2015年08月11日

此処は何処だ

【五輪エンブレム紹介動画にもパクリ疑惑 音楽が海外の曲と酷似】

『五輪叩き』的な時勢(まあムリも無いなと思う事しきりだが…)に乗ったこじつけ/言いがかりレベルを或る意味期待したけど、これは(も)ちょっとねえ…残念ですわ。何が残念て、「日本らしさのカケラも無い」とこなんですけどね、映像も含めて。

なんで日本て、こういう時『日本(人)除外』の方向性になるんでしょうね。これ目立ってるの殆ど外国の方々&要素じゃないですか、なんかもう「西洋コンプレックス(※)丸出し」って感じで正視に耐えない(赤面)

※正確(?)には「対西洋劣等コンプレックス」とでも呼ぶべきとこなんだろうけど、ここ日本では一般的に「コンプレックス」イコール「劣等感」で最早定着してるので、敢えて。…大西洋か!ここは日本劣等か!←

そもそも、招致のPRビデオからして、そうだった。「フンイキ」としてはまあよくできてると思ったし、技術的に引けはとってないとも思ったけど、「これ何処の国のPR?」ってシロモノだった、「国連あたりが作った地球国家のPVかな?」みたいな(あくまで喩え、他意は無い)

結果選ばれたから「これでいいのだ」と思ってるかもしれないけど、それじゃあ進歩は無い、むしろ『オリジナリティは漸次減衰、衰退する』だろうね。

ここで、音楽を嗜む者の端くれとして少し。

職業作曲家という立場は「顧客のオーダーに応えなきゃならない」ので、その時々の流行や折々の先端を常に受信してる必要もあるだろうね。しかしそれ、つまり引き出しの多さが、結果として、こういう事態を招く危険性を高めるという"皮肉な側面"があると思う。その点については察しもしよう(とても自分にはマネ出来ない事でもあるしね)。

でもね。そういった言わば"非・芸術的オーダー/ニーズ"に応えながらも頑としたプライドをもって仕事に当たってる音楽家諸兄もまた数多在るわけだし、「だから」と言って盗作贋作が肯定されるものでも無い。ましてや、それが"世界"に向けて発信される物だと覚悟の上でとった行動であれば、無礼を承知でハッキリ言うが「バカなんじゃなかろうか」とも思わざるを得ない。

話を戻します。

いいかげん改めませんか。グローバルだとかワールドワイドだとかを考える時、つまり世界(的)を表そうとする時に海外他国、殊に西洋を異常に意識する態度を。そういう有り様ってのは、それこそあちら様方から見れば「自国に対する誇りが無い/自信が無いのかな?」とすら受け取られかねない。

そもそも、賢しらにカッコよくグローバルとかなんとか勢い謳ったところで、その実、いざ来られても道案内ひとつロクに出来ないのが大方なんだぜ俺含め(苦笑)でもそれが現実、ありのままの姿。

そうそう。ここ最近やたら声高に群れ成して叫んでる"日本のことが嫌いそうな人達"って、こういうの好きそうだよね、その横文字は誰に訴えてるの?ってカンジだし(意味深)

閑話休題。

胸を張って、ありのままの姿をお見せするべきじゃないですかねえ、「おもてなし」と言うのなら尚更。このカンジだと「看板に偽りあり」ですよ(笑)

でも、これが日本の、少なくとも現状の"ありのまま"、いま現在の「日本らしさ」ということなのかもな、良くも悪くも。

良く言えば寛容、悪く言えば無節操。古来より、そういう風土と国民性ってのはあるし、俺はそれを嫌いじゃない、むしろ好きだけどね。でも、事こういう場面においては、西高東低的な自虐史観に意識支配されてる感も否めないな…というのが正直なところ。

自己主張することよりも、相手を立てることをよしとする美徳観、決して悪くない、嫌いじゃあない。けれど、そればっかりじゃあ(それこそ世界では)通用しないのも事実だと思う。平和主義と言えば聞こえは良いけど、それは「事なかれ主義」と言い替えられなくもない。場合によっちゃあ、足元見られてケツの毛まで持ってかれかねない。

ナショナルなくしてインターナショナルなし。行き過ぎた何でもありは、もはや何にも無しにも等しいんだよ。今一度、自分の足元を見てほしい、地に足を着けてほしい。此処は何処だ?


こんな調子ですと…さあ、いよいよ本格的に不安になってまいりました。