2017年01月02日

何合戦をしてるんだ








−年は明けて−

トレンド上の「謎の演出」←これだけで「ああ紅白のことかな」と直感した。無節操なまでの他力本願流行全部入り(近年毎度の被災関連含む)"にした結果、散漫というか何を"謳い"たいのかよくわからない仕上がりだったな。歌が本旨じゃあ無いのか。

近年、歌/音楽そのものに付加する"小芝居"に比重を置き過ぎなんだよな、まあ紅白に限った話じゃあ無いけれど。音楽自体が持つ力から外れた背景とか後付けとか、とにかく共感商法じみた『エピソード』の過多。そんなことばかりしてるから益々音楽離れするんだよ(・ω・)純粋に音には触れてない。

それが証拠に(?)近頃の子って歌を評価する際「いい曲」じゃあなくて「歌詞がいい」ばっか言うしね(・ω・)売る側も『等身大の歌詞が共感を呼んでいる』とかそんなことばかり売り文句にしてる。歌曲の場合勿論歌詞も重要な要素だけれど、音楽の真実は、言葉では無く(言葉を超える)音そのものだ。

まあ、そんなんで「音楽に国境は無い」だとかカッコいいこと吹かすから失笑である(・ω・)歌詞(意味のわかる言葉)が無いと聴けない(聴かない)音楽通、という謎存在、更にそれに加え「支度されたドラマ」が付属しないと響かないってのは、もう音楽鑑賞からは外れてるように思う。

ふと気づけば肝心要の音そして演者の姿よりも歌詞テロップのほう追ってる(そして自分を重ねて酔ってる)なんて人もいそうな悪寒を覚える。例えるなら、目の前にある絵画をつぶさに観察するよりも、その傍らに用意された説明文のほうを注視しているような<★>。

ついでに言うなら、説明なんてのは「誰かの主観」だしね、たとえ作者自身によるものであっても。鑑賞は(自分の)直感的であるべき。


蛇足と言えば蛇足だが。

『ツァラトゥストラかく語りき』という有名な曲があるよね(・ω・)でもあれ、僕はちっとも面白い曲とは感じない。もちろん嗜好には幅があるけどね?これは、「そのいかにも高尚な感じがする題名に釣られてはいないだろうか?」ということ。そういうたとえ話。

ついでに言うと。

佐村河内、あの一件。『聾の作曲家』という看板いわば「ドラマチック」が無かったなら、はたしてそこまで評価された(した)だろうか?っていうね(・ω・)少なくとも、ウソだと知れた途端に手のひら返した様な人は、その実音楽なんか聴いてはいなかったってことだと僕は思うよ。

さておき。司会はプロに任せたほうがいいんじゃないかなもう。

ちなみに。タモリとマツコのあれ、個人的には嫌いじゃあないよ(・ω・)あの番組の中に挟むのは「必要か?」と、甚だ疑問だけど(笑)





<★>まあこれ伊福部先生からのウケウリみたいなもんだけれど(『音楽入門』読んだことある人なら多分わかるよね)、本当そう(歪んでいるなあと)思うよ(・ω・)なお、ツァラトゥストラについては奇遇、まさに「我が意を得たり」の感だったな。