2017年08月15日

THE FLY

たとえたった一人でも覚えている誰かがいれば其れは確かにそこに在り続ける、生きた証は残るのだ、命とはそういうものだ(・ω・)だから人は独りきりでは存在を証明出来ないし、独りきりだと間違えたとき暴挙に出たりもする(哀しく愚かな存在証明)

だから人生の意味とか行動の意義とかそういうの独り考え込み思い悩む必要など無いのだ。たとえば(・ω・)「この世に生まれた」それだけでもう家族にとり大いに意味も意義もあるのだから、誰もが産まれながらに「生きた証」は持ってるのだ。

そして自ら積極的にそれを残そうとするのがたとえば創作への衝動であり行為であり活動だったりする。そりゃあままならないこともあるけれど(・ω・)「総ては遺言」という気概でもってそれに当たりたいものだ(願)

だからこそこうおもう、敢えて賢しく小難しく考える(・ω・)「誰でも撮れる写真貼っていいねボタン押してもらってるだけの自分で満足か?」と(意味深)



いやホント、こぞって"流行り"の店の食い物やらなんやら撮ってネットに上げられてもね、それもう採れ過ぎの叩き売りでしかないからね、あまつさえ"それが目的"でそこへ赴くとかなんかもう本末転倒とすら感じる(``)「だったらなんか自分で作れよ」とおもうばかり。成る程「量産型」と揶揄される所以かと。