2017年11月15日

2011年03月21日20:59

自粛ムード→停滞感


被災地でのケンカ沙汰なんかがチラホラ報道されてますが…まあ、ムリもありません、「当たり前のことを当たり前に出来ない」ってのは最大のストレスですから、「こうなったらいいのにな」ってな夢とか理想とかそういったものに手が届かないことより、 はるかに苦痛ですから。

こうなります
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もちろん俺も経験済みです(パーン

さて、敢えて申しますが…事の大小はあれ、現状は「全国民が被災者」だと思うんです。東北方面から遠く離れた地に在っても、何らかのアオリやワリ食ってると思うんですよ、「日常」という当たり前(そのあり方は人それぞれですが)を、当たり前に過ごすことが、出来なくなってると思うんです。もう少し踏み込んで言うと、「当たり前に過ごしてはいけないような気がして」いませんか?…っていうおハナシです。

気になってるんですよ。ていうか、おこがましいですが「心配」なんです、"皆さん"が。そうしようと思えば「出来る」環境に在りながら、楽しんじゃいけないんじゃないかとか、 笑っちゃいけないんじゃないかとか。また、突然、「自分は無力だ」なんて落ち込んでみたり。

甚大な被害を受けた地域の方々に対して、「申し訳ない」とか思いこんでいませんか?無事であることを甘受して「普通にすごす」ことに「罪悪感」おぼえちゃったりしてはいませんか?誤解を恐れず申しますと…そういうのってむしろ、深刻な状況に置かれて る人々に対して失礼なんじゃないか?なんて思ったりするんです。というのは、少なくとも俺は、不幸に見舞われても家を失くしても、「いいよな、お前らは平気で」なんてことは露ほども思いはしなかったからです。ぶっちゃけ言えば、「それどころじゃない」ってなもんです「自分のことで精一杯」で。あの人たちも、そうなんじゃないかな、と。

そろそろ、被災地に寄せた言動に終始してるのが、「良心の呵責」に見えて仕方が無い頃。「ガマンしなくちゃならない人達がいる、だから俺も/私もガマンしなくちゃ」これね、美しいですよ、基本的に。でもね、行き過ぎちゃうと、自己賛美というか耽美、退廃的。「ごめんなさい」も、言い続けてたら無意味になります。やりたいことをやれる当たり前のありがたみを噛み締めることが、比較的無事/不幸中の幸いを得た我々がとるべき「次へのステップ」ではないでしょうか。まあ、ナイター野球とかね、ちと時期尚早というか、 個人(ナベツネ)のワガママとしちゃあちょいと消費激し過ぎって感ですが(苦笑)

とにかく。不幸中の幸いを拾っていながら

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↑こうなっちゃ、もったいないでしょう?

あの大災害で命拾った人に「(生き残ってしまって亡くなった人たちに)申し訳ない」なんて、考えてほしくないでしょう?同様に、"皆さん"にも、考えてほしくないんです。

大勢の心が停滞低迷したら、それこそ復興だって遅れるかもしれません。

かく言う俺も震災後しばらくは粛々と過ごしてきましたが(過ごさざるを得なかったとも言えますが)、もうヤメにします。当面は続くであろう被災地の、ひいてはこの国の不安や苦境を忘れることは決してありませんが、俺は俺の「普通」にボチボチ戻ります、不安があるからこそ甘受しようと思います。もしもこのあと「万一」があったら、きっとこう思うからです、「もっと楽しんでおけばよかった」、「もっと話しておけばよかった」と。


以上、不遜且つ不謹慎と思われるかもですが、ロックは不遜で不謹慎なくらいで普通ですから←





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