2017年09月04日

Escape from empathy(empty) games

【上野動物園:学校行きたくない人へ 動物を例に「逃げて」 毎日新聞】

うーん(``)美談ぽいけど…正直、このツイートした人自身が人間社会に疲弊気味っぽいなとか檻の中の動物は人間社会に縛られてないと言えるのかな…とか想った僕はいかんのか?


なるほど、こんな企画をやってたのか。

【9月1日 学校に行きたくないあなたへ】

誰もが等しく試練を乗り越えられる筈とかそういう根性論は持ってないが、違和感覚えるわこういうの(``)なんだろうな、逆に大人の自己愛を感じるというか。

いや、それこそ大人として"そそのかした"だけの責をすべて負うっていうことなら幾らでも演じていいと思うけどね「ものわかりよく優しい私」を(``)でも、考えるまでもなくそんなこと不可能じゃん?夢見がちで身勝手な善良感、或る意味確信犯的な自己陶酔の様にも思えるんだよね、こういうの。

ぶっちゃけ尾木ママが出てきてる時点で首をひねるわ(`ω`;)あの人はあかんやろ、上っ面にコロッと黙されてさんざ綺麗ごと言うといてからクルッと手のひら返して酷く罵倒したりするしな(それは果たして『善良』なのか?)なんだか「薄っぺらい」と感じるのだ。麗句に酔って吐くだけ吐いて、実質的には投げっぱなしって、それこそ偽善そのものじゃんか。

綺麗な言葉だけで万事解決したら誰も苦労は無いだろ、ていうか"世間の当たり前"に疑問を抱いて思い悩むくらいの子こそ、そんな安易な言葉には騙されないんじゃないか。まあ嘘も方便、欺いてでも生かす/活かすってやり方もあるけど、どうもそういう風にも見えないんだよな(``)つまりはキレイな自分を確認したいだけで、"進んで悪役も買って出る"ようには見えないってこと。自己愛性善良症候群。


【学校に行きたくない人は脇目も振らず逃げて下さい 上野動物園の思いやりあるツイートに 救われた...】

やっぱ釈然としない(``)思いやりよりも憎悪を強く感じる、特に「なんぞ」に。まあ感激したって人がいるならどうでもよい事か、真相なんぞ

正直言って大元たるアメリカバクのくだり要らんような、なんだかお題に寄せたこじつけ感すら覚えるんだよなあ(``)てなこと言う僕の様なものは「なんぞ」と言われてしまう、"対象外"の者と見做されるのかな(笑)多分そこなんだよね、この違和感の原因。こじつけでしょうか?いいえ個人の感想です

かく言う僕も、もしも14歳くらいの時にこれを見たなら、特に逃げたくも無く逃げる必要も無くとも、なんとなく雰囲気に酔い「感動」したかもしれないけれど、生憎もうそこまで純じゃ無い。まあ何せこれ見よがしに「深イイこと言おう」みたいな企画とか意識が、自己陶酔的で嘘臭くて嫌いなのは確か。そういうのはフィクションの世界だけでいい。


あ、動物園は好きですよ単純に(・ω・)「閉じ込められて可哀相な動物を見ようなんて」とかそういう変にウェットで大風呂敷なことは言わんですよ(だからそういうのが嫌いという話)


自分のため、自分のためだけにいいこと言ってヌレヌレ陶酔するのはいいんですよ、そうして自身を鼓舞するのは。でも、人が人に、「人の為」の体で、「助言」の範疇超えたこと言うのはね、それはもう

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例の24時間番組が大勢に批判されるのとほぼ時同じくしてこういうのが持て囃されたという事実、なんともまあ(・ω・)映画のCMよろしく、感動共感商法止まらないわけだ。僕はそれら一貫して「否」だぞ

世界平和だとか人類愛だとかそういう巨大な夢は喜んで見るけれど、目の前に転がった空き缶を拾おうとはしない、むしろ見て見ぬふり。なんかそんなカンジ(´・ω・`)段階すっ飛ばし過ぎだろって思う。"隣人愛"を誤解、分を弁えず拡大解釈しているような。それが気持ち悪い