2015年05月20日

2015血風狂想曲〜ゲキカラ研究序説(仮)

GEKIKARA (half speed)


★当記事、こちらと合わせてご覧いただけますと幸い。

舞台「マジすか学園」〜京都・血風修学旅行〜 感激の観劇





舞台マジすか。もう胸いっぱいで何から話せばいいのやら今はまとまらん(´`*)あー…そうだこれ先ず言っておこう。

基本在宅派となってる俺にとっては玲奈さま以外のメンバーは全員"お初"だったのだが…やっぱ直だと個々の魅力がよくわかるね、皆素晴らしかった、ホント想像以上。まず驚いたのは、ゆいはんが想ってたよりずっと小柄だったこと(*・ω・)わーって思った(なんだそれ)

で、脇を固める布陣。皆とてもよかったんだが、中でも田野ちゃんの実力と奮闘ぶりは実に印象深い。主役二人がクール系キャラで尚且つ重く暗くもなりかねない物語を明るく引っ張ってくれた(^ω^)ブラボーだぜ!

これより先は、ちょこっとネタバレ注意で。

開幕早々、鉄の門扉が閉じる音と共にゲキカラ登場、出し惜しみ無し。これが、"少年院からの釈放"という場面なのだが…はじめ「これは過去かな?」と思った、つまり『1』の8話に繋がるシーンかな?と思ったのだが、そうでは無かった。

これはつまり『2』の後、また何か大事をやらかしたという事実を示しているわけだ(笑)…一体何があったのか?今回、それは特に語られていない。

そしてラスト。再び門扉の閉じる音と共に現れるゲキカラ。開幕冒頭のシーンを彷彿させるここから"フィナーレ"となる。この最後の門の音は学校の門が閉じる音つまり『卒業』であろう…いや、しかし、ひょっとすると…という想像の余地が(物語の展開上にも)ある。

この二点だけでも「再び語られる可能性」、いや「いつか語られるべき」物語を想わずにはいられない。だが、しかし…

今回の舞台期間中の松井玲奈の"普段と異なる"様子。そして今宵実際目の当たりにした凄まじいまでの入り込み、入神とも形容すべき憑依。これを再び彼女に課すのは「過酷だろう」と、"復活"を熱望してきた(そして今回熱狂した)ゲキカラファナティックである俺でさえそう思う。

しかし、それでもなお「またいつか会えるだろうか」そう願わずにはいられない。それが今の偽らざる気持ちだ。それほどまでに劇的な復活そして『昇華』だった。役者にとってハマり役は高い壁とも成り得る、愛憎相併せ持つ存在とも成り得る。しかし今回、見事に超えて魅せてくれた。

いま、彼女がどんな想いでいようとも。分身たる『手に負えない黒き龍』は確実に、彼女自身の力によって今回、更なる高みへと昇ってしまったのだ。多くのファンの心の天空さらに高くへと…

まったくとんでもない怪物だよ(`ω`;)まさに手に負えないね。でもね…

でもね、それは誇っていい。莫大な消耗を要する難敵、ひょっとしたら"足枷の様な存在"と感じてすらいるかもしれない。それでも確かなんだよ(´ω`)『他の誰か』じゃあ決してこうは成らなかったんだよ、絶対に。だから誇りに思ってほしい。

まあそんなこんなワケで、無心に熱望熱狂しつつも『覚悟、(これが最後かもしれないという)覚悟ならないこともない』だったんだよね、再会してすぐサヨナラは寂しいけど、これ以上の期待は過酷を課す様でさ。

でもま、再会出来ただけでも今は御の字(´ω`)ホントに嬉しかったよ…思い残すことは無いと言ったらウソになるけどね…やっぱり欲が出るもんだ(笑)でもそれも松井玲奈その人の頑張りが「どこまで天井知らずにカッコよく成るんだよ(見てみたい)」って皆に想わせたって証拠。

あ、そうそう。今回の企画発表直後「私が知らないうちに彼女はこんなにも愛されてたんだな」ってなこと言ってたけど、それこそ松井玲奈が彼女だったからだよ。間違いない。

"We want more"と想われる、なんと誇らしい。

本当にお疲れさまでした!+松井玲奈



追伸

少なくとも四回は泣いた←


特記事項

『命の意味』の歌声には本当にハッとした、実に素晴らしいものだった。俺も音楽を嗜む者の端くれ、御世辞は言わない(言えない)



