シン・ゴジラという福音

2017年01月25日

ああ!!あああああ!!こんなんありかよ!!!

多少のネタバレ含む雑多なシンゴジ関連発言 on Twitterまとめ、その4。

【東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか】
「女性とか子どもとか意識しない」←少し前この点に関し言及したら女性から「差別的」みたいなリプ飛んできた事あったんだけど…どれだけ「優遇」されてるか認識無いんだなと残念に思った(笑)

このときね。




【庵野秀明監督、シンゴジラ制作の東宝にブチ切れていた】
やっぱ今の上層部の無能っぷりはガチなんだな知ってたけど(ここまでの一連他御参照)。シンゴジには"自主制作映画"の香りが在るんだよな勿論好い意味で、ルーカスの私作品だったかつてのSWの様な(★)

それでも結局は作家に対し折れただけ今回の事で進歩したのかもな、そう願いたい。如何に商業とはいえ「今こういうのがウケる」ばかりで物作ってたら文化は暫時矮小化していくよ、何もかもを凡人に合わせてたら。送り手は凡人を釣り上げるのでは無く「引っ張り上げる」くらいの志し、傲慢さを持つべき。

「こうしておけばあいつら喜ぶだろ」みたいな或る意味客をバカにした物作りしちゃあダメだよ送り手は、そういうのが『子供騙し』ってもので、すると客は成長成熟しない→以後繰り返しで互いに水準低下していく。このサイクル/スパイラルを #エナジードレインの応酬 と言う。







【余談】


そう、それでこんな妄想をしたって話w



(★)







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私は好きにした、君らも好きにしろ

多少のネタバレ含む雑多なシンゴジ関連発言 on Twitterまとめ、その3。

この際だからシンゴジ否定派について言及しよう。絶賛の一方で、おそらく『アンチ』と呼んで差し支えないほど荒れてる向きも在るだろうなと思う、それこそ「冒涜だ!」ってな感じで。また、ことさら必要以上に「エヴァ」という"偏見"を端から持って当たってる向きがあろうことも容易に想像がつく。

僕個人は、そういう態度って、ぶっちゃけ「くだらない/つまらない思考停止と色眼鏡だなあ」と思う(・ω・)すまんけど。物心ついた時からゴジラ好きで、初放送時からエヴァ好きでもある僕にとっては、もう単純に「旨味しかな」かった(笑)さらに言うと、これまた"必要以上に"エヴァに関連付けたがってるご新規さんのことも気に入らないんだろうね、いわゆる「ニワカどもが!」な感情で。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。よくアニオタドルオタって批判されてるけど、特ヲタってのも、子供じみててタチ悪いの多いからねえ…僕が言うのもなんだけれど←

まあ、「ボクが一番詳しい!ボクが作ったほうが絶対イイ!」っていう幼さ(・ω・)で、それまでクサしてたものを手のひら返して上げてでも今を叩こうとするのも、これもう昔から、伝統行事みたいなもんだから(笑)かく言う僕は初ゴジ原理主義者(自称)だけれど。なにしろ、過去に凝り固まり取り憑かれて新しきを楽しめない人生なんて、実につまらない(・ω・)それは「拘り」とは違うなあ、「可哀相」とすら思う。温故知新という言葉があってだね(ry

ああ、そうだ。音楽に関しても「エヴァの使い回しだ!」などと憤ってる(叩き材料としてる)向きを見かけたのだけれど、それ言ったら伊福部音楽も使い回しだよね、むしろあっちと違って新録さえしてないんだし(・ω・)ていうか鉄人28号白昼の残月における伊福部音楽の流用は絶賛してたような。

まあ、つまりだね。内容云々さて置いてとにかく主にエヴァ(と、その世代)が気に入らないんだろうなって感じ(笑)そういうの(´・ω・`)同じオジサンとしてオジサンは悲しいのです(まゆしぃ調で)

なお、以前も書いたが、僕はシンゴジ=「エヴァっぽい」ではなく「庵野世界」だと思っている、作家性・表現手法ね(※)で、"それ自体が口に合わない"ってのは、もうしょうがないよねってハナシ。

