2015年01月01日

まあ主観であって詰まるところ「好みの問題」って話になるんだけど。

●神田沙也加さんとイディナ・メンゼルさんの共演最高だったな!松田聖子さんの目にも涙 一方、メイジェイ●

非情な演出構成で、さすがに可哀相にも思ったが…権威的判断でもなんでも無く実感として擁護のしようが無いな、本質的なところでは。

この屈辱をバネに今度こそ『ホンモノ』を目指せばいいと思う(・ω・)ていうか、あれを屈辱に思わなかったら、それまでのモノだとも思う。

ところで…これは、とても主観的な話になるのだが。スレ中に見受けられる『走っちゃう』『こね回してて』という評価というか、感想について。

よく「走る」という表現をもって演奏批評する人がいるのだが、その場合"実はあまり詳しくない"人である事が殆ど。走りと「突っ込み」は別物。

また「こね回し」と言ってるのは恐らく、ソウルフルなシンガーが多く用いるメリスマ的アドリブ要素を指してのことだろう(日本の民謡などで言われる「小節(こぶし)」様のものという認識で結構)。

で、それら感想から想像出来ること。日本人(少なくとも現代日本人)の多くにはジャストなタイム感がマッチするのだろうということ、譜割通りキチキチとメトロノームに合わせた様な演奏・歌唱が。そう想うとなるほど、日本のブルース人口の少なさなどは合点がいく。

で「キチキチと」と言えばそれこそカラオケの採点なんかその最たるもの、"崩し"たら評価が下がる、そこに『味』の加点は無い(機械には解らない)からね。

勿論、崩せばいいってもんでは無い、また楽曲により言語により、その向き不向きもある。けれど、そういう『間』の様なものを聴かない(聴けない)というのは正直、耳が幼い状態だと思う。 実際近年の商業音楽は色んな意味で隙間無いの多いからね、今後一層メトロノーム化するかもね。


この際なので、ついでに言うと。

かつて俺がポール・ギルバートに今ひとつ魅力を感じなかったのは、その辺りなんだよね。どんなに(本人)タメたり突っ込んだり崩してるつもりでもジャストなカンジっていうか、たとえポルタメントしてても何か「段階」があるような、機械的というか生真面目過ぎるカンジというかね。正確だけど何かもの足りないって感じたの(・ω・)今は知らんけどね。

で、それゆえ「日本で人気が高いのは頷ける」っていう。ヘンドリックスよりクラプトンなのも然り…あくまで喩えだけどね。ていうか、ヘンドリックスは不当評価レベルよな日本では(笑)型にはまらない/感覚的な、"フリーフォーム"なスタイルが苦手/不得手な傾向が強いんだなってのはギターキッズ(※年少者とは限らない)見てても思う。

リッチー・ブラックモアあたりでも大概、キッズ人気が高いのは「キチキチ」したプレイだもんね(・ω・)たとえばレインボー後期とか「分かり難い」と感じる模様(ハデでもないしね)。