しかし、…たとえ卒業してもゲキカラだけは"フツー"に成ることを想像出来ないっていうか、したくないな。いや、それは残酷なことなのかもしれないけどね、今回描かれたあの悲壮な過去もあるだけに(あれはマジで辛かった…カラいじゃなくてツラかった)。ROCKだな。

永遠にどこかでなにかと闘ってそうな、それを願ってもしまうような(;ω;)…ウッ これ以上はゲキカラブで胸が張り裂けそうだ、今宵はここまでに致しとうございます(ありがとうございました)

GEKIKARA TRIBUTE


この時間なら言える(極私的)

『2014』で押し進めた"センチメンタリズム"は間違ってなかった(と自画自賛)

やりますよ、2015。やらいでか。


【翌日】



とまあそんなカンジでひたすら荒ぶってきたこのスレ(笑)もクロージングへと向かうのだがまだ終わりではない(・ω・)

受け手の想像力(という希望待望)を掻き立て続けるという事はつまり以前にも書いた「作り手も動かすのが面白くて仕方ないだろう」という事。ゲキカラというキャラの底知れない魅力の根源は其処にあると思う。無論、それを現世に召喚せしめたのは松井玲奈という巫女在ったればこそ。奇跡的なのだよ。

ゲキカラの復活については「遅いよ!ファンの待望知らないの!?」くらいの想いであったわけだが…これがたとえば一部アニメ方面のごとく乱発乱用『いたずらに消費』されてたら、大元のカリスマ性をも喪失、伝説もそこで潰えていたかもしれないからね。なので「これでよかったんだ」と思う。

さて、そこで敢えて、俺が想う可能性(要するに妄想)を述べてみたい。学校そしてヤンキーというのはその時点で閉鎖性であり特異性、ある種の異世界なのだが。ゲキカラという人物は、その異世界に在ってなお異質な存在、つまりその"縛り"を外しても如何様にも動かせる可能性を、既に備えているのだ。

つまり「どこへ行っても異端的存在である」ということ。これは哀しいことの様だが、それこそが実は『ヒーローの条件』なのである。絶対なのは正義でも愛でも無い、異質異端であるということそれこそが「(哀しくとも)抗い闘わざるを得ない」理由、宿業。ゲキカラは、その要件を既に満たしていたのだ。

それゆえにゲキカラはここまで愛されたのだと俺は確信する。たとえば初登場時など普通に考えれば残虐で狂気的な「悪役」であったわけだが、早くも主役を食うほどの人気となった。ゴジラしかり、ハカイダーしかり。ヒーローという存在は"壁"を破壊・突破する「常識にとっての悪」の魅力でもあるのだ。言わば『破壊衝動の代行者』である。

更に言うと。今回の舞台でのゲキカラの有り様は、あの『2』四話を更に押し進めた様な『堪えに堪え溜めて爆発』の"暴動"感。それはたとえば昭和の任侠物の様な。さらには初めて描かれた幼少期の不遇も合わさり、観る者は「グッとくる」わけだ。そう、どこか"昭和の香りがする"のだなゲキカラは。

まあそんなわけで。ゲキカラに感じ入り熱狂する姿というのは、世の中まだ捨てたもんじゃないとさえ思わせる。「時代は変わった」などと言っても、人の世のサイクルなど長くてせいぜい百年。脈々と流れる血の根幹に在るものは、そう易々とは変わらない、それこそ「判官贔屓」じゃあないが。

といったところで核心に迫ろう。
俺の中のゲキカラという存在は、つまり『和製ウェスタンの復活』なのである。これ(。•ω•。)わかる人はわかってくれるんじゃないかな。

あ、つってもアレだよ、近年にも幾つかあった『西部劇の世界観をママ持ち込んだ』ようなやつを指してるんじゃないよ念のため>>和製ウェスタン

たとえばだ。

木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に産まれたと言う。10歳の時国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独の紋次郎が、何故無宿渡世の道に入ったかは定かでは無い。

これである。

てなわけで。幸いにも今回の舞台を観ることが出来たわたしは、彼女の生い立ちそして行く末に想いを馳せこの歌を聴くのであった…(`;∀;´)ゲキカラ!