※それ故に。エヴァ好きでもあるけれど、殊更にエヴァと並べこじつけ語る方向は好まない。





【庵野秀明監督に聞く・動画付き】シン・ゴジラで重ねた無理とは?
>>ストレスだったのは、「主人公の恋人や家族の問題などの人間ドラマを入れてほしい」という、プロデューサーの要求でした。
アッハッハ。゚(゚´ω`゚)゚。もういかにもな話




作家に「ストレス」と言い切られてて草。いやもうホンマに『泣ける商法』に浸かり染まりきっとるんやな上の方(・ω・)「気持ち悪い」←


活動停止したゴジラを超鋼製拘束具で覆い封じる作戦、通称『石棺』を実施するも(中略)鋼の鎧を纏い再び動き出したその姿は、さながら機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナであった…

…という『シン・メカゴジラの逆襲』が進行中(僕の脳内だけで)





ところで。思わず口にしたくなる、口にするだけで何だか心躍る、そういう意味での今年の真の流行語は『無人在来線爆弾』だと僕は思うのだ(`・ω・´)なお、次点:『ケルヒャー』

すなわちシン・流行語(自分の中で)





というわけで、ゴジラ対バケットホイールエクスカベーター(長い) #雑コラ
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その4へ、つづく。





ed209 at 12:28|Permalinkclip!

八塩折之酒

多少のネタバレ含む雑多なシンゴジ関連発言 on Twitterまとめ、その2。

【ゴジラ:初の劇場版アニメに!「まどマギ」虚淵玄の脚本で17年公開】
これは意外な展開、意欲的だな東宝。ゴジラには伝統芸能というかバイブル的な呪縛の様なものも少なからずあって。冒涜紙一重で見事"新約"せしめたシンゴジに続く革新成るか。

原点回帰的なのに冒涜紙一重とはどういうことか?それは(・ω・)ネタバレ無しで語るのだいぶ困難だから今はカンベンしていただきたい。まあ…例えばジーザス・クライストを「いち人間」として扱い描いたら、それはもう物議を醸したわけですよ教圏じゃ。でも神性ってのは感じさせ方(描き方)次第でもあって、つまり俗世と属性は並び立たたずってものでは無…だめだネタバレ避けようとすると妙な禅問答じみてくる(笑)


昨日ちょうど考えていたのです、ゾク・ゴジラ云々(・ω・)あれだけの物創られたらそりゃ「もういっちょ頼む(期待)」って気持ち解る、でも庵野氏の作家性を想うとそれ実現難しそうって思ったり、しかし他の誰かにあの続き作れってのはあらゆる意味で酷だし観たくもないような…とかね、グルグルと。

そんな風に考えていて行き着いたのは「あの続き(もしくはあの路線)で無い物ねだりをするくらいならばいっそのこと『ゾク・ゴジラ』でいいんじゃない」だった、「俗」ね(・ω・)つまりファミリー向け路線てこと、べつにネガティブな意味じゃあなくてね?むしろ本数的には主な在来線←

と、そんなところへ出てきたこの話題ゆえ(・ω・)「そういうチャレンジもアリだよな」と思うのでした(わりと好意的に)正直なところ。あれは現実の投影だから、あの路線であの次元の爆発力を期待した場合、また何か未曽有の事態が現実に起こりでもしないとね(それはまっぴらごめんだ)みたいな(・ω・)そんで「もしも再度やるなら今度は対決ものやりたいんじゃないだろうか?」なんてことも想う。出し切ってるもの。ていうか「対決ものってことならいっそウルトラやりたい」って想像もする(笑)…や、今回の成功を見て円谷が働きかける可能性もゼロでは無い(妄想)

広義にはウルトラさんも「巨大不明生物」だものね(笑)劇場版ULTRAMANとかそれなりリアル寄りだったけど、ファンタジー色を完全に排したSFシリアスだとどう扱われるのか見てみたい気もする、観てる側にも誰(何者)なのか全くわからないってミステリー調で。…でもその線だとほぼ平成ガメラの焼き直しになるんだよなあ(没)


DVD/BDの特典で新撮映像『巨災対のいちばん長い日』とかやってほしいな。リアルなポリティカル要素が特筆されがちだけど、明快スペクタキュラーな娯楽作としても楽しめるし、怒涛の会話劇(笑)として見ても面白いのがシン・ゴジラ。






