2016年01月08日

放任主義という言葉で責任放棄を誤魔化す輩

高校生の茶髪・ピアス禁止、その是非というのが話題に挙がってるけど、まあオジサンの世代からしたら「何当たり前のこと言ってんの」ってカンジなんだけどね、そこはしたくても辛抱するのが当然で、したなら「不良」的に目をつけられるのもまた当然(覚悟が必要)って時代だったからね。

で、個人的にはそして社会的には「もっと自由でいんじゃね?」と思うけれど、ガキの時分はある程度抑制するべきされるべきとも思う。て大人が言うと「自分達が抑圧されてたから俺らにも同様を強いるんだろ」と若年は思うかもだがそうじゃあない「むしろそれでよかった」と今は思えるからだ。

あ、念の為言っとくと、地毛が赤い子や天パなんかフツーに容れる程度には寛容な環境だったよ、それをわざわざ「直してこい!」とかそういうのなかった、むしろソコんところを抜け道にして染めたりかけたりしてるのいたくらいだし(笑)

閑話休題。何故「それでよかった」そう思うかというとその『覚悟』の部分なんだよね。

今ってユルユルで、高校生どころか小学生で染めたり化粧したりもあるじゃん?てかそれを奨める様な大人がいたりもするじゃん?あれってさ、"何でも許して寛容なつもり"のダメな大人だと俺は思うよ。

ぶっちゃけ、『そうした(させた)ほうが儲かるから』奨めるってのもあるからね、そしてそういう大人の絵図にノせられてる子供って見方も出来るな。無責任に何でも許可するって態度はさ、むしろ汚い大人だよ(笑)

やるからにはそれなりの『覚悟』が必要、それは覚えるべき。例えばだけど、今はケータイが普及して誰でもマンツーマン状態じゃん?かつては女の子の家に電話ひとつかけるにもドえらい覚悟が必要だった(笑)時代の変遷変化は自然な事として、"何でも許されて覚えない"って時流は、マズいと思うよ。

自由自由と謳うけれど、子供はもともと充分自由だ。半人前には適度に不自由も与えないとまさに傍若無人だぜ、猛獣を檻から放つ様なものだ…と、子供時代の自分を振り返り思う(笑)

むしろ、物分かりのいいフリして自分の優しさに酔った大人には飼い慣らされるな(・ω・)とオジサンは思います。

そういう大人の「(なんでも)いいよ」ってのはさ、「(どうでも)いいよ」なんだぜ(・ω・)煽るだけ煽っといて、何かあれば「自己責任」とか言っちゃうんだぜ。そういう無責任。

そもそも毛色(文字通り)も人種も混交したヨソと並列で謳うのが可笑しい、ナンセンスにも程がある(笑)何もかもヨソ基準に考える自称グローバルな急進派にありがち。自分の足元も見えてないのに限って国際化とか安易に謳うんだよね(・ω・)「ヨソはヨソ、ウチはウチ」と先ず教わらなかったのかと。

なお、みんな大好き『個性(の主張)』も、右へ倣え左に倣えすれば没個性。わざわざ変えた結果みんな揃って茶髪とかね(笑)元来、横並びに安心を覚える性質の高い国民性だから、言われればそう成りやすい。まあ何しろ、どうせなら『同じ姿してても溢れ出る個性』を先ず目指してほしい(意味深)

蛇足。そういう向きにかかれば制服も「軍国主義ガー軍靴の音ガー」とかなんとか始まるんだろうなと想像に難くない(・ω・)私服の国には軍隊も徴兵制も無いのか?とツッコむのもアホらしいレベル。