話題は変わって。

「次はマジすかプリズン行きだぞ!」と、世界観の地続きをにおわせていたのも想像を掻き立てる。すると3のアレはやっぱり前田だったのだろうか?という恐ろしい想像もまた浮上するのだが(´ω`;)

もう一人の主役おたべ。冷静沈着な観測者であり保護者であり『仁』の人である。再びゲキカラを描くに当たっては、舞台シナリオ上のみならずオフステージにおいても最適の相棒であったと思う。帰還困難な相方のぶんも渉外こなしてくれてたからね( ˘ω˘ ))おたべはんには感謝ばかりやで。

前田に負け、4ではさくらに負け、そして今回ゲキカラに…そこだけ取り出して見るとまるでそれこそ"かませ犬"のようであり不遇キャラの様だが、断じてそんなことは無い、ヤムチャとはワケが違う←

そういう言わば損な役回りをもこなしてくれているからこそ『仁』の人であり、主役も活きるのだ。

そこで敢えてたとえるなら、おたべのカッコ良さ(強さ)は、このシーンのベジータのカッコ良さ

あ、そうそう、おたべはんの『道をあけろ"や"』はよかったなあ(笑)

というわけで。今回関わるつもりの無かった選挙、期待と感謝をこめて今、ゆいはんに投票させてもろたで( ˘ω˘ )q がんばれやで



言わずもがな『ゲキカラ×ギター』も見たかった姿…っていうか、ギターが物語の大きな軸となっててもうね(´;ω;`)なんちゅうもんを見せてくれたんや…なんちゅうもんを…(まさに京極)

雪が血煙に成るあの演出は素晴らしかった、舞台という限定的空間における創意工夫の面白さを堪能した。



スカジャンに袖を通しグッと腕捲りするとことかもうふるえが来たね、観劇ルールが無ければそれこそ「よっ!待ってました!」「千両役者!」って皆叫んでたとこだと思う(笑)

ちなみに。これは意図したところなのかどうなのか分からない、自分の想像の域を出ないのだが…ゲキカラの、制服の襟を出した着こなしって『1』の時のものなんだよね、『2』ではスカジャンの下(注)。『2』で落ち着いた気性がまた昔に戻ってることを表してるのかな(実際そうだし)…なんてことも想った。

注:ただしシーン/カットにより異なる、意図的なものか否かは不明。

まあ、なんやかんや言ってますが…実にシンプルに、とても単純に(´ω`*)『夢が叶えられた』というおもいに満ちた至福の時でした。

さて。昨夜も言ったが「より多くの人に観てほしい」という想いは強い。ある意味邪道であるけど"せめて映像で"でも。今回ばかりは別キャストでの再演など無理、いや「ナンセンス」と断じる。あの代わりは誰にも出来ない、やったところでそれは「モノマネ」になってしまうだろう。それほど強烈で無二。

それと…このドサクサに言いたいことがあるんだ(;`・ω・´)痴れ者狼藉者と蔑まれることもこの際敢えて受けよう、言わずにいられないのだ。

玲奈さまのフトモモは絶品(嗚呼言ってしまった)



このあともまだちょっとだけつづくのじゃたぶん(随時追加更新)


いやー…今までも「(画面中に)居るだけでカッコよすぎてなんだか泣けてくる」だったのにもうね、ずるいわ(´;ω;`)もはや存在を想うだけで泣けてくるわ。

これ、改めて、その心に捧ぐ(´;ω;`)ウッ


さて…これをバネに、いよいよ近いうち"こっちの世界の松井玲奈さん"にも、再び会いに行かなくてはな(・ω・)自分の中の約束はまだ完全には果たされていないのだ(超独言)

てか、もうみんな気にしてないっていうか忘れてるっていうか気付いてない人もいたりするんだけど(・ω・)あの世界で「ゲキカラ」って呼ばれてる彼女の本名も"松井玲奈"っていうんだぜ、いい名前だろ?