「民間の描写が少ない」とかいう論評がちょいちょいあるけど、あれはつまり「現実」を突きつけてると思う(・ω・)実際には民間人に手出しなど出来ない、絵的にも怯え身を守るくらいなのだ。ハリウッド映画的な、事態に直接関わる偶然の英雄に目が慣れ過ぎてるのかもね(と思う)それこそギャレゴジなんかも、モロそれだったしね(・ω・)民間人にあらず軍属でこそあるけれど、つまるところは彼のダイハードっぷりが全編の大半を占めてたものね(笑)

昔からディザスター映画の多くは、共感し易い即ち「一般目線」に近いところに視点を置く傾向があって。それはかつてのゴジラ映画でも見受けられたもの(如何にして(民間人を)事態(ゴジラ)に関わらせるか)。そこを敢えて、"311という現実"を経てバッサリ削ぎ落としたのがシン・ゴジラかなと。

★ここでひとつ自薦、あわせて読んでもらえるとありがたい。
【ディスガスティングディストピア】




【「カラー10周年記念展」フォトレポート(ネタバレあり):シン・ゴジラ“形態変化”は「東宝さんに嫌がられました」庵野監督が語る裏話】
だろうなあ、既存の"歴史"からすれば「冒涜」ものだもの(笑)だがそれも出来栄えでねじ伏せた(喝采)

言わば(少なくともイメージを)根源的に覆したからね、「私は見た!確かにジュラ紀の生物だ!」に始まり連なった、ゴジラ=恐竜の生き残り伝承。

いやあれは本当に衝撃だったよ、川遡る背鰭で完全にヤツだと思ってたら「え…な、なんかキモいの出てきた!なにコイツ、もしかして敵怪獣?これって実はVSものだったの!?」って激しい困惑を楽しめた、情報完全シャットアウトしてたおかげ(笑)なお、そこからの急速進化で更に衝撃受けたのは言うまでもない(言ってるが)そりゃもうオジサンにしてみりゃあ(・ω・)ゴジラという常識・固定観念をスコーン!と覆された思いだったさ(好い意味で)

なお、シンゴジから入った若い世代が初代観てジュラ紀=200万年前と覚えてしまいやしないかとオジサンはちょっぴり心配している(笑)

え?「それ以前にイグアナがあるだろ」?なにそれ知らない←



その3へ、つづく。




ed209 at 12:07|Permalinkclip!

無人在来線爆弾

その「健気な活躍」ね。あれホント熱いのよ、見ようによっては「かわいそう」にもなるかもだけれど敢えて訴えたい!これまでの歴史上もう踏まれたり掴まれたり咥えられたりばっかだったのがね…遂に一矢報いたわけですよ!戦友なわけですよ!(`;ω;´)ゞ敬礼!あれって昔の男の子なら一度は"そういう遊び方"したと思うんですよ、ソフビ怪獣やら相手にね。だから、めっちゃロマンティックなんですよあれは、もう泣き笑いするくらいにw


と、そんなカンジで多少のネタバレも含みつつ時系列的に
しかし雑多に、シンゴジ関連発言 on Twitterまとめ。


(製作発表/公開前)

2011年3月。大地震に伴った例の件をテレビで目の当たりにしたとき、僕は「ああ、もう日本でゴジラを作ることは出来ないかもしれない」と思った、マジでそう思った。と同時に、「ならばこそ新たに示すべき」とも思った(・ω・)お察しください

ところでこの題名『シン・ゴジラ』、新とか真とか神とか色々あるけれど、僕は勝手に"Sin"と解釈していたりする(・ω・)罪科

「怖い」のは本来当たり前として。グロいとか言われてるけど、めっちゃカッコいいじゃあないか!あの発光でバーニングゴジラと比して云々もされそうだけど、個人的にはGMKゴジラのゾンビ感を押し進めた様なというか、血みどろ感。また、生頼ゴジラ(1984のポスター)を彷彿もした。

一見さんおことわり的な悪マニアみたいなうるさいこと言いたくはないのだけれど、どうしてもこれだけは言いたい。「新しいゴジラ死んだ魚みたいな目なにあれ」とか言ってる人って恐らく第一作観てないんだろうな(´・ω・`)ヘタするとGMK白眼ゴジラすら知らないんだろうな。なんでよく知らんものにわざわざ難癖つけるのか、ツイッターらしいっちゃらしいが(ほめてない)

