2015年12月13日

「そこ、重要?」という直感そして違和感

●AKB48のB'z超えに批判殺到「握手券でCDを売るのはフェアじゃない」●

商法の是非はさておき。数字に重要性を見出す様な真似はそれこそ忌み嫌うところのそれ、同じ穴の狢に成っちゃうんじゃないか。嫌悪を訴えるより好意を謳えばいいと思うよ。

賞だとか数字だとかがそれほど重要で、訴えるべき大きな価値、自分にとっての「良さ」を世に諭す材料なのかな?ってこと。ファンのそういう態度こそ、かえってそれの価値を下げると思うよ傍目には、純粋な『音楽的』には。

そこで数字に拘るべきじゃあない、極論それは企業にとっての喧伝価値に過ぎない。そんなのどうでも「自分にとっては一番だ」それが「好き」って事じゃあないのかな。少なくとも、誰かの「好き」を愚弄する事が自分の愛を示す正しい行為とは思えない。それは自身はおろか愛情の対象をも貶める、愚行だ。

ランキングからもトロフィーからもギネスブックからだって肝心要の『音』は決して聴こえてこないだろ?肩書きや地位で或る人の絶対的価値が決定するもんでもないのに同じ。こんなのそれこそレコード業界に振り回されてるも同然のナンセンスだよ、Foolish warだ。

リスナーそしてファンにとって「其の音を聴けること」が最重要価値であって、売上だとか賞与だとかは"本人とその周辺"以外にとっちゃあぶっちゃけ「どうでもいいこと」だ(笑)本来そのはずだ。そのはずが、この有り様。なるほど衰退もするわけだ。送り手も受け手も本質を見失っている。

キミは自分が好きな人を何故好きなのかどうして好きなのか何が素晴らしいのかを誰かに説く時に良家の出だとか高学歴だとか一流企業勤務で稼ぎがいいだとかそういう風に訴えるのか?安心や確信を得るのか?「だからすごい」のか?(・ω・)それも同然なんだぜつまるところ、そんな"枝葉"に妙に拘るってのは。


まあ、これは蛇足だが。だから、たとえ数少なくともたとえたった1人でも喜び楽しみにしてくれてる人がいるならと続けているし続けられもするんだぜ「もうYouTubeは終わってる」とかブツブツ文句言いながらも(笑)送り手の端くれである俺にとっての最大価値はそれだから。

あ、「端くれ」とか言っちゃあいけないな、好きでいてくれてる人に対して失礼だ、わかっちゃいるんだ、でも便宜上というか話の流れ上というかね、だが反省。


いつ頃からだろうな、「好き」より「嫌い」で多くが多くを"自分"を語る様になったのは、殺伐としたインターネッツですね(´・ω・`)また、べつに好きでもなんでもないものをも利用してまで人が人を釣るようにもなったよね、"数字"のためにね。

さて、これで終わりにしよう。その「フェアじゃない」ってのは"中の人達"が思うことであり時に訴えるべきで是正もすべきことなんだよね、本当は。でも大人の事情というか都合により沈黙なわけだ。俺も一応は大人なのでそこらへんは察しもする。が、そこのところを巷が代理戦争してる様相は、実に空虚。


実が成らないから空虚なのに「実に空虚」という違和感(うるさい)