もう丸一日過ぎたというのに…本当に不思議な感覚だ。生舞台という形式だったそのうえ最後まで鉄壁だったからだろうなあ…

なんか『ゲキカラという人に会った』感じなのよ本当に。並行世界で「ゲキカラ」と呼ばれてる松井玲奈が、こっちの世界の松井玲奈の身体を借りてそこに居たような、そして役目を終えて帰っていったような…まるでそんなSFだかファンタジーだか…あるよな(´ω`)だから、切ない。



シンプルだけど良い感想・視点だ>>RT

バイオレンスの権化としてのみゲキカラに注目してきた人にはメロドラマむしろ「甘口」な後付けと映るかもしれんが、独特の"哀愁"を見出し惚れ込んでた俺みたいな者には実に得心のいく設定(・ω・)ちなみにファンSSにも近い設定のものは過去散見されてた。

つっても全然甘くない、辛口も辛口、激辛な過去だけどね(´・ω・`)ツラかったわ…正確じゃあないと思うけどおたべのセリフ「アンタの笑いはまるで泣いてるみたいや」が効くんだよな…なのであんにんの言うとおり既存の姿も違って見えてくると思うよ、もともと穿って見てたクチには、より深く。

なお、そのゲキカラの過去、映画『gift』の沙織/その過去とも重ね見たのは俺だけだろうか。不遇から来た哀しき尖り、映るものすべてを刺す様な目(・ω・)giftもまた観たくなってきた。


「ちょっとだけ」と言ってからが長いのは伝統です。


今回、大きく『過去克服の物語』であったわけだが、クライマックス『克服の時』に見せたゲキカラのあの"腕前"、あれに疑問を感じた人も中には居るんじゃないかとおもう、「なんで(嫌いな音なのに)弾けるの?」と。以下、そこんところを俺なりに解釈してみたい。

ゲキカラの腕前、あれは「お母さんに好かれたくて一生懸命練習した」結果。その音を聴くとトラウマが刺激される、「イヤだ…でも頑張らなきゃ」この矛盾、二律背反。そうして正気を保てなくなっていった。ギターを弾くこと自体が『孤独な闘い』であったろう。

そもそも幼女ゲキカラは、どんなに冷たく虐げられても、お母さんが嫌いではなかった、愛されたかった。その母が愛したギター、その音も嫌いどころか「好き」だったんだろう。そして自分も愛されたかった。「わたしもギターになりたい」そう思った。

母が愛するギターに嫉妬したり、憎んだりするようなこともなく、それどころか「自分もそれになりたい」と願った。その幼女ゲキカラの素直さ純粋さが、あの腕前にも繋がったのだ。哀しくも付随する結果として「心を壊してしまった」のだが。

とまあそんなわけで(´ω`)以上あくまで俺の妄想だけどね…あのクライマックスは決してドラマ的ビジュアル的なカタルシスのみを追求したものでは無いと俺は見た、「背景」が見えた。

…でね、ちょっと自分語りっぽくなるし感情移入し過ぎかもだけど。

俺が弾き始めた理由に苛烈な事情なんて無かったしウチの親は理解あったしなんだけど。「生命の危機に晒されてもギターだけは手放さなかった」ってのは事実。バカバカしいと思うだろうけどある(居る)んだよ、そういう現実も(笑)

興味ない人にとってはホントにバカバカしくて何の生産性も無いくだらないこだわりで執着だろうと思う、自覚してる(笑)でもね、ずっと好きでいる(いつづけたい)ってのは、その人にとっては時に「命がけ」なんだよ、本当に。

だから、絵空事とも他人事とも思えなくて、泣いた。 #ゲキカラ

ここで、やや手前味噌ながら、その魂に捧ぐ。


「ROCKとは生きざまである」(俺談)

すなわち、つまり、それが「マジ」だ。

そして「人のマジを笑うんじゃねぇ」である。


(前にも言ったが)

「所詮遊びじゃねーかwwwww」

おう、マジで遊んでんだよ。

(である)


そうだ

こんなんもありました(コソッと

って、今これ見て気付いたわ、いまさら、不覚にも。

センターとの決着はどうなったのだ?(`ω`)センター、4で看護士になってたけども…

想像の余地・飛躍以前に、まだまだ語れる(語られるべき)ところあるなあ、ゲキカラ伝説。


っちゅうわけでまたちょっとダイブする。


二度目(「我々の知る限りでは」の二度目)のネンショー入りに関して。

その事由はさて置いて。それは旧メンバーすなわち『2』のラッパッパ連中の在校中に起きたことだったのか、それとも卒業後に起きたことなのか(今回の時間軸上で卒業済なのは確定)