不安が無いわけではない(・ω・)それはもう色々とある。しかしとりあえず「カッコいい絵」を見せてくれるだろうって点に限っては何の不安もない、「特ヲタの琴線に触れる絵」と言ったほうが正しいのかもしれないけど。

どこまで踏み込んでるのかなあ脚本。ゴジラ本来のディザスター属性それを語ること自体がタブーみたくなってるからなあ今(お察し)そんな今だからこそって思うのだけれど(それが出自であったわけで)でもあの予告観る限り、そのへん真っ直ぐニオわせてるように感じた、人間パートの現場の見た目が"当時"をとても彷彿させた(お察し)

不幸にも生まれてしまったこの国でゴジラは再び生きられるのかその存在を許されるのかって話よ、皮肉皮肉アンド皮肉な現実と虚構のクロスオーバーよ(・ω・)個人的には、気遣いの為に自罰さえできなくなったら「終わり」だと思う。

もしも現代だったら、あの時期ガメラもvsデストロイアも、公開差し止めまでは行かずとも非難の憂き目に遭ってたかも、なんて思うことがあるのだ(・ω・)わかる人はわかると思う、それくらい今は「腫れ物に触るよう」なのだ。

★ここでひとつ自薦、あわせて読んでもらえるとありがたい。
【ディスガスティングディストピア】




よもや公開後
「感動しました!」
「すっごい迫力があってぇー」
「ゴジラ、さいこぉーっ(はぁと)」

…みたいなCM、やらないよな?ゴジラに限っては(`ω`;)まさかな(不安)


(以下、公開後)


その最期、芹沢博士は言いました「幸福に暮らせよ」と(・ω・)色々あるけど大変だけれど、だからこそ、いまシン・ゴジラを観ることが出来る、それは幸福です。敢えて呼ぼう、この時に生き居合わせたことを"幸福"と。 日本よ、これが「必見」だ。 #シンゴジラ

僕が「ゴジラ(1954)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と思ってきたように未来の誰かが必ず思うだろう「ゴジラ(2016)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と(・ω・)だから悪いことは言わない、劇場へ行くんだ。





公開前というか(製作が)決まった時点で不安視したのは、そりゃ内容はもちろんだけど、生粋のゴジラファンとエヴァファン言わば庵野新規がヘンに衝突しやしないかなって事だったんだけど、蓋を開けてみれば概ね(?)仲良く楽しんでる様で、それがまた嬉しかったりするのですよおじさんは(´ω`*)

まあ勿論ね、中には居ると思うんですよ新規を快く思ってない向きも、ぶっちゃけ特ヲタってのも一部鉄ヲタの如くかなりアレな人はいるから。でもそのタイプはどうやったってボクが一番わかってるんだ!的で、決して満足することはないし謎の無敵状態な人なので(笑)新規の若人にはあまり気にしないでもらいたいなとw

ただし。エヴァと並列的に考察というか結びつけようとしてる向き数多だけれど、僕は、そこは「ファンサービスサービスぅ!」くらいに捉えおいてる、僕自身エヴァヲタでもあるので、エヴァ好きが深読み好きなのは重々承知してるけど(笑)だから「エヴァっぽい」というより「庵野秀明だなあ」ってこと。

それこそが作家性ってやつであり、つまり『庵野秀明の世界』ってことだと捉えてる、舞台や設定が直接的に云々ではなくてね(その上で、次回エヴァには逆にシンゴジ観た人がニヤリとするようなエッセンスが現れてもくるかもなあなどとちょっぴり楽しみにしてたり)


こんなご質問が僕のところに寄せられていたので、ここにも併せて。

Q シン・ゴジラに興味深々なんですが、ゴジラシリーズを見たことの無い僕でも大丈夫でしょうか?

A ぶっちゃけ「シリーズ」と言っても作品ごと独立してるようなもの(時には「リセット」さえしてる、今回もそう)なので、鑑賞に当たり連続性を気にする必要は無いと言っても過言ではない。なので、問題ない、それどころかあれで初体験というのもある種の幸運だと僕は思うくらいだ、是非!

