然に思えるのだが。『お前が穢れてるだけ』なのか?


まあ何しろ目立つ前例が出来上がった事は確か。今後、第二第三と現れるかもしれない、もちろん、詐欺紛いのものも含めて。

ついでに言うと…たとえば最近のCM。

雰囲気アップルやグーグルあたりマネたようなCM増えたけど、嫌う人けっこう多いよね、auとかキンドルとかよく槍玉にあげられてるね。かくいう俺もイラっときたこと多い。

それはなぜかというと、『欧米のノリをそのまま持ち込んでる』から。

欧米人がやってれば気にもならない(自然に見える)、ところが日本人がやると、途端にハナにつく、不自然を感じる。日本人が(漠然と)憧れる欧米感を日本人が真似たら『鼻持ちならない西洋かぶれ』もしくは『ただのDQN』に見えるっていう真相(笑)

今回も、それが作用してるところはあると思うんだよね。美観・美意識が拒絶する、『性に合わない(抵抗を感じる)』ってこと。

…てなこと言うと、『抵抗を感じない自分は国際派なのだ』なんて益々勘違いの反作用が発生するおそれもあるんだけどね。

どれだけ和洋折衷しようとも、文化混交していても。根っ子に在るものはそうそう変わるものでは無いし、変えるべきものでも無いのです。国際化とは根無し草に成ることでは無い。"ならでは"の、"なりの"やり方が、あるはず。

今一度、つづきます。