ゲキカラ自身の「皆卒業してしまった」旨の台詞。これだけだと、どちらとも受け取れなくない。そこに、二度目をやらかしたが故に再度ダブったという可能性を加えると、旧メンバー在校中の出来事とも考えられるのだが…そこで、やらかした『原因』を考えてみる。それはおそらく『精神的な問題』だ。

そこで取り敢えず(いや「重要」なのだが)旧メンバーが居なくなったことが精神的逆行を招いたんじゃあないか?と考える。そして今回の舞台の時間軸(季節)も考慮に容れると「旧メンバー卒業後に起きたこと」と捉えるのが自然か。

と、いうことは…フツーに2ダブってしまったんだねゲキカラさん(涙)

gg2


で、そうなると、次におたべの存在(在校)理由だ。おたべも『2』の時点で三年だったと思われる、つまり(この考察の流れで行くと)旧メンバー連と共に既に学校を去ってて自然、成績も問題なさそうだったし(あくまで「聡明そう」なイメージからだが)。

そう考えると…「ゲキカラのために残った」…ということか? …おたべはんっ(`;ω;´)ブワッ!!

ってところで疑問が生じる。今回中学生として登場したカミソリ&ゾンビが『4』でマジ女一年となっている。今回のカミソリ&ゾンビが中三であると仮定して。それでもこの考察で行くと『2』から二年は経過していることになる(でないとゲキカラ2ダブの事実がおかしなことになる)。

『4』は『2』の一年後って設定だった様な気がするのだが…思い違いかな? ちょっと今一度時系列を整理してみる必要があるか…ああ、一年後=翌年度と考えなければいいのか、「一年後の翌々年度」ってことか?博多に飛ばされたという元ヲタらしき人物(笑)の言質と存在からも翌々年度で確定かな?

すると今回のカミソリ&ゾンビは「中二」ということでファイナルアンサー?時期(季節)的に見ても、あそこから受験てのは考えにくいしな…まあ、あのマジ女だからなんとも言えんが(笑)

まあ強引にこの流れで進めると…『4』のおたべもまた2ダブ目ということになるんだよね。なぜなのか?「今回の事件が関係している」と考えられる。

そう思うと…一度ならず二度までもゲキカラのために…おたべはんっ(`;ω;´)ブワッ!!

以上、考察という皮をかぶった毎度の妄想(・ω・)妄想ゆえ誤りなどは意に介さぬ←

それでだね(まだ終わらない)

その「 (おたべ2ダブは)今回の事件が関係している」って考えでいくなら、ゲキカラも無事に済んだ(卒業出来た)とは到底思えない。すると、あのラストは『卒業』では無く『三度目の出所』だったのでは?とも。で、「次はネンショーではすまない」そういう話であったこと、そして(つづく)

そしてまた冒頭で示唆された「次はマジすかプリズン行き」 旨(by看守)、これらを総合すると…あのラストは『マジすかプリズンを単独制覇して出所してきたゲキカラ』と、見ることも可能…こりゃアツい、アツ過ぎる。 #果てしない妄想

さて、「結果的にそうなってしまった」であるとしても、おたべの(残留の)根底には「部長として同期の面倒は最後まで見な」って意志がありそうだ。そんな風に考えていくと、姿は見えなかったものの実はけっこう近くに(ゲキカラは)居たんではないか?って想像もしてしまう、『4』でね。

たとえば、それこそクローズのリンダマンみたいな『超別格』の存在として、実は校内に(ゲキカラは)まだ居るのです…とかね。

とにかく、明確に『卒業』とは描かれてない以上(少なくとも俺にはそう見えた)まだまだ"校舎"を軸にした想像も膨らむ…何ダブさせんだよって(笑)

あ、そうそう

忘れてる、そもそも気にしてすらない人もいるかもだが。実はゲキカラは『1』の時点で卒業していたのだ本来は。これが証拠写真である(迫真)この花は在校生の付ける物ではない、いかなクレイジーも、この時ばかりは悪ふざけなどしない(理由:優子さん)
majisuka-all~2

まあぶっちゃけ「この時『2』があるとは思ってない」からだと思うが(笑)…まあ、そんなわけでね、人気に伴い設定がシレッと変わってるなんてのは(^ω^)よくあることよくあること。

逆に言えば、「可能性は(わりと)無限にある」ということ←何が"逆"なのか

FOREVER
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GEKIKALOVE