だから「シリーズ」つってもね、寅さんとか釣りバカみたいなものと思っていいのよ。って言い切っちゃうと、またぞろ一部のうるさ型マニア(自称)がグジりそうだけど(笑)

や、マジな話、そういう一部ファンが醸す「一見さんお断り」的な排他性(自分を優位とする態度)が、特撮モノをニッチな市場へと結果的に追いやってきたって側面もあると思うのよ。例えばさっきのような質疑応答にしたって、あそこで早口で知識まくしたてられたら「あー…」って萎縮しちゃう(ハッキリ言うと"ヒく")って(笑)

近ごろよく話題に上る一部鉄道ファン然り、必ず存在するんだよね、そういう、「結果的に愛情の対象の足を引っ張るファン」て。たとえば現場で勝手に自分たちに都合よく場を仕切り始める○ートルズや○トーンズの自称古参直参とかさ(お察し)ぶっちゃけ言うが、そういった彼らはだいぶ精神性が幼稚だからね、「ボクが!ボクが!ボクが一番わかってるんだ!」って、たとえるならば、まだダメ坊だったころのアムロ・レイみたいなもん(・ω・)大きなお子さまなんだよ。

まあ、自身の能力特技、その部分においてはそれくらい傲慢だっていいとすら思うけれど(自信てことだから)ね、腐ってもアムロには実力あったしね(笑)だかしかし他力、他人の功績に寄生し依存してのそれはね、「僕の友達のお父さんが社長(ドヤァ)」並みの空虚。


ところで。シン・ゴジラを「国策映画」などと評し真顔で訴える向きの存在というのは「極度に偏った思想は鑑賞眼をも曇らせ歪ませる」という事がよくわかる事象(・ω・)まあ予測の範疇だったわけだけれど、実際に現れると失笑を禁じ得ない(笑)

や、マジな話「それ一体どこをどう観たの?」ってカンジだよね(・ω・)ネタバレになるからふせた書き方するけれど、では何故"あの人たち"は○国の決定に憤りすら見せ「なんとしても"それ"だけは使わせない」と必死だったんですかねえ?ってハナシですよ。その様はいっそ「中立的」でさえ在る。まあ何せ偏ったものの見方(解釈そして利用)しか出来なくなるってのは怖ろしいことだ(・ω・)そういう残酷なテーゼ←

つまるところ「逆張り」でしか主張も定立も出来ない、それを自ら晒し上げてる様なもの。それまさに文字通り「極端」ということ。中庸を「どっちつかず」とか「ノンポリ」とか蔑んで悦に入るくらいしか自己確立の術を持たないのだろう(・ω・)"アンバランス"を賢しらに振り下ろされてもね?って話。

なお、また一方で





とりあえずここで一区切り(つづく)

ed209 at 11:49|Permalinkclip!

2016年08月09日

音楽劇『ゴジラ対エヴァンゲリオン』概説

”愛情表現”ということ





というわけで、出発進行。

・・・・・・のまえに、敢えて言おう。





※以下、若干の「音楽的にはネタバレ」を含みますので、ご注意ください(特に★注釈)※





鷺巣氏による、ティンパニが打ち鳴らされ始まる、かの有名なあのテーマ。それをベース(基礎・土台)とすることを先ず決定しましたが、あとはもう「思いつくまま」入力していったというかんじです、さほど計画的ではない(伊福部メロディはもう染み付いてるので場に応じてパッパと出てくる)まあ「ゴジラのテーマ(主題)」は必ず盛り込まなくてはと思ってましたけれど。で、終わってみれば主要な三つのライトモチーフすべて盛り込んでました、もう自動書記かな(笑)

ちなみに、「パッパと出てくる」ゆえか制作はとてもスムースでした、時間にして実質半日。でもその後の動画編集がソコソコかかって結局一日になってしまったような(苦笑)見た目アッサリしてるようで、細かな構成には気を使ってるんです実は。

閑話休題。

ひとつめは、一般的に最も知られたあのテーマ、元人間側テーマ、メカゴジラの逆襲からゴジラ自体のそれとなった(★)あれです。本曲中では二番目の登場、本来の鷺巣/エヴァメロディと交錯します。原曲とはキーも響きも異なってますが、それでも音形だけで十分誰もが気付くでしょう。

