2015年03月12日

結局また今年も書いてしまったな

〜昨日〜

この日には神妙なカンジで『なにか』言わなきゃならんような空気はいいかげんもういいだろと思う。たとえば阪神淡路、その後何年にも渡って自主的というか相互監視的自粛ムードみたいなもの無かったよ、もっと淡々粛々としてた。ネット社会になったせいかな。

風化させないことは大事だけど、なんかちょっと違うんだよな。どこか『酔ってる』様な、非・当事者の感傷と干渉が独り歩きしてる様な違和感。まるで人様の不幸を出汁にしてるみたいでイヤなんだよね、なかば感動商法の材料みたく成ってる様な。それこそ「不謹慎」じゃないのかと。

なんだか『笑ってはいけない日』みたくなってないか?っていうね。それって本当に復興・再起を願ってる意志なのかな?って疑問なんだよね。なんだか「辛そうにしててください(同情したいから)」って圧力かけてるみたいにさえ感じるんだよな…「いまどんな気持ち?」って詰問するマスコミみたいに。

例えばテレビでもSMAP×SMAPあれは自然だと思う、笑顔を提供しつつ年間通じて淡々粛々と伝え続けてるものな、特に芝居がかることもなく。『今日』だからって取り立てて善いこと言おうとかしようとか不自然、なんだか偽善的。今日だって笑えばいいじゃん(笑ってほしくないの?)って思う。

ここぞとばかり沈痛なフリしたって当事者の辛苦には及びもつかないって。だからさ(´・ω・`)元気な側が励まし、共に『普通』を目指すのが本道じゃないんだろうか。同情するのが美しいなんて、それこそ当事者置き去りの、安全圏の自己陶酔でしかないんじゃないか。

笑っちゃ駄目なんて同調圧力どう考えても普通じゃないでしょ。一体何を目指してるのか。

「風化させない」←「今後の教訓とする」なら、いいけどさ。いいことしてる気分(自分)に浸るためにそれしてないか?って疑念

傍目八目。「早く忘れてしまいたい」人たちもいるんだけど、そういう人たちのことはまったく無視してるカンジなんだよなあ。

>>47
だろうね、「五年という節目を迎えました」くらい言いそう(誰の節目だ)