ふたつめは、次いでお馴染みかなと思われます、平成VSシリーズでは"ひとつめ"と共に一連のテーマとして(SF交響ファンタジーの様式で)用いられてましたから。本曲中では最初の登場です、まさしく始まりに相応しい。第一の提示後、原曲では(言わばイフクベ節的には)ありえない高域にグワーッとひっぱりあげてますが、これはサギス節を意識したところです。

そしてみっつめ。これまた平成VSシリーズでも度々用いられましたが、一般的には最も「ゴジラ」としての認知度低いかもです…が、大好きなんです荘厳で。本曲中では最後に現れエヴァメロディと"融合"して盛り上げてくれます。なお、そのエヴァメロディとは"ビーストモード"でおなじみ『破』の予告編でも有名なあれです、「盛り込みたい」と想ってはいたんですが、流れの最後にピンときて。けっこううまくいったと自負してます。

そしてその"融合"は、キングコング対ゴジラのメインテーマへのオマージュです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、あのテーマ、キングコングとゴジラ其々のライトモチーフが見事に溶け合ってるんです、初めて気付いたときは震えました。で、今回、後ろのリズムの刻みも、そのメインテーマの律動を意識したものとしているのですが、お気づきになりましたでしょうか。また、ここで初めてクワイアを登場させました、これはどちらかというとサギス節を意識したところですが、重ねてみれば意外やイフクベチックでもあったりして(フリギアな終止感でしょうか)

最後になりましたが、中盤の高揚はラドンで初出(☆)の旋律におまかせしました、ゴジラ対キングギドラでもOSTINATOに収録の新録版が使われてましたね。中盤にアツいマーチテーマをということは決めていましたが、流れの中で直感的にこれを選択しました、おそらく「(サギスリズムとイフクベメロディの)律動のマッチングが良いだろう」という直感、無意識的。


以上、駆け足ですが。とにかく、楽しんでいただけましたら幸いです。


追伸。はじめ、エレキギターも入れるつもりでいたのですが、「それは(やはりゴジラ絡みで)前回やったからいいか」となりました。

蛇足。映像のほうもマニアならではの拘りを色々と感じていただけると思います、マニアな方には。ちなみに冒頭せりあがってくるタイトル、流用じゃないですよ、あれもわざわざ作りました(笑)愛ですよ、愛。



☆伊福部先生の純音楽作品にはそれ以前に原型が見受けられるので、ひょっとしたらラドン以前の映画にも流用されてるかもしれません、あれば僕の寡聞です。

★ちなみに、メカ逆版については唯一「ドシラソラシドシラ」のソが#してるんですよね、シン・ゴジラ本編中で用いられてたのは、そのバージョンです。もののついでに言うと、同じく有名な、主に怪獣大戦争マーチやフリゲートマーチの名で称されることの多い例の旋律。今回それも劇中でアツく活かされてましたが、敢えて宇宙大戦争マーチをチョイスするあたり、なんというか、さすがのマニアックを感じました(笑)そのへんもニヤリとする/燃え要素のひとつですね。




ed209 at 20:27|Permalinkclip!

シン・ゴジラという福音

【映画ランキング】「シン・ゴジラ」が2週連続で首位を獲得し(中略)当初の予想40億円前後を大きく超えてくる可能性が出てきた( 2016年8月8日発表)

って事だけど、今回については「あれが100億行かないなら日本ヤバいでしょ」くらいに思う。

初代は無論のことシリーズ初期は、当時の人々にしてみれば"未体験ゾーン"でもあるから別として。そもそもまあ人を選ぶというか一定のマニア向けという性格ではあるから、これまでそんな事は思わなかったんだけども。今回に限っては本当、「映画好き」というなら観ない手はないでしょと思う。

余談だけれど。「賛否両論」の無いものって、この世に存在するのだろうか?や、まあ「それだけ多数話題に上がってる」って事、その表し方のひとつだとわかっちゃあいるけれど(;^ω^)揚げ足とりたくなる言葉なんだよなあ(笑)


この際、語っちゃおうかな(・ω・)わざわざクサすのは趣味では無いのだけれど…今だから敢えて。

つい先日まで一応最新作だったGODZILLA、いわゆるギャレゴジ。あれ、僕は「全然ダメ」だったんだよなあ(だからこれまで語らなかった)

以下、ギャレゴジ好きな人は見ないほうがいいかも。


結論から言ってしまうと、「日本映画(ひいては観衆)をダメにした"ハリウッド要素"の塊みたい」 という感想。娯楽作品に「家族愛」のようなものを強引に盛り込む。いやま、それも一つの方向性っちゃそうなんだけど、アルマゲドンからこっちもうテンプレ過ぎで…そしてまったく薄っぺらかった。

「家族愛の名のもとに奔走するそこらへんの人が雪崩式に英雄するいつものテンプレ」に過ぎず、なんせゴジラである必然性が全く感じられなかったていうかゴジラはおまけ感…てかもうね、あの、ちょいちょい差し挟まれる不安な嫁の様子がうざったくてしょうがなかった(笑)

ぶっちゃけ、ゴジラの造型を度外視すれば例の巨大イグアナのほうがパニック映画としては出来がよかったとさえ思っている。誉められるのは「日本版主題歌が付かなかったこと」くらいか(確かついてなかったよね?)

だがしかし(・ω・)最悪だったのは、序盤で語られた「数々の原水爆実験は実はゴジラっていう元々いたデカいの倒すためだった」というアレ。ちょっと見ると日本/原点へのオマージュちりばめてあるけれど根底から覆したよ!自己正当化乙にも程があるだろwww…と、もう早々に萎えてしまったのも事実。

で、あとはもうひたすら退屈だった。あんなん、パシフィック・リムのほうが"怪獣映画"として見てもそりゃあもう万倍面白かったし燃えたですよ(・ω・)


ここで冒頭(親ツイ)に戻る。そしてその上で敢えて申し上げる。

「あれ以下のヒットしかしなかったらいよいよ日本の観衆は終わっている、"結論"で述べたモノに完全に毒されきっている」

つまりそういうことなのだ。わざわざ今更貶したのは、これを言うためだったのだ(すまない)

この際だから駄目押し。

最後"救世主"扱いなんかしてくれてもちっとも嬉しくもなければ燃えもしなかった(´・ω・`)欺瞞が過ぎて。一言で形容すると「めちゃくちゃ出来の悪い平成ガメラ(第一作)」(・ω・)わかる人はわかるだろう(個人の感想です)


で。そういった"要素"を意識か無意識か徹底排除したのがシン・ゴジラというシン・日本映画。

その要素いくつか挙げよう

・とにかく恋愛とか家族愛(そのためなら容易く病死もさせる)
・流行り者が歌う特に必然性の無い主題歌(それもう主題じゃ無いじゃん)
・うざったい共感CM(一緒にされたくないという思いが鑑賞意欲を削ぐ)


ああ、そうそう。某三丁目にゴジラが登場、その画が中々の出来だったため次期監督候補なんて声もあがってたけれど…僕は「それはイヤだな」と思ったのだった(・ω・)VFXに強いのと商売人として成功者なのは認めるけれど、作家としてはね…まさしくそれら要素、言わば『泣ける商法』の権化だもの。

もしも彼がゴジラを撮ったら。

・タイトルの一部または全部が何故かアルファベット表記になる
・流行りのJPOPの人を起用もしくはちょっと昔の洋楽が主題歌になる
・客が「感動しました泣きました」って感想述べるTVCMが流れる

最低限このあたりは覚悟しなくてはならないだろう(真顔)

こうしてみると、今の(ここ10数年来の)邦画そのものって感じだね(・ω・)まさに権化。や、大したものだと思うよ?商才としては。大多数に訴え惹きつける要素を把握し網羅し達成てるわけだから、ひとつの立派な才覚手腕には違いない。ただ僕にとっては「観たい」要素では無いということ。

これら要素、何かと似ていると思いませんか。

・一部英語(を、カッコいいと感じる)
・泣ける(共感そして自己投影/陶酔)

そう、JPOPとソックリだね(・ω・)そりゃ売れるわけさ「売れるように作ってる」わけだから。

や、そういう作家がいたっていいとは思うんですよ?問題は、もう邦画界全体がその手法に依存しきってるということ、そうしなければ立つ瀬もなかったりするということ。そりゃま商業作品である以上は成功=数字って前提なんだけどさ(´・ω・`)芸術の正義ってそれだっけ?なんて気持ちにもなるのです

で。だからこう喩えたのです(意味深)



たとえば、「まずは儲けて偉くなってそれから本当にやりたいことやる」とかね、そんな風に好意的に考えることも出来る。事実、商業となるとなかなか「思い通りに」とはいかないからね。でも(´・ω・`)うーん…どうだろうな(何)


(以上、ツイッターまとめ)



次回「愛情表現」





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2016年08月02日

シン・ゴジラ観るべし(ネタバレ無し)

2011年3月。大地震に伴った例の件、その光景をテレビで目の当たりにしたとき、僕は「ああ、もう日本でゴジラを作ることは出来ないかもしれない」と思った、「あ、終わったかも」っていう非現実感、日常の崩壊感と共に、そう思った。と同時に、「こうなってしまったからには、ならばこそ、新たに示すべき」とも想った。

そして、結果は。

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「なんちゅうもんを創ってくれたんや…なんちゅうもんを…(感涙)」

本当そんな感じ、「こんなの創られちゃって今後邦画はどうすれば(もう言い逃れは出来ない)」くらいの。予想(期待)の範疇を遥かに超えていた。これは、2011年以後の日本から目を逸らさず、真正面から向き合い仮借無く表現した初めての作品と言っても過言では無い。今を生きる日本人、必見。

「それについては腫れ物に触るような、いっそ見てみぬふりさえしているような」そういう世風の中、ほんとよくやったなあと思う。


高度に政治的な要素も多分に含んでいるので、その向き、ことに"偏った"向きには、あれこれと穿たれたり利用されたりってな事もあるかもしれないが、そんなのは些末な(愚かな)事だ。多分にリアルにポリティカルでありながら、しかし「この期に及んでそんな不毛な諍いやってる場合じゃねえ!」と言わんばかり、僕にはそう感じられた(★)。これは、矛盾や欺瞞を抱えながらも、巻き戻せない「現状」へと、ただひたすら立ち向かう人々の物語。

(★実際、劇中ではそのあたり(いわゆる右だの左だの)には言及すらしていない、近年の風潮(ある種"風物詩"と言ってもよいかも)の一つとしてサラッと差し挟まれてはいるけど、「だがしかしそれは『重要』ではない」)

それでいて"怪獣映画"のカタルシスもしっかり、いやもうむちゃくちゃあるんだよ!*******なんてクソアツ過ぎてもう泣き笑い(もちろん好意的に)


ひとつだけ、後悔していることがある。「拍手喝采贈りたい!」って衝動を抑えてしまったことだ!


僕が「ゴジラ(1954)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と思ってきたように未来の誰かが必ず思うだろう、「ゴジラ(2016)をリアルタイムで観られた人、羨ましい」と。だから悪いことは言わない、とにかく劇場へ急ぐんだ!ネタバレという災厄に見舞われる前に。

偉大なる1954。当時の観客が受けたであろう衝撃、迫真性。2016年の今、"2011を通過した僕"は時を超えてそれへと近づき、僅かでも知ることが出来たような。そんな想いすら。それはつまり現実対虚構がもたらす…ここで敢えて用いよう「シンクロ」だ、シンクロ率の高さだ(・ω・)"身をもって知っている"からこそ真に迫るものがある、時代、場所、人、その時々にある。そして想いが時を超えリンクする。

1954その最期、芹沢博士は言いました「幸福に暮らせよ」と(・ω・)色々あるけど大変だけれど、だからこそ、いまシン・ゴジラを観ることが出来る、それは幸福です。

シン・ゴジラ観るべし。



「今夏、何度リピートしに行く(行ける)だろう?」一昨日からもうそればっかり考えてる(笑)



(当記事はツイッターでの投稿を抜粋し加筆再構成したものです)




【追伸】







【蛇足】
ひとつだけ。平成以降、ともすれば命題であるかの如く成ってた「なぜ日本/東京なのか」を「今それどころじゃねぇ」とやっつけた潔さ。そうなのだ、それは偶々であり必然自然、川に現れるアザラシの如く。一つ違えばあの不明生物だってタマちゃんなどと呼ばれ親しまれたやも(とにかく観てください)



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